-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

「背中炙り峠の楯」調査結果の中間報告(3)

2016-03-24 09:29:25 | 歴史

 「背中炙り峠の楯」調査結果の中間報告(2)に続いて、主要部分の写真を掲載します。下の写真は主郭[曲輪(7)]の北側にある櫓台です。図面には「櫓」と記しましたが、正しくは「櫓台」です。このような間違いはしばしばありますが、御容赦ください。この楯では主郭が最も高い場所になり、その上の櫓台はさらに高く聳えていたことでしょう。櫓の形は分かりませんが、当然のこととして大名たちの城にあった建物の形をした櫓とは大きく異なります。ここの櫓は、三内丸山遺跡にあるような丸太を立てて、その上に物見台を設えた程度のものと思われます。物見台にせめて屋根があったのであれば、何となく様になるのですがどうだったでしょうか。櫓の上からは直線距離にして6.2㎞北にある野辺沢城の櫓と交信できたでしょう。交信方法は狼煙(のろし)だったでしょうね。また、この櫓は村山側から侵攻する敵に対する監視の目的がありました。

 

 次に「南出羽の城」に出ていなかった楯の工作物と言うのか施設と言うのか分かりませんが、楯の一部を紹介します。曲輪(2)です。乳母木地蔵堂のすぐ西側にありますので、普通ならば容易にその存在を知ることができるのでしょうが、杉が植林されていて地蔵堂側からは分かりにくくなっています。逆に杉林に入ってしまえば、平たんな地形が分かります。曲輪と言っても面積が小さく、さらに曲輪の中央部分から二分されています。その北側半分が西側に向かって低くなっています。一見、通路かな思ったりもしましたが、その先は危険な急斜面です。不思議な地形です。

 

  曲輪(2)の南側に隣接して、一段低い所に曲輪(4)があります。二つの曲輪の通路となる虎口は発見されませんでした。単なる節穴と言われる私の観察不足かもしれません。曲輪(4)は主郭[曲輪(7)]に匹敵する広さを持っています。写真左側には、街道が向こうに向かって下っています。この曲輪も曲輪(2)と同様に街道(古道)の西側に隣接しています。防御という面から考えると、街道よりも低い位置と言うのは理解しにくいところがあります。だとすれば、この曲輪(4)は普通の曲輪と違う別の目的があったとも考えられます。例えば、街道の関所的な役割などです。南端で街道とこの曲輪の高さが同じになっていますので、その場所を詳しく調べれば、街道と曲輪の関係も推察できるのですが、残念ながら杉の植林の際に周辺が破壊されてしまいました。もう一つの目的として考えれるのは、村山側へ兵を進めるときの一時的な駐屯地の役割も考えられます。野辺沢城から進軍するよりも、ここで待機していれば、村山側で一大事があれば、より早く平和進めることができます。


 さて、楯そのものではないのですが、楯と一心同体のように楯に組み込まれた街道(古道)にも言及しておく必要があります。ここの街道は楯がある場所を通過する区間は、明確な「複線」になっています。それがずの「B」と「C」です。歴史の長い他の街道の場合は、路面が浸食されると自然発生的にその脇に街道が別に並行してできる場合がかなりありますが、ここは楯を作るために強制的に尾根上のルートを西側の急斜面に移されたものです。自然発生的に複線となったものではありません。意図的に複線化されたものです。この街道は野辺沢銀山から産出した金銀を運び、逆に野辺沢銀山の採掘に必要な大量な物資を運ぶ交通の要衝でした。当然、交通量も多く、一つの荷物も大きく重かったはずです。にもかかわらず急斜面の狭い街道では不便極まりなくて、街道の機能が著しく損なわれてしまいます。そこで「複線化」されて、上りと下りがそれぞれ専用としたはずです。大変珍しい「複線化された街道(古道)」と言えます。

 先ず複線の街道のBの写真です。楯が作られる以前からの街道と見られ、緩いつづら折れの道が長い年月で中央部分がU字型に窪んでいます。楯が作られる前はそのまま尾根に達していたのでしょうが、楯の切岸によって途中からバッサリと断ち切られ、北側へ方向を変えられています。


 複線のもう一つのルートは、上記のルートの下を通っています。途中に弘法清水という湧水がありますので、県道ができた後も楯岡へ行くときなどに昭和30年ごろまで使われていました。つい5年ほど前までは、上畑沢の人たちによって刈り払いが行われていました。


 複線の街道(古道)は、秋に落葉すると村山市側の県道から見ることができます。ほぼ並行して見えます。オレンジ色の線が街道Cであり、水色の線が街道Bです。


 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「背中炙り峠の楯」調査結果... | トップ | 「背中炙り峠の楯」調査結果... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事