Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

維新・花燃ゆ、第43話“萩の乱に誓う!~前編” 2015年10月25日

2015-10-25 19:24:55 | 日記・エッセイ・コラム

今日、加古川にも木枯らし一号が吹いていた、群馬の木枯らしに比べればチョロイ、チョロイ・・・明治九年(1876)、美和が群馬にやって来て、初めて逢ったのが阿久沢せいであった、今日も、阿久沢商会を訪ね、その生糸製糸場で、せいから色々教わっていた、繭から細い糸を引いて1本の糸に仕上げて巻き取っていく“糸紡ぎ”の工程を見学させてもらっていた、県令の妻・寿のお手伝いに来たと云う事で、美和は、せいからは“お手伝いさん”と呼ばれていた、竹で編んだザルの上に桑の葉を敷き詰めたなかで蚕を育て、その蚕が繭を作ってれる、繭を作ってくれるその白い虫を、せいは“お蚕さま”と呼んでいた、せいはその中の一匹を指の上に乗せて美和に見せた、キャッ!美和は脅えて居った!・・・

どうやら美和は虫嫌いで、お蚕さまは苦手のようじゃった!女工さんの中には母親と一緒に働いているお菊と云う筋の良いおんなの子もいた、美和がまだ子供ではないかと驚くと、群馬では女は10歳になると、立派な働き手に成るようだ・・・そこへ、やくざ風の2,3人の男どもが入り込んできて言った「おい、ここに、とめと云う女はいるかい?」、せい『なんです、人の家へ勝手に入り込んで!』、亭主がバクチで借金した銭を獲りに来たんで!、とめが言った「借りた銭はけえしたはずだよ!」、はあ、利息がまだだんべえ!、利息?そんなこと言わなかったじゃねえか!、この証文に書いてあるがな!この通り、これにハンついたんは、女房のおめえだろ?・・・

せいが割って入った『難しい言葉が読めねえって知っての仕業だね!』、何のことだよ?、せい『気に入らねえねえ!』、なんだと!、「またねえか!」外から兄貴分風の男が怒鳴った「阿久沢様の奥様だえ、すいませんね、血の気が多くて!」、せい『もうちょっと、ちゃんと、仕付けておいておくれ!兎に角、今日は帰っておくれ!』とせいはその男に銭を幾らか握らせた、へえ、ですが、また伺いますんで!、せい『塩、持って来ておくれ!』、はい!、お菊「おかちゃん!」、お菊をそっと抱いてせいはトメに言った『大丈夫だがね、わたしがチャンと話しつけといてあげるから!』、せいさん、何時も、すみません!、本当におせいさんが居てくれてよかったよ!、せいは塩を表に蒔いた、せいさんは何かあったときには、何時も助けてくれるからね!お菊は安心して仕事に精を出していた・・・

その夜、お茶を入れながら、おせいさんのお蔭て、今日は事なきを得ました、美和は今日の出来事を楫取と寿に話した、寿『ですが、そう云う語りまがいの事が、堂々と行われているとしたら、何とかせんと!』、楫取『ああ、早速、警察とも図って取り締まらせよう、じゃが、問題は・・・』、美和「はい、トメさんが文書が分かれば、起こらんかったと云う事です!トメさんのとうになる娘さんも、一人前に糸引きをしとって!」、楫取『まだまだ、女の子に協力など無用じゃと思われとるんじゃろ、この群馬だけの話ではないが!』、寿『長州でもそうでした、全ての子供たちが読み書きの手ほどき受けていた訳ではなかった!』、『まずは、小学校で学ばせねばならんなあ!』、『ですが、大人たちが子供たちを働き手と思うとっては!』、美和「母親たちに、もっと読み書き覚えてもらうのは如何でしょう?」、母親に?、「ええ、そうすれば、毎日の暮らしの中で、自分の世界が広がるのが分かってもらえます、子供達にも勉強させたいと思うはずです!」、

寿『ええ考えですね!』、楫取『じゃが、何処で母親に勉強を?』、美和「何処でも出来ます、寅兄は大が炉(だいがろ、ふいご)を踏みながら、勉強しとりました!」、寿が痛そうに左腕を抑え乍ら言った『わたくしも手伝いたいのですが、この処、また身体のほうが!』、寿姉!、大丈夫か、寿?、ええ、今日は先に休ませて貰ってもいいですか?、ああ、楫取が寿の身体を労わって、寝床へ連れて行った・・・楫取が書斎で書き物をしているところへ、お茶を運んできた美和が言った「今夜も遅うまでお仕事ですか?」、寿は?、もう眠って居ります!、そうか、「姉上の病、ええ療法は無いんですか?」、『中風は難しい病気じゃ、東京でもええ医者を探してもろうとるんじゃが、寿には、これまで苦労の賭け通しじゃった!』、兄上、『これからは出来るだけ側に居ってやる積りじゃ!』、「はい、姉上には、それが、どねえなお薬より効くと思います!」・・・ 

