とりとめなく安楽死

2013-01-22 09:49:51 | タナカ君的偏見
 つい先日の日曜日、夜9時からのNHKスペシャル「老人漂流社会」という番組の中で、 生活の場を病院や介護施設を1・2ヶ月単位で移り変わり、生きながらえている老人の姿を映し出していた。 その中で80歳を越えた寂しそうな表情しか画面には出て来なかった男性に対して、自治体の福祉を担当する職員が「今後寝たきり状態になった時、延命措置を望むか?」そんな意思確認の質問をする場面があった。 老人の答えは「行きられる限り生き続けたい(延命措置を希望)」だった。 それを「あんた人生面白いことなんかなさそうな顔しているのに、これからまだ人の世話(福祉の世話)になって生き続けたいのかい?」と僕は呟きながら眺めていました。

 そして今朝の日経紙では”副総理「さっさと死ねるようにして」”そんなタイトルで麻生副総理の失言として扱った記事があった。 まあその発言は個人的な考えを述べたらしいのだが、 対して民主党の幹部のコメント「社会保障について本当に温かいまなざしで国民をみているのか」との批判や、 麻生さんが発言を撤回したことを記事にしていた。 

 医療施設が身近に無い、医者に診てもらったり、投薬を受けたりする金がないから、受診を控える。 そんなの当たり前だった僕の子供時代、 「今の福祉社会のは行き過ぎているだろう」、「長生きするのが良いことか?」そんな疑問を持っている僕なんか、麻生さんの発言に「そうだよね」と賛意を表するし、 ”その後発言を撤回” なんてのを読むと、 残念な気もします。

 歳老いたら子供の世話になる、 子供も農作業の大事な労働力、 義務教育期間を過ぎて、家が貧乏だったら子供は外に働きに出る、 そんなのが当たり前だった昔の日本の社会。 それが今は子供が居なくても福祉・介護なんかの制度でヨボヨボ老人を支える方向に進んでいる。 更に大学まで進学させるのが当たり前の風潮、 そのため1人の子供を持ったら卒業させるまでに1千万円以上の費用が必要だとか。 こんなじゃ「面倒くさいから子供は要らない」、あるいは「子供は一人で充分」そんな考え方になる奴が増えたっておかしくない。

 だから昔は良かった! そんな主張をするつもりはこれっぽっちも無いけれど、 貧乏だった日本の社会、 そし60年以上経過して、行こうと思えば海外旅行にもビザ無しで多くの国に出かけられる様になった今の日本。 その両方を経験して来たのだが、 どっちが幸せか? 「似たようなものでしょう!」 そんな風に僕は思っています。

 今の生活で1週間に5回ある公民館での囲碁対局はとても楽しみで、言ってみれば生きがいの一つ。 しかし子供の頃に親父から 「戦争前、家の近くの銭湯では休憩スペースがあって、そこで将棋や囲碁を打ったり、世間話も出来た」 と聞きました。

 ”囲碁を打つ者にとって、今も昔も好敵手さえ居れば、ほとんど同じ程度の幸せさだよ!” それが僕の結論です。

 とにかく他人の世話で食べさせて貰って日々をベッドの上や車椅子で生活する、 それが半年以上続いたら俺は生きて居たくない、 そうも思っているのです。 ベルギーあたりでは「安楽死」の法律が制定されて、希望者は医者にそれを要求出来るとか。 日本だってそうすりゃ良いのにな。
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