岩殿寺から三番田代寺に向かう。
八幡宮の方にもどっていく形となり名越の切り通しを抜ける。
道路は人車共に行くトンネルとなり、鬱蒼とした雰囲気である。
鎌倉七口のひとつ名越から歩いて行けるほどの距離であるから武家の首都たる鎌倉は広さからいえば実に狭い。
切り通しを開く前は鎌倉に入るのに山を踏み分けて行くか、稲村ヶ崎から海岸をゆくしかない。
「鎌倉は自然の要害」とは確かにそうであるものの泰平の世となれば使いにくい街である。
要害という割に鎌倉はよく落ちた。
さて、約3km歩いて安養院に納経。
安養院とは北条政子の法名である。
政子が頼朝の菩提を弔うために建立した寺が移転してきたのが当寺となる。
境内はこぢんまりとしている。
納経所の庫裏で若いお坊さんに四番の道を聞いたら、
「電車でもいいけど、天気も良いので歩いて行ったら」とのことで、歩いて行くことにした。
御詠歌 「枯樹にも 花咲く誓ひ 田代寺 世を信綱の 跡ぞ久しき」
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