こんな暑い時にとも思ったが、「映画少年Y」から借
りてずっとほったらかしだった、「ゴダールの映画史」
をとうとう見ることにした。
全編十二時間ほどの映画で、その一部分だという話だっ
たのだがこれがそのどの部分だとは聞いていなかった。
しかし、見初めてその辺のことは直ぐ分かった。
右上に、時間が表示されているのだ、しかも0.1秒単
位で。
カウンターは10:00:00から始まったから、最後
の2時間あまりがこのテープに収められているという
ことのようだ。
それより問題は、字幕がないということ。
フランス語の、独白のようなナレーションがずっと続
いていく。
当然のこと、何を言ってるのか分からない。
映像は、実際の映画の断片をモンタージュしたものが、
これまた次から次と延々と続く。
そこに、フランス語の文字が重ねられる。
このようなコラージュ的な手法は、最近のゴダールの
特徴でもあるが、正直なところ、嫌いではない。
むしろ好きだ。
映画と言っても、全く会話はなく、物語も一切なく、
これは正しく「ゴダールの映画史」だと言うしかない
のだが、一般的には「なんだこりゃ」と一蹴される代
表的映画であることは間違いない。
嫌いではないが、それにしてもフランス語の洪水はな
かなか受け止められない。
そんな中でも、たまに理解できるフレーズがあると、
ちょっと嬉しくなったりするし、むしろ、映像と文字、
そして言葉の重層的世界に身をゆだねるのがこの映画
の楽しみ方かな、と思ったりもする。
そのお陰で、二三度睡魔に襲われた。
先に、過去の映画の断片を、と言ったが、なかなかそ
れが何かは分からない、
だから、分かった時は、これまた嬉しいのだが、写真
では「小津安二郎」「バスターキートン」ははっきり
認識できたが、それ以外の多くの監督らしき人物はよ
く分からなかった。
「チャップリン」ではなく「キートン」というのが、に
くいところだ
フィルムも、数多く引用されている。
なにぶんにも古い映画が多く、これも分からないのが
多い。
流石に「ヒチコック」は分かったが、それより嬉しかっ
たのは「狩人の夜」をみつけた時。
ロバート.ミッチャムの変質者ぶりが秀逸で、それに
も拘らず映画は幻想的なメルヘンの域に達していると
いう、実に個性的な作品で、個人的な映画史でも間違
いなくベストテンに入れたいと思っている映画だ。
「La nuit du chasseur」とタイトルが出たが、フラ
ンス語でもそのまんまや、と何故か嬉しくなってしま
った。
「狩人の夜」、決してあずさに乗って夜移動ではない。