ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

2006年08月13日 | 生き物 自然


今年の夏は蝉の鳴き声を聞かない。
この辺りでは、大体、夏の初めにヒグラシ、次にアブラ
ゼミ、そして旧盆の今頃からミンミンゼミということ
になっている。
ところが今年は、揃いも揃ってうんともすんとも言わ
ない。
蝉の鳴き声の無い夏は、今ひとつぴりっとしない。
たとえて言うなら、ゴール前できっちりゴールを決め
てしまう柳沢みたいなものだ(違うか?)。

どうもこの傾向は、家の前の神社だけのことではない
様子だ。
この時期の蓼科は、例年だとうるさいくらいの蝉時雨。
ニーニーゼミだかエゾゼミの蝉シャワーが、これでも
かというくらい降り注いでくるのだが、今年はぽつぽ
つ程度だという。
一体どうしたことか。

同じ種類なら、周期説で考えられるのだが、今回は全
種類だから。
一つ考えられるのは、大雨の影響。
地中深くから、そろそろ羽化しようと地表近くに移動
したとき、大雨にあって、びちょびちょになって弱っ
たところを微生物にやられた。
昆虫は、黴にやられるのが多いから。
全体的な傾向なので、この説は説得力を持つ、と自分
では思っているが、問題は、実際蝉は羽化に備えて地
表近くに移動するのかどうかということ。
まあ後は専門家に任せて、ということで。
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黄金時代

2006年08月12日 | 映画


ヴィスコンティの、「ヴェニスに死す」のマーラーは
印象的だったと先日書いたが、何故だか、印象的なの
というか、映画とすぐに結びつくのはクラシックが多
い。

聴き覚えがあっても、曲名が分からないのがクラシック。
自ずと限られてくるのだが、今ぱっと思いつくもので
も、大島渚の「日本の夜と霧」の中で使われたショス
タコーヴィッチの交響曲(勿論のこと、第何番とかは
はっきり分からない)とか、「ルイス.ブニュエルの
黄金時代」(無声映画)の中の、シューベルトの「未
完成交響曲」などが。

これらは、完全に映像とセットで記憶されている。
つまり、記憶の中では、その音楽とそれが流れている
シーンが直結しているのだ。
ショスタコーヴィッチより、シューベルトの方がより
ポピュラーなので、「未完成交響曲」を聴く機会とい
うか偶然耳にする機会の方が多い。
つまりそれは同時に、「黄金時代」のあのシーンを思
い浮かべる機会が多いということも意味する。

今まで何度あの、どこかの海岸での法王だかなんだか
分からない人物の、なんだか分からないシーンを思い
浮かべたことだろう。
「アンダルシアの犬」と同じくダリと組んだ映画なの
で、シュールリアリスティックな悪夢のような映画と
言えば、一番分かりやすいかもしれない。
というか、分かろうとしないほうが良いという映画も、
世の中には存在する、その一つの例として捉えた方が
良いかと思う。

そんなことより、そういう映像をなんどもなんども思
い浮かべるという行為は、少しは脳の活性化につなが
るのか、そちらの方が今となってはより関心ごとであ
る。
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コンバット2

2006年08月11日 | Weblog
以前、「コンバット」の演出にロバート.アルトマン
が関わっていたと書いたが、今回は出演者。
ロバート.アルトマン同様、当時は全く知らなかった
が、有名俳優がごろごろ出ていたことにびっくりだ。
気付いたところで、「リー.マーヴィン」「ジェーム
ス.コバーン」「ハリー.ディーン.スタントン」「レーナ
ード.ニモイ」(未確認だが多分)など。
錚々たるメンバーだ。

と言っても、所謂渋い俳優(しかも古い)ばかりなの
で今ひとつ知名度は無いかもしれない。
一応説明すると、「リー.マーヴィン」は「特攻大作
戦」や「最前線物語」(サミュエルフラーの)など戦
争物が多く、頼れる上官役にぴったりの役者。
「モンテ ウォルシュ」などの西部劇にも主演してい
る。
しかし、すでに故人。

「ジェームス.コバーン」は「大脱走」あたりが分か
りやすいか。
パルチザンに助けられて脱出に成功する、数少ない捕
虜の、あの大きな鞄を持ったあの人。
しかし個人的に忘れられないのは、「電撃フリント」シ
リーズ。
「007」のB級版ともいえる愛すべき作品、これの
主演が「ジェームス.コバーン」だった。
しかし、すでに故人。

