『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**横断車道 (97)**<2019.冬季号 Vol.105>

2020年02月24日 | 横断車道

横断車道(97)

2020年を迎えて、何が起こるのか?確かなのはオリンピック・イヤー。かつて、1964年(昭和39年)に第18回オリンピックが東京で行われたことは、今年の予定と合わせ常に報道され、年配者のみならず周知のこと。が、その21年前の出来事は、もう忘れ去られているのだろうか▼今年の開会式は新「国立競技場」であるが、前回オリンピックの「国立霞ヶ丘陸上競技場」(旧・国立競技場)の地に建て替えられたのは記憶に新しい。その21年前には、「明治神宮外苑競技場」があった場所である。ここまで書けば、1943年(昭和18年)10月21日に、出陣学徒壮行会が開かれたことを思い出す高齢者もいることだろう▼第二次大戦の戦況苦しく、学徒まで戦場へ送り出すことになった。学生服に脚絆を巻き、銃を担いだ学徒が、降りしきる雨の中、行進する映像は悲劇を彷彿とする。対して、前回の東京オリンピック開会式は、稀に見る晴天、高度経済成長する日本の中で、国民の感動を得るものであっただろう▼そう、オリンピックはスポーツと平和の祭典であるのだ。開会式で入場するアメリカの大選手団の後ろには、ソ連の大選手団が続いていた。1953年7月27日に休戦が成立した朝鮮戦争の当事国、北朝鮮の参加はなかったが…。閉会式では、各国の選手団が入り乱れて行進し、友好を深め合った感動は、思い起こす人も多いであろう▼1943年の出陣学徒壮行会と1964年の東京オリンピックの、その対照的な出来事のギャップは何なのだろう。ところで、今年と前回の東京オリンピックの違いは。様々な事柄がある中で、ロシアの国旗が入場できないことに、時代の変化を感じざるを得ない。事はドーピング問題とされているが、欧米とそのマスコミのロシア・バッシングは、いささか度を越えたものを感じざるを得ない▼国際的な政治評論の中で、ソ連崩壊以前の冷戦下の対立よりも、現在の対立の方が、より深刻であると評するものが多い。軍事力のレベルは、宇宙に及び、その破壊力は簡単に人類等を滅ぼす威力がある。国連の安全保障理事会は機能せず、根拠が嘘であったイラク戦争に始まり、一方的な言いがかりで経済制裁を連発するアメリカ。イランの司令官の暗殺などは、完全に国際犯罪であろう。敗戦国になれば、確実に絞首刑に処せられるはずなのである▼2019年の国際統計が発表され出すのであるが、GDP(国内総生産)でアメリカを中国が抜くのであろうか?為替相場でなく、実態を反映した購買力平価で比較すると、既に抜いているといわれているが。日韓の間がギクシャクしているが、一人当たりのGDPで、日本が追い越されているのだろうか?▼どうも世界情勢を反映した2020東京オリンピックになりそうだ。文中、パラリンピックを表示していないが、字数の都合であることをご容赦願いたい。(コラムX)

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『みちしるべ』**馬車が行く(斑猫独語 77)**<2019.冬季号 Vol.105>

2020年02月24日 | 斑猫独語

馬車が行く(斑猫独語 77)

澤山輝彦

 モーツアルト(1756―1791)は1762年以降、父につれられてヨーロッパ各地を旅行します。馬車での旅です。当時の馬車にバネはついていたのだろうか、都市周辺以外はきっとひどい道で、揺れのひどい過酷な旅をしていたのでしょう。

 日本では江戸幕府は幕末まで殆ど馬車交通を認めませんでしたから、福沢諭吉が遣米使節団の一員として渡米、サンフランシスコで馬車を見て驚いているのです。万延元年(1860年*明治元年から8年前)のことです。この遅れ具合はどうでしょう。もっと早期に馬車交通を認めていれば、平賀源内の生きた時代もありますから、あの奇抜な源内は独特の馬車に関する何かを発明していたかもしれません。

