Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

維新・花燃ゆ、第41話“いざ、群馬へ!~前編” 2015年10月11日

2015-10-11 19:28:19 | 日記・エッセイ・コラム

明治新政府は徴兵制に踏み切り、旧体制の武士階級の禄高を無くすなど、次々と士族階級をお払い箱にする新政策を断行し、その歪(ひず)みは次第に大きくなっていった、遂に、明治9年(1876)10月、松下村塾塾生の仲では一番温厚な前原一誠が、奥平謙輔らと組んで、藩校・明倫館に不平士族200名を募り、“殉国軍”なるものを決起しようとしていた、そして山口県庁の襲撃と、天皇に直訴せんがための企てを目論んで居った、いわゆる“萩の乱”である!民治と美和が駆けつけてみると、その殉国軍志望者の中には、その1年前から明倫館で学んでいた楫取素彦の次男・久米次郎と、罪が許され再興を認められた吉田松陰の養子先・吉田家の家督を継いだ杉民治の長男吉田小太郎も居た!・・・

杉家に戻った民治と美和がその様子を滝と亀に話していると、そこへ小太郎と久米次郎が帰って来た、彼等の姿を観るなり、亀が駆け寄り怒って言った「小太郎!おめえは、そねな処に行って!何を考えとる!」、すると彼等の背後から、松陰先生の遺影に会いたいと言って前原一誠が立っていた、前原は黙って松陰の遺影を眺めていた、外では久米次郎が美和に言った「わたしは死しても志しを貫き通された松陰先生を尊敬て居ります、今の政府は武士たる我等を卑しめ、民の事など何も考えて居りません、そんな政府を正すためにも、断固ことを起こすべし!」、美和「それは闘うと云う事ですか?」、「わたしの志しを世に問うて、何が悪いんです?どうせ私には継ぐべき家も無い!」、「・・・」美和は返す言葉見つからなかった・・・

民治が傍に来て言った『気にするな、久坂家には秀次郎が居るんじゃ!嫡男に家を継がせるんは当然のこと!』、美和「だけど元々は久米次郎が養子になって、久坂家を継いでくれることになって居たのに、久米次郎を追い込んでしもうた!」、民治『それとこれとは別じゃ、小太郎にも意見したが、聞く耳持たん!』・・・前原の後ろに小太郎と久米次郎が松陰の遺影の前に正座していた、そこへ玉木文之進がやって来て前原に訊いた『とうとう立ち上がるんか?今の政府のやり方は、なっとらん!何処まで武士を馬鹿にすれば気が済むんだ!西洋に被(かぶ)れた腑抜けどもには、鉄槌(てっつい)を食らわしてやらねばならん!』その時、文之進は、部屋を覗いている滝に気付いた、うん、どねした?、風呂が沸いたんです!、風呂?何で今、風呂じゃ?、如何ですか、前原さま?、前原は滝の暖かい心遣いに心打たれた・・・

滝は優しく前原の背中を流していった、前原『かたじけない、先生のお母上にこの様なことを!』、遠慮せんで!、『以前にも風呂を勧めて下さったことが在りましたね?』、前原が思い出していた、“風呂は仕事をしたもんから入るんですよ!遠慮せんで、さあ!” と滝が勧めてくれた若き日の事を思い出していた、良き思い出です、今の私が在るのは、松陰先生や仲間達に出会えたからじゃと思うて居ります!日本と異国との係わりを、熱心に議論する塾生たちの中、私は如何して飢える者がのうならんのかと、それが知りとうて!先生はそねな私の疑問を受け入れて下さいました!』、松陰 “ 今一度、日本国の歴史から学びましょう!”、『温かい眼差しでした、貧しい村で育ち、己を卑屈に観て居った私にとって、先生こそ、未来に希望を持たせてくれた方だったんです!』、滝は満面の笑みで頷(うなず)いて居た・・・

風呂上がりの前原に美和がお茶を勧めた、美和は黙って座っていた、前原『何も聞かんのですね?』、美和「今日は寅兄様にお会いに来られたお客様!母もそんな気持ちで、持成(もてなし)したんです、ですので、わたしも!」、『変わって居られませんね、母上様も、あなたも!あの頃と少しも!』、「そねなことは在りません!大分、年を取りました!うっふふふ」、飲み干した茶碗を置き、立ち上がって前原が言った『越後で判事をして居りました、聞いて居られますか?』、はい!、『民の暮らしが余りに苦しく、年貢半減令を出しました、そして、職を追われました、もし、先生が生きて居られたら、きっと新政府に対して命がけの意見をされることでしょう!行動を起こすのみと!』、美和「それが唯一の道なんでしょうか?」、えっ?、「御維新のあと、まだ山口の奥勤めをしていた時、諸隊の皆さんが城を取り囲みました!」・・・

