Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

あんたは偉い☆国会が放置した尖閣諸島の購入を決断した石原都知事殿☆ 2012年4月22日

2012-04-22 16:22:06 | 日記・エッセイ・コラム

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今、日本人全員が尖閣諸島が我が国、日本固有の領土であることを自覚しなければならない!小生、長い年月に渡って、石垣島の北方約160km、2010年9月7日午前には中国スパイ船衝突事件が起こった!あんなにデリケートな日本国土の最前線に、点在する絶海の離れ小島八島(5島3岩礁)から成る“尖閣諸島”が日本政府の所有でなく個人所有のままで今日まで中国の脅威に曝(さら)されて来たのを不思議に思ってきた!?全8島を合わせると総面積が約5.56k㎡にもなって、甲子園球場総面積の140倍以上にもなる!・・・

その所有地の住所は沖縄県八重山郡石垣島登野城に属していて、一番広い魚釣島は周囲が12kmで、なんと総面積は3,820,000㎡もある大きな島である、2番目に広い島は周囲3.4km、総面積1.55k㎡の久場島である、3番目と4番目は南北に隣り合わせにある北小島(0.31k㎡)と南小島(0.40k㎡)である、5番目に周囲1kmと小さな大正島(たいしょうとう)がある、その他に“沖の北岩”、“沖の南岩”、“飛瀬(とびせ)”などがある・・・

まず始めに尖閣諸島は、24歳で“八女茶”の販路拡大のため那覇に渡り冨をなした、福岡・八女(やめ)郡出身の実業家・古賀辰四郎(たつしろう、1856~1918年)が開拓し、鰹節工場やアホウドリの羽根工場を建てた島だった、1885年(明治18年)に明治政府が清朝(しんちょう、1636~1912年)の支配下にないことを確認を取り、1895年(明治28年)に日本固有の領土として編入することを閣議決定した☆・・・

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その同じ年、1895年(明治28年)に古賀辰四郎は尖閣諸島八島のうち、魚釣島、久場島、南小島、北小島の四島を明治政府から30年間無償で借り受け、家屋を建て、船着場つくり、鰹節工場を立ち上げて、本格的な尖閣諸島の開拓に着手していった、1900年(明治33年)には古賀とともに那覇にいた高知県出身の博物学者でもあり教師でもあった黒岩恒(ひさし)が古賀の依頼で尖閣諸島を探検して、当時イギリス人が命名したThe Pinnacle(小尖塔) Islands に因んで、“尖閣諸島”と命名している・・・

1918年(大正7年)、辰四郎の死後、父の事業と島主を受け継いだ長男・古賀善次(1893~1978年)が高級ボタン用の“夜光貝”の輸出で財を築き挙げて行った、当時、ピーク時には280人の島民が尖閣諸島に住んで善次のもとで働いていた、1932年(昭和7年)に善次は日本政府から当時の金額1万5千円(現在の金額換算で2500万円)で大正島以外、尖閣諸島の払い下げを受けた、これが尖閣諸島の個人による地権者のそもそもの始まりだった・・・

父、辰四郎死去の翌年、1919年(大正8年)にある出来事が起こった、中国・福建省から船出した漁船“金合丸”が暴風雨に遭遇して魚釣島に漂流・座礁した、その時、新しく島主となった善次の陣頭指揮のもとで、乗組員全員31名が無事救出され、手厚い保護を受けて石垣島経由で故郷の福建省へ無事帰還を果たした☆翌年1920年(大正9年)5月に、尖閣諸島を日本国土として認めた中華民国在長崎領事より善次等に感謝状が贈られている☆・・・

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第二次世界大戦が激しくなった1940年(昭和15年)には尖閣諸島は再び無人島になって行った、そして終戦後1951年(昭和26年)にはサンフランシスコ講和条約締結によって、尖閣諸島は沖縄の一部としてアメリカ合衆国の施政下に入った、しかし1972年(昭和47年)5月15日、前年の“沖縄返還協定”によって、尖閣諸島を含む琉球諸島と大東諸島の施政権はアメリカから日本に移り、沖縄は完全に日本国へ復帰したのである☆・・・

1978年の古賀善次氏の死後、妻の所有に渡ったが、その後、埼玉県在住の古賀家に親交のあった人物に4600万円で譲渡されていた、1969年(昭和44年)、国際連合アジア極東経済委員会による海洋調査で尖閣諸島周辺にはイラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告されるや否や、あつかましくも何の根拠もなしに、欲の塊なる中国が尖閣諸島の領有権を主張してきた!・・・

そんな最中、2012年4月16日(日本時間17日未明)、石原慎太郎都知事がワシントン渡米中に『不安定な個人地権者所有にある尖閣諸島を買う受け、公のものにする☆』と良くぞ宣言してくれた!☆中国の機嫌を損なうのではないか?と腰が引けるバカな政治家達よ!マスコミのトップの腰抜けどもよ!石原都知事のつめの垢でも煎じて飲めば良い!彼のようにハッキリ世界に物言う政治家が少なくなった今、先陣を切って、日本外交に一抹の光を投げかけてくれた石原都知事に敬意を払いたい☆よお!大統領~~~・・・

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