 とにかく江戸時代から明治時代初期にかけては人力車、馬車などが道路を走る乗り物だったのでしょう。いや昭和21~22年頃、終戦直後は、まだ人力車で往診に出るお医者さんがいたのを見ています。馬車の出現と鉄道の発達は時を同じとするような具合だったので、鉄道の発達に伴い馬車交通、乗り合い馬車は地方の鉄道の駅からの便などとして残ったそうです。そういえば荷馬車、馬力とよんでいましたが、これは働いていたのを見て知っていますが、大阪市内で育った私は乗り合い馬車というものは見たことがない。ですから童謡、歌曲、歌謡曲などに出でくる馬車という言葉に私は常に違和感というようなものを持っていました。ロマンを醸す言葉に過ぎないと思っていました。

 でもやはり地方では馬車があったのです。岡本綺堂の青蛙堂鬼談という短編奇談集には、こんな風に馬車が出てくるのです。時は明治24年の秋とあり「……わたしも親父と一緒に横川で汽車を下りて、碓氷峠の旧道をがた馬車にゆられながら登って下りて、荒涼たる軽井沢の宿に着いたときには……」(木曽の旅人より) 。もう一つは乗合自動車があった時代らしいが「……第一に値段がよほど違うので停車場に降りるとすぐに乗合馬車に乗り込んだ……」。この馬車の馬は暑さと酷使のため途中で倒れます(水鬼より)。いかに奇談創作とは言え考証はされていると思います。

 馬車か、それがどうしてん、と言われるかもしれません。あるお方が馬車から手をふっておられたのをテレビで見た事に刺激をうけたのですが、一寸調べている内に、そんな馬車、人力車が交通手段になってきた時代にも、それらとの交通事故はあり、どちらが悪いかという意見があったり、車道、歩道の区別がないのがそもそも原因であるという、今でも通用する意見が当時の新聞に出ていたのを知り、我々日本人にはその当時の遺伝子が、今だどこかに残っているのではないかと思ったりしたのが、今回の独語になったわけです。

参考文献 斎藤俊彦;著 轍の文化史―人力車から自動車への道― ダイヤモンド社 1992

おまけ   日常的に使われている馬車という写真を、ウクライナ西部ベレホベにて、というのを2019年12月23日付け毎日新聞で、復活始めた「大ハンガリー」という特集で見ました。また「ニーチェの馬」というなんともいえない芸術的なハンガリー映画にも馬車が出てきました。

 

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『みちしるべ』**人生きままなタイ旅行**<2019.冬季号 Vol.105>

2020年02月24日 | 平出正人

人生きままなタイ旅行

平出正人

 2月6日(早朝・関空発)から11日(早朝・関空着)までタイ・バンコクに行ってきました。参加者は友人が1名と、あとの3名は初対面の女性ばかり、シャイボーイの私にとっては緊張のしっぱなしでした。でも、みなさんインパクトが強く、とてもおもしろい方々でした!

 今回の旅行は運動や活動とは一切関係なく、私自身の娯楽・息抜き・3月退職前のご褒美です。巨大ショッピングセンターやスーパー、市場で買い物を楽しむ。朝の食事はホテル、昼・夜は屋台やレストランで、当然食事にアルコールは必需品です。グリーンカレーやトムヤムクン等、絶妙のスパイスや多様な素材を組み合わせた奥深~い味のタイ料理を満喫しました。

 滞在中4回もタイ古式マッサージに通う贅沢三昧。マッサージを受けている時の脳内はアルファー波で満たされ、半覚半眠の状態になり、精神が安定し、心身ともにリラックス。日々の労働や活動に疲れた“ココロとカラダ”を癒すことが出来ました。初めてヨガも体験しました。

こんなんありかいな?