美和は続けた「覚えておいでのことと思います、お国のために命がけで戦うた百姓や町人を、藩は見捨てようとしたんです!やけど、力で事を起こせば、力で押し返されます!多くの人達が死にました!望みに満ちていた若者までが!力では、何も動かせん!もし、動かせるもんが在るとすれば、それはではないんでしょうか?」・・・そして前原は、杉家の者達に見送られて、独り去る時に美和に言った『わたしは士族達のためだけに、立ち上がろうとしとるわけではないんです!士族も百姓も町人も、皆が、ちいとでも暮らしやすい世をと、願うだけなんです!』、はい!、『じゃが、あなたが云う通り、力では何も解決せんのかもしれん!もう一度、私を信じて集まってくれたもん達と、よう話し合います!では!』前原は深く頭を下げて去って行こうとした、小太郎と久米次郎が後を追うとしたが『こんでもええ!』と前原は二人を突き放した!・・・じゃが、美和!前原にあねえにくどく言わんでも!・・・

その頃、新政府では、鹿児島の西郷の周りでも不穏な動きが在った、木戸孝允は伊藤博文に言った『そんなことより、今進めんといけんのは産業じゃ、産業を興し、一刻も早う西洋諸国に肩を並べる国力を持たにゃならん!』・・・そこで政府が目を着けたのは生糸であった、日本の生糸は品質も良く、開国以来、海外に飛ぶように売れていた!政府は明治五年 (1872)に富岡製糸場を建設し、北関東の群馬・西毛(せいもう)の上野にその拠点を置いた、これから群馬は日本の重要な県と成ろうとしていた、だが、その地を治めるには厄介な難問が在った、この地は戦国の世から、要(かなめ)の地として、いくつもの諸藩に分かれ、分裂、乱立を繰り返してきた土地であった!伊藤『その様な地を治める適任者が居るかどうか?』、木戸は明言した『一人居る!』・・・

それから暫くして、木戸は部下を従えてある農村を訪れ、楫取素彦の住家を探し出した、そして野良着姿で庭の畑を耕している楫取に出くわした、木戸も楫取の野良着姿に驚いたが、楫取も、まるで西洋かぶれしたかの様に立派なスーツ姿の木戸を観て驚いた、そこへ畑の手伝いをしてもろとる敏三郎が茶を持って現れた、二階の屋根裏部屋では病に伏せた妻の寿が寝込んでいた、木戸『御加減がようないんですか?』、楫取『医者にも診せて居るんじゃが、どうも、ようならんで、それより、幾松様を妻に向かい入れられたとか?』、はい、ようやく!、『それはよかった、では、要件を覗おう!』、木戸は正座し改まって言った『今日は政府の代表としてやって参りました、楫取さんに断(た)っての頼みが在るんです!』、私に?、『群馬の県令(知事)と成って頂きたいんです!』、群馬の?、『あなたしか居らんのです!何卒、お願い致します!』木戸は頭を下げて頼んだ・・・

しかし、木戸らが帰った後、庭で野良仕事をする楫取の姿が在った、木戸は山口官庁を訪れ、楫取が群馬県令の話を断っと井上磬と高杉小忠太に話した、井上『やはり、政府の参与にまでなられたお人が、地方の役人なんぞ出来んとのお考えか?』、高杉『そうではなかろう!楫取殿があの地で、百姓として生きることを決めたんとすれば、もう、まつり事には愛想が尽きたんかも知れん!』、木戸『だとしても、あれほどの人物を放って置く訳には行きません!何とか、説得し続ける積りです!』・・・

そんな折、美和が久米次郎を連れ、二条大窪にやって来た、久米次郎は畑の開墾の様子を観に行った、美和は寿が寝ている二階部屋へ上がって行った、寿は寝間で身を起こして美和を迎えた、寿「やけど、悪いねえ、また来てもろうて!」、美和は手桶の水で絞った手ぬぐいを寿に渡した、寿は首筋を拭きながら言った「わたしが、こんなんやから、あんたも、萩と二条大窪を行ったり来たりで、落ち着いてやりたいことも出来んやろ?」、美和「気にせんでも、今は姉上の身体が、ようなることが一番ですから!」、寿「でも、何時に成ったら・・・」、『寿、大丈夫か?無理をするな!』と下の座敷で書き物をしていた楫取が声をかけた、はい!・・・