「ハリー.ディーン.スタントン」はこの中では一番知
名度が無い、と思う。
「パリテキサス」の記憶をなくした主人公、と言っても
あまりピンと来ないかもしれないし、他の代表的映画と
言っても主演は多くないし、で調べてみたら「デヴィッド.
リンチ」の映画に良く出ている。
「ストレイスト-リー」の兄役は覚えていたが、「ワイル
ドアットハート」とか「ツインピークス」などにも出て
いる。
典型的な、見ると「ああこの役者か」という俳優だ。

最後の未確認の「レーナード.ニモイ」は、「スタート
レック」のとんがり耳のあの人。
知名度というか知顔度はこの「レーナード.ニモイ」が
一番ではないか。

このように「コンバット」には、その後の有名俳優が
ぞろぞろ出ている。
それを発見する楽しみまでももたらすドラマ、なんて
貴重な作品だったのだ。
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オシムジャパン2

2006年08月10日 | サッカー


勝ち負けはどうでも良いと言えど、やはり勝った方が
気持ち良い。
どうしたことか、サントスが2点も入れるというおま
けまでついてしまった。
通訳業務(ジーコ私設の)から開放されたのが良かっ
たのか。
真相は、ディフェンス業務が軽くなり、変な間で攻撃
することもなくなったからだ。
しかし、駄目選手がこうまで変わるものなのか。

全体的に何が変わったかというと、「選手の意識の持
ち方が」だと思う。
常に、あるイメージをもって全員で動く、そう努める
姿勢を持ち続ける。
いかに以前はそれらが欠けていたことか。
まともな監督になると、チームもピリッとするという
典型を見た思いだ。
ディフェンスなど、まだまだエアーポケット状態にな
ったりするが、方向として改善されるのを、長いスパ
ンで見ていきたい。

それにしても、嘗てレギュラーだった選手(それだけ
で満足してプレーは緩慢)は、どういう思いで見てい
るのだろうか。
意識改革しないと、一人も呼ばれないということを理
解してるかどうか。
いまは、司令塔がどうのこうのというチーム、つまり一
人に依存する割合の高いチームは目指していない。
中村も、相当頑張らないと要らない選手になってしま
う可能性がある。
彼らの今後は要注目だ。

あと、松木解説はよいしょとうるさいだけなので、な
んとかしてほしい。
ミュートにしようとしたら、リモコンがみつからない
という悲劇に襲われてしまった。

追記
試合後、「川渕解任デモ」が予定通り行われたようだ
が、成否はどうあれ、意思表示することが重要と思わ
れるので、良かったのではないかと思う。



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田中康夫

2006年08月08日 | Weblog
一応有権者だったので、今回の結果に一言。
正直な感想は、「もう少し競るかな」だった。
支持率がどんどん低下していたから、結果は順当とい
えば順当なんだが、直前で康夫ちゃんがやや盛り返し
てきたように見えたから、そう感じた。

結局、あまりに議会と対立し、それに対しての頑な態
度、柔軟性のなさ、ひいては彼の人間性(幼稚さ)が
どうも嫌われたようだ。
人間性という点では、周りにいた人間がどんどんいな
くなってしまう現実が、特にマイナスに作用したので
はないかと思う。
個人的にも、もう少しうまく人が使えないと、とは強
く感じた。
対立した人間を丸め込むくらいの度量がほしかった。

業界は勿論反田中。
一蓮托生の議会も殆ど反田中。
考えてみればよく持ったものだ。
あれだけ反田中の中で、精神的にも耐えられた康夫ち
ゃんは、この点だけでも大したものと言える。
確かに康夫ちゃんにも問題はあったが、もっと質の悪
い県会議員どものほうが本当は問題なのだ。
天下を取ったように嬉しそうにしている県会議員の姿
を見ると、本当、癪に障るですよ。
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ホシチャバネセセリ

2006年08月07日 | 生き物 自然


写真の蝶がホシチャバネセセリ。
ほぼ実物大。
日本で最小の部類の蝶。
と言っても、こんなものに興味のある人は、1000人
のうちの一人、いや1万人に数人というレベルかもし
れない。

