ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

高原

2007年08月04日 | 食べ物


一番の観光シーズンだから、高原の店はどこも混雑と
昨日書いたが、その中でも一際混雑する店というのが
何軒かある。
そういう店は、確かに流行る理由というのはあるのだ
が、ここが問題なのだが、必ずしも「美味しいから」
という理由だけで流行っているわけではない。
むしろ、そんなに美味しい店ではないというのが多い。
勿論、自分の基準からするとという話だ。
実は「並ぶ店に美味しいものは無い」という法則を密
かに温めている。
好みの問題と言ってしまえばそれまでだが、過去もう
一度並ぼうと思った店がないのは事実だから。
並ぶに値する秀逸な味とはとても思えないのだ。

それは多分、味付けに問題があるからだ。
その味をどの辺に置いているかというのが、その流行
る店の重要なポイントであることは間違いないが、そ
れが、コンビニ利用者多数派の味覚に違和感の無い味
付けになっているのだ。
つまり、それ故に、こちらからすると全く魅力の無い
ものになるのだ。
これは、本格的料理が受けないという現象にも通ずる
ところだと思う。
この場合の本格というのは、日本風にアレンジしない
本場の味付けという意味。

しかし、考えてみれば当然のことだ。
日本人には日本人の好む味というのがあり、その全体
の嗜好に合わせた味を探求して提供するのがコンビニ
なのだから、コンビニの味が即ち日本人の一般的好む
味となるわけだ。
並ぶ店というのは、多数派に受けないと成立たないの
だから。
他の理由、単に有名だから並ぶというのは現実として
あるが、それなりに利用者が満足しないと長くは続か
ない。
確かに、並ぶ店になるまでは良かった(コンビニ的で
はなく)という店もある。
そこには美味しいという理由(CPを含めた総合的に
美味しいという)が確かにあった。
その結果、並ぶようになり、有名になり更に並ぶよう
になるという、理想的な展開になりその状態を維持し
ている。
しかし反面、並ぶようになり質的に落ちるという事実。
数を捌くために同じやり方では出来なくなるから。
ここで金勘定を優先すると、そういう店になるのだが、
客のほうはそれが分からず装置、情報だけで美味しい
と思ってしまう。
そして、質的な低下が、結果コンビニ的になるという
皮肉。
ざっと見てみると、そういう店の方が多いと思うのだ
が。
だから「並ぶ店に美味しい店は無い」というのは、単
に好みの問題ではなくそれなりの根拠があることだと
思う。
強ち間違いではない、ということだ。

「美味しい店は無い」というのは極端だが、同程度の
店は他にいくらでもあるというのは、かなりの確立で
言えることではないか。
「どうしてあの店がそんなに流行るのか」の不思議は、
常々感じることなのである。
コメント