 バンコクでの交通手段は高架鉄道「BTS」や地下鉄「MRT」、タイ旅情を最も満喫できる!屋根つき三輪タクシー「トゥクトゥク」に(5人乗りのはずが運転手含めて6人も乗車。シートベルトをするようにって注意してきた運転手本人が、シートベルトをしていない⇒これって道交法違反では?)。おまけにモーターボートや自転車でのサイクリングまで体験することができ恐悦至極、感謝感激「ขอบคุณ コープ クン」。

 交通手段の極めつけはバイクタクシー!交通渋滞が激しいバンコクの道でも、車の間をスイスイと走り抜けていき渋滞知らず。それも3人乗り(3ケツ)OK。運転手はヘルメットをするけど客はノーヘル。運転手は少しでも稼ぎを増やしたいので、客を早く届けて次の客を迎えに行こうとします。それだけに車に接触したり、バイク同士の事故は少なくないということを後で聞いて青くなってしまいました。

おススメの『世界遺産アユタヤ観光と象乗り体験』

 バンコクの北約80kmに位置するアユタヤは、かつてタイ内陸の交易の中心として繁栄したアユタヤ王朝の都です。現在は当時を偲ばせる遺跡が残され、世界遺産にも登録されており、バンコクから気軽に旅行できる観光スポットとして知られています。

 観光客は象使いと一緒に象の背中に乗って周辺を巡り、象の背中からはアユタヤ遺跡を眺めることができます。象の背中に揺られながらの遺跡散策はまさに格別。高い視点から見る遺跡は、通常とは異なった見え方がして、とても不思議な気分になりました。独特な造形美の寺院、長い年月を経て樹に埋もれた仏像の頭など、14~18世紀に王都として繁栄した古都アユタヤを是非ご覧になって下さい。

最後に、自由気ままな人生を!

 昨年5月にキュ-バを訪問し、今年はタイ・バンコクへ!あとは朝鮮半島の38度線、イムジン河(がわ)を見ることができれば、私の人生、思い残すことはありません。

 

 

 

 

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『みちしるべ』**神隠し考**<2019.冬季号 Vol.105>

2020年02月24日 | 北部水源池問題連絡会

神隠し考

北部水源池問題連絡会
林 和好

 昔聞いた話だから詳しいことは忘れてしまったが、神隠しは高度経済成長期の始まる前には各地でよく聞かれた話しらしい。

 富山県礪波郡東般若の散居村としても有名な在所で、ある日の午後、忽然と一人の若者が姿を消した。昭和2~3年頃の出来事らしい、丁度田植えも終わりかけた6月中旬頃であったそうだ。

 村は大騒ぎとなり、村中の人々が総出で鉦や太鼓を打ち鳴らし、山や川や野原をくまなく捜し回った。しかし、若者は見つからず、その内だれかれとはなしに天狗が連れ去ったのではないかという噂が立った。

 村外れの境界はいくつかに分かれており、その辺りは怪しみ恐れられていた。そこには昔から天狗が舞い降りるという大木があり、村の人たちはその大木に天狗が降りて来るのを何人も見ていた。夜、村人たちは提灯をかかげ大木を幾重にも取り囲み、かえせ、かえせと大声で叫びながら、天狗が下りてこないか見張ったそうだ。

 数日後、若者は信州の山奥で発見され、地元の警察に保護された。若者は天狗に引きずり回されたらしく着衣はボロボロ乱れ、全身傷だらけだったそうである。

 村から遥か遠く離れた信州の山奥まで幾つもの険しい山谷を越えて、数日で行けるのはやはり天狗の仕業に違いないと村人は思ったそうだ。

 神隠しは本当にあったのであろうか。民俗学辞典によると「人が突然行方不明になり、数日捜しても見当たらぬ場合、往々にして人々は神隠しにあったといった。ことに子供に多く、まれに大人の場合もあった」と記してある。

 大人が神隠しにあった記録は少ないらしい。「耳袋」には「神隠しというたぐいある事」というなかで、18~19才の大工の息子が神隠しにあった話しが、「現代民話考l」(松谷みよこ 編)には大人の神隠しの話しが収録されているが、文献として記録されている事例は極めて少ない。

 「近世神隠し考」(山本光正 著)には「家出の原因を神隠しとしたのではないか。家出人や欠落人や出奔人が無事帰村した場合、神隠しという救いの手段として用いられた。過去を水に流す方法 の一つだった訳である。」また「成人の神隠しについての記録は少ないが、これは実際起きた神隠しより、家出人の救いとして用いられた神隠しの方が多かったため、近世の記録や伝承として残 ることが少なかったのであろう」と 推察している。