その頃、萩の実家には民治の長男・吉田小太郎が来ていた、そこへ叔父の玉木文之進が入って来て、いきなり小太郎に訊いた『おお、小太郎!前原殿は今、何処で、何をしとる?あれ以来、何も事を起こさんとは?』、そう言えば、“新政府は、我等の声を聴こうとはせん!こうなれば、この命かけ天子様に直訴奉(たてまつ)るのみ!”と前原は粋がっていたのだが?、それが・・、小太郎が答えようとしたが民治がそれを征して言った『ああ、それより、ちいとご相談が、あのう、小太郎を東京で学問させたいと思うとりまして!』、東京にじゃと?、はい!、『戯(たわ)け!許さん!』と文之進は喚(わめ)き散らして出て行った!・・・

一方、前橋の阿久沢商会の店先は相も変わらず賑わっていた、せい『あっ、ここんとこ、生糸が高値で売れているようだね!』、はい、皆、大儲け出来そうです!と大番頭が張り切っていた、頼みますよ、旦那さんはご公務でお忙しんだからね!、はい!・・・女工さんの集まって昼弁当を食べるお昼の休憩時を見計らって、生糸製糸場にやって来た美和が、“読み書き”の臨時講師を買って出た「皆さん、あのう、字を覚えてみませんか?」、字を?、「はい、もっと読み書き出来たら、きっと暮らしに役立つこともあります、ほれ、これに習うて書けば、直ぐに覚えられますから!」とお手本本を見せた、そうゆんは、わたしたちにはねえ!、「えっ、そげなこと言わんと、ちちちっとずつでも!」、昼飯を終えた女工たちは、さっさと逃げるようにして散って行った!・・・

そこへ、おせいさんやって来て言った『幾ら、おいでになっても、構わないけど、勝手なことは、止めとくれ!字の方をやることあっても、わたしが居るから、大丈夫だがね!』、美和の手習い本を開きながら、せいは続けた『それに、勉強する暇があるなら、すこ~~しでも、稼いでもらった方が良いってもんだ!み~~んな、楽な暮らしをしている訳じゃないんだ!お手伝いさんみたいに!』、さあ、み~~んな、今日も沢山、糸を引いとくれ!、へいっ!・・・

木枯し吹くなか、お屋敷に帰った美和が、寿のためにお茶を入れながら、ぼつっと言った「お手伝いさんみたいにか!」、今日は体調が良いのか、寿は起きて着物の手入れをしていた、お手伝いさん?、「はい、おせいさん、わたしの事を、お手伝いさんと呼ぶんですよ!」、寿『じぁあ、楽しみやねえ、何時、名を呼んでくれるんやか?』、寿ねえ!、「そやけど、我が家は、有難かったなあって、改めて思います!女のわたしたちにも、勉強させてくれましたから!」、『そうやねえ、今になって、塾のことを、よお思い出します!学びたい!と皆さん、目を輝かして居ました!』、「姉上、塾に居らした前原さんの事なんですが・・」、『旦那さまも、前原さまの事は、ひどく気にされとって、政府や国元に様子を聞いとるそうです!』、その頃、前原一誠は政府の要職を歴任したあと、萩に戻っていた、前原は政府の近代化政策に不満を抱く士族たちの中心的存在になって居た!・・・

やはり、そうですか?、『また長州の者達が、戦さをするようなことがあっては!・・久米次郎を東京に出してやってよかった!』、寿は、群馬に来る前、次男・久米次郎にかけた楫取の言葉と、それに応えた久米次郎の言葉を思い出していた、“政府に対する不満も有ろうが、今のお前には世を見通す力が、まだまだ足りん!” 、“では、わたくしを東京に行かせて下さいませ!”、寿『自分勝手な事を言うてるのは分かっています、ですが、今、久米次郎が萩に居ったらと思うと・・小太郎も東京に来たがっとると聞きましたが?』、「はい、でも叔父上が許さんようです、吉田家の跡取りを外に出すわけにはイカンと!それに、叔父上は前原さん達のお味方をしとる様で!何も無ければ、良いんですが!」・・・

