日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

時代錯誤の“フィクサー政治”に終焉を

2007-11-08 | ニュース雑感
小沢辞任騒動の続編を。

3日間にわたるドタバタ騒動は、「辞任発表」→「慰留」→「留任」と言う流れでとりあえず決着をみました。小沢氏に関して言うならば、「オソマツ」の一言。それ以上のコメントをする気にもなりません。むしろ、モノを言いたいのは、昨日の会見でも話にのぼっていた“総理の代理人”渡辺恒雄読売グループ会長の件です。言論の公器たる日本最大の新聞社の指導的立場にあって、紙面の私物化および政治の黒幕的暗躍をするとは、なんたる思い上がりの行動であることか。一連の騒動に関する私の感想を、見事に「あきれ」から「怒り」に変えてくれました。

そもそも渡辺恒雄とは何者であるのか。
読売新聞記者として、中曽根元総理に気に入られ、その後読売新聞内で実権を握るにつれて、政府=自民党とのパイプを太くして独自の活動を続けてきました。そして、最大手新聞のトップにありながら、マスメディアのタブーたる政治権力との接近や私的見解による社論の構築をおこなってきたのです(ナベツネ読売を思い上がらせ暴走させた責任の一端は、ライバル紙たる朝日新聞の左派的主張の堅持による部数激減の体たらくにもあるのですが・・・)。

今回の件の発端は、同紙本年8月16日付社説「自民・民主大連立政権構想」にあります。その内容は、現在の衆参の与野党“ねじれ状態”を受けて、民主党にも政権責を分担させ、「大連立政権」樹立により国政の危機状態を回避せよ、というものでした。そして、この社説の筆者こそが渡辺恒雄氏その人であるというのです。

まずなによりも、「大連立政権」樹立は先の参院選における二大政党時代の到来を望む民意に反し、日本における真の民主主義理の浸透を阻害する理論であると言わざるを得ないものであります。
それを渡辺氏個人の考えとして世に問うのであれば、まだ問題のない話でありますが、言論の公器たるわが国最大手新聞の社説で言及するに至っては、言論機関の私物化はもとより、わが国民主主義を冒涜するものではないかとさえ言える異常な行動と言わざるを得ないのです。

しかも、それを新聞紙面上での展開に飽き足らず、“総理の代理人”として小沢氏に「大連立」の提案役まで買って出たと言うのですから、もう何をか言わんやです(先のブログでも記したように、福田総理にとっては、所詮無理な提案と思いつつも民主党の人気降下の役には立つと思ったのでしょう)。

渡辺氏の「大連立」提案に関する本当の狙いは、実はこれもまた読売紙面で再三展開されている、「憲法改正案」の実現にあるようです。
氏が熱心な憲法改正論者であることはつとに有名ですが、現状の2大政党化の流れでは、憲法改正に必要な国会議員の3分の2以上の賛成は到底ありえない状況になります。そこで、「大連立」により国会議員の3分の2以上の賛成が与党で得られる形をつくって、政界への太いパイプを通じて、81歳を迎えた氏の人生最後の仕上げとして念願の憲法改正を成し遂げようという魂胆だという訳です。

私は決して神経質な「護憲派」というわけではありませんが、このような恣意的な世論操作と政界陽動による改憲が行われたならば、国家は誤った方向へ導かれかねないと、大きな危機感をもって思うのです。

このように、影の大物としてマスコミという公器を私物化し国政の裏舞台で暗躍する“フィクサー”的行動は、昭和の時代の遺物であります。今世紀の機軸たるディスクローズの精神、アカウンタビリティの精神は、単に民間だけの申し合わせ事項ではなく、政府、政治の世界にも求められてしかるべきものです。その意味では、渡辺氏のような“フィクサー”的黒幕は、平成、21世紀の日本国においては不必要かつ排除されるべき存在でもあると思うのです。

今回の一件は、単に21世紀日本の政党政治のあり方のみが問われる問題ではなく、マスメディアの正しいあり方、メディアと政界の適正な距離の問題にももっとスポットをあて、各メディアが臆することなく、渡辺氏および読売新聞への批判を展開し本件に関する時代錯誤的行動を問いただすことを切に望みます。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (RED EAGLE)
2007-11-10 14:49:39
もっともです。困ったものです。裏の人間は第二次世界大戦でもあったようですね。暗躍する商人です。
返信する

コメントを投稿