地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

コーヒー

2006-11-07 22:27:39 | 日本語

珈琲

 板張りの床、薄暗い店内にともるランプのやわらかい灯。
 葉巻の薄紫にけぶった空気。
 紺のワンピースに真っ白いエンプロンの女給さんがもってくるのは、コオヒイに他ならない。(メイドカフェの話ではありませんよ!)

 大正ロマンあふれる、文学小説に出てくる飲み物はコオヒイが似合う。
 おしゃれな西洋料理と文化を、鮮やかに想像させてくれるのは森茉莉。彼女は夢の中の人。どんなに貧しい、ひなびたアパートで暮らしていても、彼女の世界は薔薇色である。
 森茉莉は、文豪森鴎外の娘である。彼女の作品は鴎外とはまったく違ったものであるが、鴎外の好んだ物や世界観を知る上で彼女の作品は非常に興味深い。
 銀座のカフェ・プランタンで初めて出会うコオヒイ。
 鴎外の妻は珈琲の淹れ方を、上野の精養軒へ聞きに行ったそうだ。精養軒のアドバイスは「挽き立ての豆を買って、土瓶にいれ、熱い湯を注しひと煮立ちさせなさい」

 こんなおしゃれな飲み物になるとは珈琲が上陸した当時、誰も想像できなかった。          
 江戸時代、出島にオランダ人が持ち込んだ珈琲を口にした文人、太田蜀山人曰く、 「焦げ臭くて味わうに堪えない」 。真っ黒なのも、いただけない理由であったろう。
 シーボルトはそんな日本人を見て、「日本人は熱い茶を飲み、交際好きな人種なのに、200年もオランダとの交易をしながら、さっぱりコーヒーを受けつけないのは
まったく不思議だ」と言っている。(シーボルト著『江戸参府紀行』)そして、「小不徳」と言う名で珈琲を不老長寿の薬として広めようとしたがうまくいかなかった。
 市民権を得たのは、明治維新後、西洋文化がもて流行らされる様になってから。
明治21年、
東京下谷の西黒門町に日本初の珈琲専門店「可否茶館」が開店。もっともこの店は4年しか続かなかった。専門店が定着するようになるのは明治も終わりのころ、大正になってからである。
 「骨非」、「古闘比伊」、「煎豆湯」…と江戸時代から明治にかけて、珈琲の当て字は数え切れないほどある。「珈琲」がなぜ定着し、誰の考えた字かは判っていない。[a]

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2 コメント

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珈琲で下町散歩 (elly)
2006-11-13 00:44:13
森茉莉と言えば、やはり何歳になっても夢見がちな少女の印象がありますね。そして食べ物の描写も秀逸ですよね。
そして、「谷根千」。
この記事で使われている珈琲店の写真は谷中のあの有名店かしら?と想像しています。
それにしても、「珈琲」に落ち着くまでに、当て字でこんなに苦労していたとは・・・。「骨非」?!と、目が点になりそうな当て字も含め、なんだか味があるなあと思う私でした。今日はすでに3杯珈琲を飲んだけれど、aoiさんの記事を読んでいたらまた飲みたくなってきた!
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ellyさん (aoi)
2006-11-13 20:43:38
さすが!ellyさん。
この写真はこの記事のために、自転車でひとっ走り、撮ってきました。
そのカイがあったというものです。
実に珈琲の当て字を探っていたら、でるわでるわ…
森茉莉、大好きなんです。
ご近所ですしね~
いつか森茉莉御用達の邪宗門カフェに行って見たいものです。
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