-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

「オイヌ越え」の伝説(2)

2013-07-17 08:54:02 | 伝説

 次に三峰神社を建てた「源右ェ門」は、熊野神社を建てた有路家で代々受け継がれてきた屋号です。この家系は、延沢城があったころは家老職だったそうですが、最上家のお取潰しとともに延沢城は廃城になり、有路家は畑沢で農民となったそうです。そのことは、昭和60年に菅藤貞次郎氏が「古城山史話」に書かれています。この伝説で三峰神社を建てたと言われている者は、熊野神社を建てた何代か後の当主でしょう。この家系は、当時、下畑沢の名主格として続いていましたから、話として無理がありません。ただし、現在の当主は畑沢に在住されていないようです。

 

 最後に「オオカミ越え」の場所を推察します。伝説では、「西の沢」の小字名だったということになっていますが、現在の「西の沢」は、下畑沢の下流西側にある小さな沢で、とても伝説にするほどの沢ではありません。

          西の沢

 「西の沢」から村山へ出られる道はありません。むしろ「西の沢」を「西の入り沢」の聞き間違いと考えた方が、よろしいかと思います。西の入沢は背炙り古道と並行していて、沢を登りきると背炙り峠に達します。その峠から村山へはそのまま進めます。神社を建ててまでも守らなければならない所とは、よほど重要なところです。畑沢で重要な道は、「背炙り古道」です。当時は既に銀の輸送はなくなりましたが、まだ物資の輸送と太平洋側から湯殿山参りに多くの人たちが通行していたそうです。それにしても、背炙り峠を「オオカミ越え」と呼んでいたという話は聞いたことがありません。伝説を御存知の方が、まだおられるかもしれません。あきらめずに探し続けます。



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