故 神崎敏則さんの追悼特集
去る8月13日に胃がんにより逝去された神崎敏則さん。阪神間道路問題ネットワークでも主要なメンバーでした。財政などを担当していた時期もあり、尼崎市で例会を開催する際は、その手配などをして頂いていました。この交流誌『みちしるべ』にも、44本の原稿を投稿されました。しかしながら、近年は足が遠のいていたことから、彼と親しかったメンバーは少なくなりました。
当ネットワークは1995年5月25日に、故 砂場徹 初代代表のお宅に5人が集まったことに始まり、7回の準備会の後に、1996年1月14日に芦屋市翠ヶ丘集会所で第1回の例会を持ちました。『みちしるべ』創刊は1999年9月号です。神崎さんが例会に初参加されたのは2000年12月23日の事でした。2002年頃からは主要な参加メンバーになり、特に理論面での貢献が大きかったように思っています。最後の例会参加は2015年1月24日でした。
道路建設が終了し、運動が終了したところも多くなり、また、既に彼を知る多くの方々がお亡くなりになりました。そんな中で「みちと環境の会」の平出代表が、彼を知る人に声をかけて頂き、追悼文を集めて頂きました。
原稿の届いた順番に掲載させていただきます。改めて彼を思い出していただければ幸いです。
彼の『みちしるべ』投稿の最終は2016年7・9月合併号(第94号)でしたが、お亡くなりになっても原稿に貢献するところなど、彼らしいと思えるのです。
編集長代理
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます