-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

関嶺和尚の伝説

2013-07-13 15:48:03 | 伝説

 尾花沢丹生の巣林寺(すりんじ)に畑沢出身の関嶺和尚というお方がいたそうです。

 昔々、畑沢の街道を通っていた巣林寺の関係者があること気づきました。いつも通るたびに、手を合わせて頭を垂れる年端もいかない幼子がいたのです。不思議に思いその子に訳を聞くと、その子はお寺の人が通っているので拝んでいたと言うのです。巣林寺の関係者は、こんな幼子がそこまで見通していたことに感心し、寺で幼子を寺で育てることしました。やがて、成長して、立派な僧になったということです。その後は、数々の奇蹟を起こした伝説が生まれています。

 次の伝説は、尾花沢高校の郷土研究部が 昭和41年3月1日に発行した「尾花沢伝説集」から関嶺和尚にまつわる三つの伝説です。

 

    -118 関嶺和尚- (以下は原文のままです。)

 関嶺和尚は丹生村巣林寺の住職であったが、生まれは尾花沢市畑沢であったという。名僧として数々の逸話を残しているがその一部を紹介しよう。

一、 ある日のこと関嶺和尚は庭先の石に一生懸命水をかけていた。寺を訪れた檀家の人が「和尚何をしているのか」と問うと「今、仙台が大火事だからおれが消火に手伝っているのだ」という。檀徒も半信半疑でいた。

 ところで二、三日して仙台から数人の人が巣林寺に来て、先日の商家の手伝いに対して鄭重なお礼をして、これは仙台藩主伊達候の命であることを告げた。その巣林寺の庭石は今でも「火防石」と云われて残っている。

二、 関嶺水

 関嶺と水とは終生つきまとったものらしい。水の困るところには和尚の法力によって水や井戸が掘られている「関嶺水」(かんれいすず)などがその代表的なものである。

 

    ―82 吉兵エの土蔵―

 正厳の吉兵エ宅の土蔵は二百六十年以上たっても鼠が穴を通さず柱も腐らず不思議に現存しているという。

 巣林寺の関嶺和尚が入山する時、吉兵エが親元となったので、関嶺は吉兵エ宅で土蔵を建てる時土ふみ、建まえの手伝いをし「この土蔵は腐らないように、鼠が通さないように」と祈ったので今だに腐らず現存しているという。

 

 この伝説から推察して、畑沢で関嶺和尚の幼少期にその力を見出したのは、吉兵エさんだったのかもしれません。

 関嶺清水などの伝説は、全国各地に伝わる弘法水の伝説と非常に似ているところがあります。名僧や高僧の類はとかく神通力にまつわる伝説が多いようです。


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