ここ加古川は大晦日から元旦朝にかけて少し吹雪いたが、その昼間以降からは少し暖かくなった、今日もポカポカで11℃まで上がった!明日は更に温(ぬく)くなり13℃まで上がるようだ、正月三が日は駅伝3連発、お屠蘇(とそ)とおせち料理に明け暮れた、ストレッチだけは毎日欠かせてはないが、少し運動不足気味を感じて、新春クロスカントリーもどきと決め込んだ、日岡霊園から、日岡公園内、スポーツセンター、日岡苑、フットボールグランドなどの日岡山周辺の起伏を9kmほどジョギンクしてきた、標高80mの日岡山展望台にも久しぶりに登った・・・
夕日迫る聖徳閣跡展望台にも駆け上がり清流加古川の沿岸に広がる下界を暫し眺めた、小生が高校生ぐらいまでは、ここに巨大な木造の聖徳閣という建物が立っていた、昭和25年に郷土の名士・多木久米次郎が建てた楼閣を加古川市に寄贈したものであった、今ではその聖徳閣は取り壊され、その跡地に宿泊施設“播磨ハイツ”が建って、その屋上が広い展望台になっている、ここからは南に瀬戸内の島々や、明石大橋が、北には六甲連山から加西・加東の山々までが一望できる!登り口近くには第12代景行(けいこう)天皇のお妃・稲日大郎姫(いなびのおおいらつめ、孝霊天皇の皇子の娘)が着ていた着物の褶(ひだ、ひれ、比礼)を祀る“褶の墓(比礼塚)”がある、加古川西岸から船で渡っている時に、嵐に遭遇し船が転覆し、ご遺体は上がらず着ていた褶の切れ端しか見つからなかったらしい!日岡山はええよ、さあ、寄ってらっしゃい観ていらっしゃい・・・
そこから、ほど近くに、そのお妃の墓が祀られている“日岡御陵”が鎮座している、何とそのお妃(きさき)こそが、あの全国各地を平定した日本武尊(やまとたけるのみこと、倭建命、幼名:小碓尊〈おうすのみこと〉)のお母様である!ここ日岡山の記事は過去に何回も取り上げているので、重複してご覧の方はあしからず・・・
更にそこから降(くだ)って行き、参拝の人々でにぎわう日岡神社で新春4日目の初詣をしてきた、おみくじを引くと運勢占いは“末吉”だった、全ての事に於いて、幸運は、慌てず、じっくり待ってば来るらしい、運勢も春より秋の方が良く年末に向かって向上して行く!年末ジャンボを買わなくっちゃ!宮司に訊いて確かめたが、神社側は日本武尊には“タケルくん”と、稲日太郎女には、安産の神として“安授姫(あんじゅひめ)”とニックネームを着けて大きな看板にデカデカとアニメ風に描いて売り出していた!安授姫のネーミングは広く市民から候補名を募ってから決めたようである、帰りにお土産として露店でカステラ焼き一袋500円を買って帰った・・・
今夜8時から始まった新大河ドラマ“花燃ゆ、第1話~人むすぶ妹”を観て深く感動した!今から160年ほど前、嘉永3(1850)年頃、江戸幕末の長州藩萩に生きた、下級武士の父・杉 百合之助(ゆりのすけ)と母・滝の娘、文(ふみ)、山鹿流兵学師範・吉田大助の養子になり、兵学師範を務める兄・寅次郎と、そして藩校・明倫館で儒学を教える小田村伊之助との絆を描いた物語である、兄・寅次郎は、のちに江戸に出て西洋兵学者・佐久間象山に師事して、明治維新に貢献した幕末の志士達を育てた兵学理論家となった吉田松陰であった!その時代、幕府は野蛮な考えに染まると、西洋の文明を説く書物を読んではならない、持ってはならない“禁書”として強く禁じていた!物語は文の聾唖者の弟・敏三郎が河原で伊之助がなくした禁書、甲陽軍艦記の裏に隠された“海防憶測(佐久間象山著か?)”が、松下村塾の創立者・厳格な叔父の玉木文之進(ぶんのしん)に渡ったことから始まった!・・・
寅之助は遊学先の長崎・出島で西洋文明の一端に触れ、西洋列強の脅威と、日本国の国防の脆弱性(ぜいじゃくせい)に焦りを覚えていた、小生はその勇気ある若き長州人、吉田寅之助と小田村伊之助が学問に対して抱く心意気に感銘した!師範・玉木文之進と塾生の前で、寅之助がその禁書を破り捨てて言った『この様な禁書は今やこの世に溢れています、わたくしもこの様に持っています、学問は幕府から命じられ押し付けられ学ぶものではない!本は読みたいものが読めばいい!西洋の文明を知りたいからです、学びたいからです、日本を変えたいからです!自分の頭で考え、己を磨くために学ぶんじゃ!自分の頭で考えるのが真の学問である!』、一方、文に連れて来られた伊之助も皆の前で堂々と訴えた「その本は私が持っていた本で御座います、私はこの長州を、否、日本国を守りたい!己を磨き、この国の役に立ちたい!そのために学びたい!まだまだ学びたい!私も貴方と同じ考えで御座います!」・・・
二人は明倫館に呼ばれ、厳しい御沙汰を覚悟して長州第13代藩主・毛利敬親(たかちか)の前に出た、だが毛利敬親の裁きは家臣思いの素晴らしいものであった!『私はこの明倫館を、これからの時代に相応しい学び舎(まなびや)にしたいと考えて居る!此度の事、不問とし、記録に残さずに置く!』、そして二人の江戸留学が許された!江戸へ旅立つ前、寅次郎はまだ子供の妹・文の頭をたで乍ら褒めた『至誠(しせい、真心)にして動かざるは、未だこれ有らざるなり!真心を尽くせば、成らぬことはない!気持ちは必ず伝わる!此度はお前のお蔭で、兄は一生の友を得たぞ!お前には人と人とを結ぶ不思議な力が在るのかもしれんのう!』、小生は今夜の“花燃ゆ”を観て、思わずブログに起こして行く誘惑にかられた、1年間にわたって続くこの大河ドラマをブログに起こす大変さは己が一番よく知っている、危ない危ない!観るだけにしておこう・・・