実際、山でこれを目撃しても、蛾或いは蠅にしか見え
ない。
こんなことを言っている自分自身でさえ、これを確認
したのは今回が初めて。
意識的に図鑑を見て、網膜によく焼き付けての結果だ
ったのだ。
蝶の中のセセリチョウは、地味だし、同じような色で
同じような模様(というほどの模様ではない)が多く、
所謂初心者には歓迎されない類の蝶だ。
ところが、マニアの世界というのは、どんどん細かな
差異を求めていくという傾向があり、蝶もその例外で
はなかった。

「誰が好き好んでこんなものに目を輝かすというのだ」、
「俺俺」と1万人の内数人が答えるだけのこんな蝶の
ホシチャバネセセリであるが、絶滅危惧種Ⅱ類に登録
されている(らしい)。
それだけ貴重な蝶でもある。
だから、こういう蝶がいるということだけでかなり嬉
しい。
それだけ環境が保全されているという証拠でもあるか
ら。
実は、そんなフィールド調査を兼ねての蝶観察でもあ
ったのだ(こじつけ)。
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マーラー

2006年08月06日 | 映画


テレビで「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」
の二本立てという、珍しいラインナップの映画をやっ
ていた。
どちらも同じ監督(矢口史靖)の作品で、そこそこヒット
した映画だったと思う。
「ウォーターボーイズ」は10分ほど「スウィングガー
ルズ」はとびとびで30分ほど見た。
どちらも映画としてどうのという作品ではないが、「ウォ
ーターボーイズ」のたまたま見た部分にマーラーが使
われていたことにはびっくりした、というとちょっと
大袈裟で「へえー」な感じを持った、というのが正直
なところ。

何故かというと、同じマーラーの交響曲第4(か5か
今ひとつ断言できないところが弱い)を使って、それ
がかなり印象的な作品が、他にあったからだ。
ヴィスコンティの「ベニスに死す」だ。
美少年を追って、ペストが蔓延しているベニスを彷徨
う老音楽家の話だが、「ベニスに死す」と言えばマー
ラー、というくらい、映像と音楽がマッチした映画だ
った。
ヴィスコンティの耽美的で退廃的なところが、マーラー
の音楽と通じている、ということなのだろう、かな。

そんな華麗なイメージとは似ても似つかない「ウォータ
ーボーイズ」だが、監督は意図してそれを使っている
と思う。
わざと軽い場面に重厚なものを使い、より滑稽さを際
立たせるという効果を狙って。
それが成功したかどうかは分からないが、作ってる側
からすれば、こういう引用は分かってほしいはず。
ということは、少なくとも新たに一人は気付いたのだ
から決して無駄ではなかった。
と、言いたいところだが、正直なところは「どっちで
もいい」だ。
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オシムジャパン

2006年08月05日 | サッカー


オシムになって、初めての日本代表が発表された。
今野とか闘莉王(変に漢字にするので変換が大変だ)と
か、当然というか納得の人選だ。
勿論田中達也も入ってるし。
個人的には、田中隼磨(これも変換が)が入ってるのが
ちょっと嬉しい。
闘莉王と合わせれば、田中トリオの完成だ(だからどう
したの世界だが)。

しかし、人によっては納得いかない人選でもあると思う。
小野だ。
ジーコの時には考えられない事態かもしれない。
前任者は、「上手い人間(お気に入り)を集めてあとは
よろしく」の監督というにはちょっとお粗末な人だった
ので、今回の人選は新鮮というか、やっとまともになっ
てきたのだが、当事者とファンには理解しがたいことか
もしれない。
走れない(走らない)人間は要らないという単純なこと
なのだが。

もう一つはサントス。
何故、サントスを入れたのか、個人的にも知りたい。
あのざる守備は、ざる以外の何ものでもない。
オシムの意図するところは。
前任者と違い勘だけということはあるまい。
サントスには別の意味で注目だ。
それと川渕、居座ることが何故責任を取ることなんだ。
使途不明金でもあるのかな?
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42.4

2006年08月04日 | Weblog
何の数字かというと、先日の亀田の世界戦の視聴率。
力道山の世界に戻ったのか、と目を疑うような数字だ。
マスコミは疑惑の判定などと騒がしく、いつものマッチ
ポンプ振りを今回も発揮している。
話題性さえあれば良しのマスコミだから、疑惑であれ、
ありがたい素材としての亀田は、まだまだ価値のある
存在としてこれからも登場することだろう。