  柳田国男の「遠野物語」に は「黄昏に女や子供の家の外に出て居る者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ」と書いてあるが、黄昏時に行方不明になることが多かったらしい。ある地方では、夕方のかくれんぼは戒められている所もあったと聞いたことがある。

 吉本隆明も共同体の枠組の強い時代の異種の共同体の男女間の交通のあり方、結びつきは「神隠し」や「物隠し」や「ひとさらい」の外に考えられないと語っている。

 内山節の著書「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」には昭和40年以降、キツネにだまされたという話が社会から発生しなくなった。魔物の住む場所、世界がなくなってしまったのか。天狗の物語と通ずるものがあるような気がする。

 小松和彦は「神隠し」の著書のなかで神隠しとは、要するに失踪時には、人隠しであると同時に、こちら側の現実隠しであり、帰村時には失踪期間中の体験隠しである。家族生活や学校生活、会社勤めに疲れきった私たちには、現代こそ実は「神隠し」のような社会装置、突然帰還した人を 以前と変わらぬように、自然と迎えてくれる、そうした思いを実現してくれる装置が必要ではな いかと述べている。

 話しを初めに戻そう。神隠しにあった若者は帰村し、どのように取り扱われたのか、残念ながらその顛末は知らない。その後聞いた話しでは、若者が失踪するその日の午前中、徴兵検査を受けたそうだ。また、その日の夕方、松本行きの貨物列車が高岡駅から出ていたそうだ。天狗の神隠しがそのことであったかも知れないという噂が一部に流れたとも聞いた。

 

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『みちしるべ』**人は火がつくと動き出す**<2019.冬季号 Vol.105>

2020年02月24日 | 平出正人

人は火がつくと動き出す

平出正人

南西諸島への自衛隊配備反対の声を!

 南西諸島は、九州南端から台湾北東にかけて位置する島嶼(とうしょ)群で、その一つが宮古島です。沖縄から南西へ290kmに浮かぶ宮古島と、その周辺に存在する7つの宮古諸島。宮古島には川がありません。川がないということは海へ不純物などが流れ出ることがないので、この島を訪れてみると、なるほど何処の海岸も美しく、沖縄の他の島々と比べてもその美しさは段違いです。白い砂浜の海岸はもちろん、台風が来るたびに砂が大移動し、常に景観を変えるこの絶景を一目見ようと、宮古島には毎年多くの観光客が訪れます。

 私が初めて宮古島を訪れたのは今から20年位前のことです。その時は友人の営む民宿「久松館」に宿泊し、本当にお世話になりました。南国の青い空、青い海、のどかな風景。陽気な島の人たちに囲まれて、「東洋一美しい海」を心ゆくまで満喫しました。当時は伊良部大橋も架かっておらず、フェリ-で島に渡たりました。地元のおっちゃんが「橋を架ける計画があるが、生態系に影響がでるのではと心配している」と言っておられたのを覚えています。

 ところが、2015年頃から『自衛隊配備』に関するメ-ルを友人から、度々いただくようになり、宮古島が危ない、南西諸島が危ないと痛感してきました。しかし、新聞やテレビではほとんど情報が入ってきません。昨年4月に仲間と宮古島へ行き、軍事基地化されていく島の現状を目の当たりにしました。

今私たちに何ができるのか?

 私たちにできることは歴史や現状を正しく理解すること。しかし、それだけではダメだと。理解したうえで何かしなければ、何か行動を起こさなければ!との思いで、『南西諸島への自衛隊配備に反対する会(準備会)』の集まりを昨年7月に持ちました。そして12月末に再度宮古島・石垣島へ行ってきました。

 今一番の問題は“沈黙と無関心”です。私たち一人ひとりは微力であっても、決して無力ではありません。一人ひとりがつながれば大きな力になります。「南西諸島への自衛隊配備反対」と声を上げていきましょう!今こそ、屈せず、諦めず、明るく、したたかに、お互いに心を寄せ合いながら、幅広い活動を続けていきましょう。

