昨日、スポーツクラブ運営の「ルネサンス佐世保」が、師走の銃の乱射殺害事件から1ヶ月ぶりに営業を再開したとのニュースを耳にしました。
この件に関して、被害者企業であるルネサンスの経営判断について、思うところを一言言わせていただきたく思います。
私は個人的に、この稀に見る凶悪事件の発生時に、「あー、このクラブはこの事件のために、移転あるいは閉鎖を余儀なくされてしまうな。お気の毒に」と、思いました。ですから、昨日の同社社長の再開に関する発表会見には正直驚かされました。企業経営者として、このような事件に巻き込まれた施設を再度使用すると言うのは、恐ろしく勇気の要る行為であると考えていたからです。
何をおいても、亡くなられた被害者の遺族の方々の感情はいかばかりか。その問題は、いかにお悔やみを申しあげて再開の了承を得てたとしても、企業経営の意思決定の前に大きく立ちはだかると思ったのです。遺族の方々にとって愛するかけがえのない家族が殺害された現場で、何事もなかったかのように営業を続けることは果たしてどうなのか。罪のない者が殺された現場が、皆が集う楽しい場所であったということの持つ意味を、運営企業としてどう考えるかという問題でもあります。
これは、コンプライアンスの問題ではありません。言ってみれば、企業経営における「ホスピタリティ」の問題になります。「ホスピタリティ」とは、一言で言えば企業の「おもいやり」「真のおもてなしの心」です。近年、サービス業において真のサービス実現を追及する姿勢が高まり、それを実現するための「ホスピタリティ」という考え方が一般的になりました。「親切で惜しみない態度でおもてなしをする」=「ホスピタリティ」こそが、これからの企業経営に求められているものであるとも言われています。
これらを踏まえて、ここからはあくまで私がルネサンスの経営者であったならば、という仮定のお話として聞いてください。
多くのプールに通う子供達も心にキズを負ったこの事件。遺族の気持、施設利用者ご家族の気持、それらを総合的に勘案するならば、たとえ現施設が無駄になろうとも、企業経営にとって大きな損失を被ることになろうとも、私ならこの施設の取り壊し・移転という道を選ぶでしょう(損害金は、戻ってはこないかもしれませんが、基本的には加害者遺族への損害賠償対象とはなる筈です)。
誤解のないように念のため言っておきますと、これは、経営判断の「良い」「悪い」の問題で言っているのではありません。
過去に大阪市で小学校に男が乱入して、複数の罪のない子供を殺害した事件がありました。その時に、関係機関は学校の事件があった校舎の取り壊しと、隣の敷地への立て替えを速やかに決定し実行しました。被害者が子供だから、場所が学校だからではないのです。この対応を見て私は、子供を同校へ通わせる親も含め、学校近隣の人たちも含め、凶悪な事件に精神的に関係させられたすべての人たちに対する、関係機関の“思いやり”ある英断であったと大変関心させられました。
この手の事件の現場において事後対応として企業が考えるべきは、防犯カメラの新たな設置などという次元の問題ではなく、この事件に関する「悪の記憶」部分を、どのようにして身近に起きてしまった人たちの心からそっと取り除いてあげられるか、ではないかと私は思います。
繰り返しますが、事件現場となった被害者企業を責めるつもりは毛頭ありません。ただ、このような事件に巻き込まれた場合、企業経営者は「ホスピタリティ」最重視の対応も重要な選択肢であることを認識した上で、最終的な経営判断を下すことを忘れてはならない、と申し述べておきたいと思います。
この件に関して、被害者企業であるルネサンスの経営判断について、思うところを一言言わせていただきたく思います。
私は個人的に、この稀に見る凶悪事件の発生時に、「あー、このクラブはこの事件のために、移転あるいは閉鎖を余儀なくされてしまうな。お気の毒に」と、思いました。ですから、昨日の同社社長の再開に関する発表会見には正直驚かされました。企業経営者として、このような事件に巻き込まれた施設を再度使用すると言うのは、恐ろしく勇気の要る行為であると考えていたからです。
何をおいても、亡くなられた被害者の遺族の方々の感情はいかばかりか。その問題は、いかにお悔やみを申しあげて再開の了承を得てたとしても、企業経営の意思決定の前に大きく立ちはだかると思ったのです。遺族の方々にとって愛するかけがえのない家族が殺害された現場で、何事もなかったかのように営業を続けることは果たしてどうなのか。罪のない者が殺された現場が、皆が集う楽しい場所であったということの持つ意味を、運営企業としてどう考えるかという問題でもあります。
これは、コンプライアンスの問題ではありません。言ってみれば、企業経営における「ホスピタリティ」の問題になります。「ホスピタリティ」とは、一言で言えば企業の「おもいやり」「真のおもてなしの心」です。近年、サービス業において真のサービス実現を追及する姿勢が高まり、それを実現するための「ホスピタリティ」という考え方が一般的になりました。「親切で惜しみない態度でおもてなしをする」=「ホスピタリティ」こそが、これからの企業経営に求められているものであるとも言われています。
これらを踏まえて、ここからはあくまで私がルネサンスの経営者であったならば、という仮定のお話として聞いてください。
多くのプールに通う子供達も心にキズを負ったこの事件。遺族の気持、施設利用者ご家族の気持、それらを総合的に勘案するならば、たとえ現施設が無駄になろうとも、企業経営にとって大きな損失を被ることになろうとも、私ならこの施設の取り壊し・移転という道を選ぶでしょう(損害金は、戻ってはこないかもしれませんが、基本的には加害者遺族への損害賠償対象とはなる筈です)。
誤解のないように念のため言っておきますと、これは、経営判断の「良い」「悪い」の問題で言っているのではありません。
過去に大阪市で小学校に男が乱入して、複数の罪のない子供を殺害した事件がありました。その時に、関係機関は学校の事件があった校舎の取り壊しと、隣の敷地への立て替えを速やかに決定し実行しました。被害者が子供だから、場所が学校だからではないのです。この対応を見て私は、子供を同校へ通わせる親も含め、学校近隣の人たちも含め、凶悪な事件に精神的に関係させられたすべての人たちに対する、関係機関の“思いやり”ある英断であったと大変関心させられました。
この手の事件の現場において事後対応として企業が考えるべきは、防犯カメラの新たな設置などという次元の問題ではなく、この事件に関する「悪の記憶」部分を、どのようにして身近に起きてしまった人たちの心からそっと取り除いてあげられるか、ではないかと私は思います。
繰り返しますが、事件現場となった被害者企業を責めるつもりは毛頭ありません。ただ、このような事件に巻き込まれた場合、企業経営者は「ホスピタリティ」最重視の対応も重要な選択肢であることを認識した上で、最終的な経営判断を下すことを忘れてはならない、と申し述べておきたいと思います。
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