ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

真夏の夜の花火

2007年08月16日 | Weblog


年々人が多くなる「諏訪湖の花火大会」。
15日の夜諏訪地方に来る人は、よほど覚悟しないと、
うんざりすること間違いない。
昼前から、甲州街道は渋滞が始まり、それが夜まで続
き、花火終了の9:00からは、渋滞を通り越して、
全車路上駐車状態となる。
普段十分で行くところを、四五時間。
よくこれだけ来るものだと感心する。
それだけ魅力的?
人口五万ほどのところに、その十倍の見物客が押し寄
せるのだから、推して知るべし、だ。

その花火が上がる諏訪湖から直線距離で1.2キロほどの
家からも、花火の上の部分は見られるのだが、そんな
ことより、見る気がなくても音で脅かされ、その存在
を否応なく身体にぶち込まれる。
どうも、数ある他の花火大会との明らかな違いは、そ
の音のようだ。
諏訪湖があり周りを山で囲まれている地形、つまり盆
地なのだが、それがちょうど自然の共鳴装置のように
働いて、良く反響するのだ。
下手に湖畔辺りで見ると、まずその音でびっくりして、
次に爆風でびっくり、という状態になる。
和太鼓は身体で感じるものだが、花火もそうだったの
かと、新たな認識を得ることだろう。
この体感花火は、ひょっとしたら諏訪湖の花火が一番
なのかもしれない。
そういうものが好きな20代が特に増えつつあるとい
うことは、そんな理由があるからではないだろうか。
個人的には、うるさ過ぎて間近で見るのは好きではな
いが、遠くから眺める分には問題ない。
それなりにきれいだと思う。

団扇片手に窓辺により、遠くの花火を眺める。
いつか見た風景であるような気がするが、実際浴衣を
着てそうやった人が多くいるとは思えない。
原型は、京都の大文字焼きの風景なのではないか。
「日本の情緒」を感じさせる夏の風景。
多くの「日本的」と言われる原型は、京都の風景であ
ることが多い。
つまり、テレビで映像として「夏の風景」として繰り
返し流すので、いつしかそれがイメージとして定着し
て、本人も気付かないうちに、行ったこともないのに、
それこそが「日本」だと思ってしまっている。
そういうことは、結構多いのではないだろうか。

コメント