 私の好きな言葉の一つに、田中正造の『真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし』があります。そこに『海を荒らさず・基地を造らず』を付け加えて、その言葉をかみしめながら皆さんと共にこれからも頑張っていきたいと思います。

 

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『みちしるべ』**安全より政官財癒着の利権優先の道路政策**<2019.冬季号 Vol.105>

2020年02月24日 | 藤井隆幸

安全より政官財癒着の利権優先の道路政策

藤井隆幸

 2019年8月24日の朝日新聞Web版のニュースに、以下のような記事があった。

修繕必要な橋やトンネル 7割が未着手

 全国にある橋やトンネルのうち、5年以内に修繕が必要なのは7万3000か所余りに上り、このうち7割ほどが修繕に着手できていないことがわかりました。特に地方の自治体に多く、費用や人材の確保が課題となっています。
平成24年、山梨県にある中央自動車道の笹子トンネルで天井板が崩落し9人が死亡した事故を受けて、国土交通省は橋やトンネルを管理する自治体などに、平成26年度から5年に1度の点検を義務づけています。

 その結果、ことし3月までの5年間に全国およそ72万8000か所の橋やトンネルの点検がおおむね終わり、今回初めてその内容がまとまりました。

 それによりますと、次の点検が行われるまでの5年以内に修繕が必要とされたのは7万3000か所余りでしたが、このうち7割ほどにあたる5万6000か所余りでは修繕に着手できていないことがわかりました。

 内訳は、橋が5万3600か所余り、トンネルが2800か所余りで、特に都道府県や市町村が管理するもので修繕が進んでいないということです。

 背景には、費用の確保が難しいことや、専門的な技術を持つ職員の減少などがあるということで、国土交通省は「交付金や補助事業に引き続き力を入れるとともに自治体と連携して必要な修繕を進めていきたい」としています。

 2020年(令和2年)度の国土交通省道路局の予算を見ると、地方単独事業の内容がどこにも記されていない。従って、国の直轄事業と地方に対する補助事業、それに有料道路(主に自動車専用道などの高速道路)事業を見ることにする。

 直轄事業は1兆5795億円、補助事業は7945億円、有料道路事業は2兆5419億円、その他1448億円、合計5兆607億円である。直轄事業の内、維持補修費用は3945億円(25%)で、補助事業では3857億円(49%)でしかない。この中には、舗装のやり直しなどを含む。有料道路事業は不明である。

 新聞記事にある「修繕が進んでいない」のは、国の予算に表れていない地方単独事業が中心であると考えられる。昨年(2019年)4月1日現在、高速道路は約9,000km(0.7%)で、国道は55,700km(4.5%)、都道府県道は129,700km(10.6%)、市町村道は1,030,400km(84.1%)である。地方単独事業は、その殆どが市町村道であることから、深刻さは理解できる。

 維持補修事業は比較的大きな予算を伴わない。対して新設道路は、莫大な予算を占める。東京オリンピックなどという事情で、大規模建設事業にシフトしている。このようなイベントなどの出来事は、半世紀以上継続しているのが実態だ。考え直す時代に、既に突入しているのではあるが、国土交通省の予算を見る限り、命に係わる維持補修は実態を伴ったものとは程遠い。

 町村道など維持補修に必要となる橋梁は、少ないだろうと思われるかもしれない。しかし、高速道路が町村道を分割してしまうことは多くある。生活に支障があるので、谷状に分割された部分に、高速道路建設費用で、何億円にもなる立派な橋が建設される。この橋は、高速道路完成の暁には、町村に譲渡されてしまう。点検と維持管理は、町村の地方単独事業となってしまう。

 町村にとって技術も予算もない、このような今すぐ対策が必要な橋梁が、高速道路の上には、全国に200ヶ所以上存在する。コンクリートの破片が落下すると、下を走る高速道路では重大事故になる可能性があるのではあるが。そのような状態が現在進行しているのは、多くのドライバーには知らされていない。国土交通省は、またまた「想定外」だったというのであろうか?

 

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