しかし、強くさえあれば何をやってもいいのか。
どう見ても困った家族にしか見えない。
暴力によって支配されている(にしか見えない)家族、
そしてそれで周りを恫喝する家族を、「嘗てあった理
想的な家庭」のごとく持ち上げるマスコミ、どうにか
ならんのか。
キャラクターとして面白ければ、それだけでいいのか。
そのおかげで完全に増長勘違いして、まともなことを
言った具志堅がまるで悪いことでも言ったかのような立
場に。

「金さえあれば良いのか」と「視聴率さえあれば良い
のか」は完全に同義語だ。
その答えは、「良い悪いではなくそうなるのだ」という
ことになる。
全てに市場原理が優先されるのが現実だから。
良い悪いの判断となる倫理は、融解の一途。
それを一番助長させてるのはテレビだろう。
基本的な常識すらない人間を、カリスマ(なんと軽い
言葉になってしまったんだろう)化し、持ち上げれば、
「ああ、あれで良いんだ」と思うトホホな人間が増え
ても全然おかしくない。
他の視聴率稼ぎのスター(と言われている連中)の番
組も、殆ど同じようなものだ。

ジャーナリズムをもし標榜するなら、それらを批判す
るような態度を一部でも示さないと。
しかし、キャスターとか言われる人間が、「本人は一
生懸命やった」などと肯定的なことしか言わないんだ
から、お先真っ暗?
コメント

霧が峰

2006年08月03日 | 生き物 自然


「純正霧が峰」を歩いてきた。
ここのところ行くのは、「オプション霧が峰」か「準
霧が峰」ばかりだったので、純正は久しぶりだ。
さすがにシーズンとなり、観光客がわんさかいる。
しかし彼らの殆どは、数百メートルを歩いてすぐ車で
移動というパターンなので、霧が峰に設定されてるハ
イキングコースを歩くことはまず無い。

ここにはいくつかのコースがある。
距離にして二三キロから二十キロまでと、そのときの
気分で自分で好きなようにアレンジできるのだ。
今回は、全長八キロほどの周回コースにした。
基本的には、「草原の中を歩く」なのだが、原生林の
ようなところもあり、それなりの変化も楽しめる。

その原生林のようなところを抜けたあたりにロッジが
あり、今回はここで休憩をかねて昼飯をとった。
水分補給でアイスコーヒー(インスタントエスプレッ
ソ味)、そして山菜ピラフをたのむ。
山菜ピラフにはマギーブイヨン味のわかめのスープが
付いて来た。
まるで家庭の味。
締めて1310円。
原価200円いくかどうか。
まあ山値段の許容範囲かな。
満足度は全く無いが。

一応英気を養って再び出発。
ここからは上りが続く。
しかも完全に草原。
直射日光が結構きつい。
足元からは草いきれが立ち上がる。
吾亦紅(ワレモコウという漢字はこう書くのを今変換
した瞬間知った)などないかと(以前はどこの野山に
あったが、最近ぐっと少なくなっている)観察しつつ、
三時間あまりのハイキング終了。

今回の反省。
水分くらいは持っていったほうが良かった。

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2006年08月01日 | 食べ物


地元にもそこそこの数の鰻屋があり、それなりに評判
となっている店もいくつかある。
この地方では、川魚屋が鰻の蒲焼を売る形態がそもそ
もの始まりで、その後鰻屋に発展していった(適当)。
嘗ては、諏訪湖でも天然物が普通に獲れたから。
だから、味付けの基本は、甘露煮的な馬鹿甘い洗練と
は対極のものとなる。
昔から食べなれていると気にならないが、都会などか
ら来た人が初めて味わうと、その甘さに卒倒する(大
袈裟)。

焼き方も、蒸しの入らない関西式が多く、照り焼きと
言ったほうが良いのではないかと思うほど。
以前は、他を知らなかったのでこんな鰻でも十分旨か
った。
ところが今は、全く食べる気にならない。
こういうのを世の中では、「舌が肥えた状態」という
のだろう。

はっきり言えるのは、関東風の蒸した鰻が好きな人は、
田舎の鰻を食べるときには、別の鰻料理として捉えた
方が良い、ということ。
蒲焼だったら、間違いなく東京のそれなりの店のほう
が旨いのだから。
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