美和は階段を下り「何をなさっとるんです?」と声をかけた、『県に提出する擁護(人権庇護)書を書いとる、水田を造るためには、まず水路を造らねばならん!そうすれば、この村は将来、必ず豊かになる!』、その隣では敏三郎が田畑の図面を引いてした、「敏も手伝うとるんやね?」と美和は手話混じりに聞いた、敏は笑顔で返した、楫取『ああ、村のために頑張ってくれ執る!』、そこへ、御免くだせぇませ!と復亮(またすけ)が村人を10人ほど連れてやって来た、復亮は楫取に一礼して言った「楫取さん、二条大窪から出て行ってもらえませんか?」、美和も敏も、二階の寿にも緊張が走った・・・

楫取『如何云う事じゃ?』、「この村の事は、わし等、村のもんが何とかします、やから、楫取さんには、お国のために働いて貰いたいんです!役場で聞きました、群馬の県令に成ると云う政府の頼みを断ったと!それで、わし等、皆で話し合って、皆、楫取さんには、ここに残ってもらいたいんです、やけど、あんたは、わし等とは違う!日本の未来を創られる人なんじゃ!我等に、未来を見せてくれたように、日本中の人達にも、見せてやって欲しいんです!わし等の気持ちを受け取ってつかわさい!」復亮一同が手を着いて頼んだ、楫取は良く考えた、果たしてその決断は如何に?・・・

 

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惜しい!サモアがスコットランドに僅差3点で破れた! 2015年10月11日

2015-10-11 13:11:07 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は夕刻5時頃、家を出て曇り空で、すでに暗くなった播磨路を片道1時間少し北上して、日本の名水10傑に入る“松ヶ井の水”公園(多可郡加美町奥荒田)のある高坂峠へ向かった、到着すると夜間照明の中で、一人の男性が独り寂しく水汲みしていた、小生も、4箇所ある汲み口のうち、水の勢いが安定している一カ所を選んでポリタンクから汲み始めた、1時間ほどかけて、4kl容器全てを汲み終えた、その間2組が出入りしていった、帰路について八千代町野間あたりに差し掛かると、信号も無いのに、突然、車の流れがピタッと止まった??暫く待って、また動きしだした、あれは電飾か?提灯とキラキラ光もんで飾られたデッカイごま付きの八千代祭りの山車(だし)が練り歩いたのであった!8時前に帰宅して夕食にありついた!そう言えば、小生の地元、氷丘地区でもそうだが、ここ播磨地区一帯は村祭りの花盛りになっている!☆・・・

  

昨日土曜日、ニューカッスル、セントジェームス・パークで日本時間22時30分(現地時間午後14時30分)にキックオフされたサモアvsスコットランド戦の結果が、今朝6時のNHKラジオから飛び込んで来た、ななな~~~んと!3点差の僅差の接戦だった!誰がその様な僅差の善戦を期待しただろうか!?何と前半を26-23でサモアがリードして折り返していた!後半は残念ながら7-13で勝ち越され、結局は、33-36でサモアが負けたが、サモアにも勝算は十分にあったのだ!惜しい!もし、サモアがスコットランドに勝ってくれていたらと思うと、惜しい!ここまで勝ち点8の日本がプールB2位、勝ち点12でスコットランドを交わし8強への進出を決めていたのだが!実に惜しい!・・・

これで、日本の準々決勝進出の夢が全て消え去った!これで、ここまで勝ち点16の南アフリカがプールBの1位と、勝ち点14のスコットランドの2位が決定した!これで、グロスター、キングスホルム日本時間12日(月)午前4時(現地時間11日日曜日午後8時)にキックオフされるプールB最終リーグ戦、日本vsアメリカ戦に幾ら勝ったとしても、決勝トーナメントへの道は絶たれ、プールB3位どまりが決まった!しかし、小生、ここまで全戦0勝のアメリカとの最終リーグ戦を、日本代表が大量得点差で勝利するところも見届けようと楽しみにしている!・・・

報道によれば、今大会後、ここまで日本代表を引っ張って来てくれた日本人ハーフ、エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)が退任し、南アフリカのスーパーラグビー・リーグ“ストーマーズ”への次期監督就任が決まっているようである、是非、近い将来、再び日本ラグビーに戻って来て欲しい!次期日本代表監督には、あの早稲田実業のスラッガー高校球児、清宮幸太郎の父、清宮克幸氏(48歳、大阪・茨田高、早大、ヤマハ発動機)が有力候補に挙がっているそうだ!次回2019年ラグビーW杯開催地は日本だ!今大会で日本のラグビーブームに灯が着いたが、次回4年後、日本大会においては、是非、日本が決勝トーナメントへ進出できますように!(祈り)・・・

 

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