上賀茂神社、正式名は賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)という。
境内はたぶん、下鴨神社(こちらは賀茂御祖神社〔かもみおやじんじゃ〕)の方が大きいと思うが、市内を遠く離れ鄙びた街にあるここはとりわけ清潔感・緊張感がよい。
祭神、賀茂別雷神は雷神である。
678年、天武天皇の代に社殿の基が造られた。
裏口から行くと例の平安騎馬隊専用車がきている。
意外に境内は人出もそれほどでもなく、桟敷席も空いているようだ。
一ノ鳥居から二ノ鳥居までの道がメインストリートに設定されているのだろうがまだ場所取りしなくてもよさそうな感じである。
上賀茂は遠いのと祭り見物も市内ですませているのであろう。
境内を歩く。
実は本殿にも入ったことがないのだが、今日は祭りのこととて拝観はできない。
そうこうしているうちに祭の先頭が到着。
先頭は騎馬。
その後、女衆などが続く。
おもしろいのは牛車。牛が車をひく。
葵祭の起源は6世紀、欽明天皇の代に溯るらしい。神社よりも早い。
風水害が起こり占いで賀茂の神の祟りと出た。
神の怒りを鎮めるために馬に鈴をかけ人は猪頭(いのがしら)をかぶってかけくらべをしたところ風雨が収まった。これが祭のはじまりとされる。
その後、勅命により祭の次第が定まり、平安時代を通じ、法皇・上皇も見物に出るほどの人気であったという。
当時、祭といえば賀茂祭をさしたらしい。
平安京都の「The festival」といえる。
賀茂祭と呼ばれたこのイベントも応仁の乱で中断する。
復興するのが江戸時代の元禄7年(1694年)。
将軍は綱吉、元禄時代は上方文化が花開いた文化の一大バブル期であり、この時、賀茂祭が再興され、以降葵祭として明治まで続いていく。
明治時代に一度、太平洋戦争中にも中断した。
葵祭の主役は女である。
斎王と呼ばれた皇室から差し向けられた女子が巫女として賀茂神社に出向き祭事を行う。
斎王は伊勢神宮にも出向した。
今では、斎王は市内の良家子女が選ばれ、斎王代となる。
日本の祭で女が主役というのは珍しい。
京都三大祭とは葵祭の他、時代祭と祇園祭がありそれぞれパレードに趣向がある。
葵祭は平安王朝風俗、祇園祭は山鉾巡行、時代祭はコスプレである。
今回、やっと京都三大祭全てを視たことになった。
帰途に着く。
バスを乗り継ぎ河原町三条へ。
ホテルに荷物を取りに行く前にちょっと寄り道し、スターバックス三条大橋店の桟敷から比叡山を望む。
京都の北の景観の思い出の一番はこの風景。
ここは多分、京都で最も有名なスタバであろう。
夜の仕事の予定を決め、名古屋に向かった。