そこへ、御免下さい!、外で誰やらが訪ねて来た、出てみると郵便配達人が、美和宛の封書を届けてくれた、直ぐ開いてみると、前原一誠からの文だった、“美和殿、まこと申し訳なき儀に候”それだけの文面だった!?・・・萩の藩校・明倫館では、美和の不安が的中していた、前原 『今こそ我々は、もう一つの維新を起こす!』、おおおお~~~!、明治九年(1876)十月二十八日、前原は300名余りの士族を率いて挙兵!十日のうちに政府軍に鎮圧された世に云う“萩の乱”である!これは同年10月24日に起きた熊本の神風連の乱と、10月7日に起きた福岡・秋月の乱に呼応して決起された士族の反乱であった!・・美和と寿は、東京に行ったはずの久米次郎は果たして東京に居るのか?まさか、東京に行くと見せかけて、この反乱軍に加勢したのでは?そんな疑いが渦巻き、寿は『お願い!』美和に頼んだ、はい!・・・

その頃、県庁の楫取のもとへも、東京の木戸から、至急の知らせ“マエバライッセイ ハギニテ ハンラン シキュウ チンアツイタス ショゾンナリ”が届けられていた!東京の明治政府では、木戸孝允と伊藤博文が話し合っていた、木戸『何としても、この反乱を止めさせるんじゃ、政府には向かう者達を一掃する!』、伊藤『ですが、長州の者達は、かつて一緒に戦うた仲間じゃ!』、木戸『奴らは、もはや逆賊じゃ!』・・・美和が県庁に駆け込み、焦る楫取のもとに走り寄った「兄上!萩で前原さんが!」、『知って居る!木戸から知らせが在った!』、では?、『もう反乱は起こっている!政府が鎮圧に動き始めた!わたしは今から萩へ行く!』、「わたしは、東京へ!久米次郎を引き留めんと!」・・・

美和は阿久沢商会の馬車クーペで東京へ向かった、美和は前原が萩の実家で語ってくれた言葉を思い出していた、“あなたの言う通り、力では何も解決せんのかもしれん、もう一度、わたしを信じ集まってくれたもん達と、よう話します!” 、「前原さん、如何して?」、その頃、前原達は萩では、銃を構える政府軍と激突していた、しかし、鎮圧軍の圧倒的な兵力を前に、劣勢を強いられ、多くの犠牲者を出していた!前原率いる殉国軍の中には民治の長男・吉田小太郎も善戦していた!・・白装束をまとったその母・亀が小太郎の武運を祈って井戸の聖水を浴びていた!「小太郎!無事で居ておくれ!どうか、無事で生きて!」、それを滝が裏戸から、そっと見守っていた!直ぐ近くで銃声と砲弾が炸裂していた!家の中では、文之進が寅次郎の遺影と位牌の前に座り拝(おが)んでいた!・・・

同じ頃、前橋では楫取が旅の仕度が出来、萩に向かおうとしていた、それを止めようと妻の寿が必死になって居た、寿『今の旦那様は群馬の県令です、それに今行けば、どねな災難に巻き込まれるか!』、楫取『じゃが、行かねばならん!』、『お願いです、木戸様この様な事が在るかも知れんとお考えに成り、旦那様を関わらせんために、群馬の県令に任じたんだと、わたしは思うとります!』、楫取『例え、そうだとしても、あの者達の思いを分かっているのは、このわたしじゃ!わたしが行かねば!』、寿は折れなかった『いいえ!行かせる訳には参りません!それに、もう起こってしもたんです!止めることは出来ません!』、だが楫取は寿を振り払って出て行こうとした、旦那様!成りません!遂に寿は足から崩れ倒れ込んだ、『寿!』楫取は気を失った寿に駆け寄り名前を呼び続けた!寿!寿!・・・

一方、東京の久米次郎の下宿に着いた美和は、身支度した久米次郎を萩に行かせまい、通せん坊して睨みつけていた、「どいてください!」、美和「いいえ!久米次郎、行ってはいけません!」、「わたしは前原様や小太郎達、仲間たちと戦いたいんです!」、美和「今、行っても遅いんです!」、如何云う事ですか?、「すでに政府軍が反乱を抑えているはずです!」、久米次郎「だとしたら、直の事、行かねば! 小太郎達を見捨てることは出来ません!」、いけません!美和は久米次郎を捕まえた、わたしを卑怯者にしたいんですか?自分の意思も貫けん、愚かな男にしたいんですか!今、行かなければ、わたしは、この先、生きて行けません!、美和「分かりました、わたしも行きます!自分の目で、確かめて観んさい!」・・・

そして、数日後の事、寿の看病のため群馬に残った楫取のもとへ、内務省の高官となっていた品川弥二郎が訪れた、「無事、反乱は鎮圧しました!」、楫取『たった、数日でか?』、最初から力の差は明らかでした!、『前原はどうなった?』、首謀者の前原は、まだ捕まらず、今、全力で、その行方を追って居ります!、『前原!』、品川「楫取さん!わたしは松下村塾の仲間に生かされて来たと思うとります!やから、死んでいった者達の分も、世のために、尽してきた積りです!やのに、わたしは前原さんのために何もしてやれんのですが!」と品川は涙ぐんで居た・・・

 

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