故 砂場 徹 さんのバックナンバーのアップが終わりました。『みちしるべ』のデジタル記録が、余り残っていないのが作業を大変にしています。創刊が1999年ですから、その頃はブログたちあげなど、考えも及ばない事でした。印刷してしまえば、印刷物が記録の総てと考えられたものでした。
でも、便利な時代になりましたね。スキャナーでPDFファイルに読み込めば、テキストファイルに変換すことができます。「読んでココ」(Windows 98 当時)なんてソフトを使っていた頃は、随分苦労したものです。とはいうものの、やはり変換ミスも多く発生します。製本したものをスキャンするので、とじしろ部分が写らなかったりします。
また、何度も校正して印刷している筈なのに、誤字脱字が発見されたりします。明らかな間違いは、訂正しています。にもかかわらず、まだ誤字があったらごめんなさい。
このブログの見方
さて、ブログ立上げはVol.76(2013/1)からです。新刊モノだけであれば、新しい記事から古い記事へと整然と並んでいるのですが……。バックナンバーについては、ランダムにアップできるものからしています。
そのために、読みたい記事を探すのに苦労されると思います。問題解決のために、カテゴリーのトップに<『みちしるべ』目次>を設置しました。
<『みちしるべ』目次>のカテゴリーをクリックして頂ければ、目次のページが現れます。このブログの1ページの字数が10000字という制限があります。したがって、10号毎に1ページに並べています。
各記事の表題にリンクを貼ることにしています。Vol.76からは総ての記事にリンクが貼ってあります。それ以前の記事はアップされていないモノもあります。アップされていないモノは表題が黒字のままです。リンクを貼ってあるモノは、ピンク色の字になっています。その表題をクリックして頂ければ、その記事のページに飛ぶことになっています。
ぜひ、試していただけるよう、お願い申し上げます。
平和問題に関する記事のタイムリー
砂場さんは、大阪空襲を経験し、直後に召集されて満州に。そこで敗戦を迎え、シベリアに4年間抑留されています。彼の体験は、そのまま戦争の悲惨さにつながっています。
戦争の悲惨さについては現存する多くの人々、私も含めて「戦争を知らない子供たち」であり、本当のことを知らないのです。知っている人は、言い伝える必要があります。でも、「赤い夕陽」の三橋さんではないのですが、「語りたがらない戦争体験」があるのです。
砂場さんは気骨のある方で、自らを恥ずかしいと思うことも含めて、語るべきことは総て語っています。それが著書『私の「シベリア物語」』となっています。アップした22の原稿にも、戦争の悲惨さを多く語られています。
あってはならないことですが、憲法9条を変えてしまって、戦争をする国にしようという動きがあります。そんな中で、砂場原稿は光っていると思います。戦争体験者のなかには、目頭が熱くなる方もおられるかもしれません。
最後に、まだ元気であった頃の砂場さんの写真を載っけておきます。例会、集会や総会の後には、良くカラオケに行ったものでした。私は好きではなかったのですが、誘われると断りきれず、色々のお店につれて行かれました。この写真もフィルムカメラで、多重露光(同じコマ上に複数回写す)したものです。アナログですねぇ~。
いまは、その総てが閉店してしまっています。思い出をたどることもできません。『公園の手品師』『街のサンドウィッチマン』などを歌っている砂場さんを思い出すと……、懐かしく涙することもあります。
鳩が飛び立つ公園の
銀杏は手品師
老いたピエロ……
編集長代理 藤井隆幸