Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第49話“如水最後の勝負!~後編” 2014年12月9日

2014-12-09 09:44:49 | 日記・エッセイ・コラム

最近、愛犬のサクラが安らかに休める癒しの場所を発見した、それは家内がいつも居間でテレビを観る時、座るソファーの指定席に敷いている小型ホットマットの上である、そこにサクラを横に寝かせて毛布を掛けてやれば、気持ちよさそうに寝てしまう、今日もサクラがそこに休んでいる間に、小生の“間引き伐採計画”を一気に終了させてしまった、やれやれ、これで特に北東側の庭に植わっている、キウイフルーツ、ビックリグミ、プラム、ヤマモモ、一部のブルーベリーなどに、午前中の陽の光が当たるようになった、来年はキウイフルーツが食べられるかも!(*´▽`*)よかったよかった・・・

      

さて本題に入ろう・・・如水軍本隊は、高田城から徳川方・細川忠興(正室がガラシャ)の居城、杵築(きつき)城へ向かって南下していった、大友勢に攻撃を受け劣勢だった城代・松井康之軍を、すでに如水先発隊が援軍していた!如水軍本隊は、大友勢の総大将・大友義統(よしむね)の本陣、288mの城山に建つ立石城を攻撃せんがため更に南へ進軍した、そして実相寺(じっそうじ)山に本陣を構えた如水軍と、豊後の雄、大友軍が、豊後国速水の石垣原に集結した、慶長5(1600)年9月14日、両軍相まみえ、九州のの関ヶ原の戦いと呼ばれる“石垣原合戦”の火ぶたが切って落とされた!・・・

かかれ~~~!はなて~~~!はなて~~~!如水軍は豊後の西軍を次々と打ち破って行った!敵軍は百戦錬磨の如水軍に翻弄(ほんろう)され、なすすべもなく、崩れていった、ついに大友軍は武具を棄てて、湯之町別府のほど近くに在る立石城へ退散していった!太兵衛の3人串刺しの武勇伝はここでの出来事だった、如水『善助!太兵衛!ここはもう良い、先に杵築(きつき、木付)城へ廻れ!』、はっ!・・・如水軍の勢いを知り、大友義統は態勢を立て直すため、一時後退した、だが、両軍勢は再び石垣原で激突した!そこへ九郎右衛門率いる如水先発隊が杵築より合流し両軍相交え、七ツ石一帯で激戦となった!・・・

九郎右衛門が吉弘を見付け叫んだ『吉弘統幸(むねゆき)殿!』、「おおっ!井上殿か!待っておったぞ!」、九郎右衛門は槍を携え馬を降りた、槍を地面に突き立て馬上の吉弘に言った『お主なら分かって居ろう、大友に勝ち目は無い!降伏なされよ!』、吉弘「さて、どうかのう!」、大友兵が数人、吉弘に助太刀しようとして、九郎右衛門に襲い掛かった、吉弘は槍をその間に投げ刺して「この統幸が相手じゃ!手出し無用!」と叫び馬を降り、左太ももに突き刺さっていた矢を引き抜いた、九郎右衛門『もう充分じゃ!命を無駄にしないでくれ!』、「なんの、相手にとって不足はない!尋常に勝負!」吉弘は剣を抜いた、『統幸殿!』、「参るぞ!」吉弘が五払いほどして斬りかかった、それをかわした九郎右衛門が剣を合わせて何とか凌いだが、じりじり吉弘の剣が九郎右衛門の首に迫ってくる!・・・

一寸のスキを見て、その剣を外した九郎右衛門の剣が吉弘の首に寸止めされた、『ここまでじゃ!』、暫しの静寂が辺りを包んだ、吉弘は覚悟を決め剣を落とした、そして首元に押し付けられた剣を手袋まま左手で掴んだ!剣を外そうとするが吉弘は力の限り掴んでいた!そして言った「九郎右衛門殿、お主の家の味噌汁、美味かった!あの1年は真に楽しかったぞ!」、九郎右衛門は泣いていた『統幸殿』、「お主に討たれるなら、悔いはない!」吉弘は首に当てられた剣を思いっきり押し当てて引いた!血がふき出した!次第に意識が薄れ、吉弘は九郎右衛門の腕の中で息絶えて行った!『統幸殿~~~!』九郎衛門は狂わんばかりに号泣していた!島津を討つため共に戦い、食客として親交を深めた九郎右衛門と大友の名将・吉弘統幸の死闘は壮絶だった!九郎右衛門に討たれたものの、武将の名に恥じない吉弘の最期は実に立派だった!敵将・吉弘の魂は吉弘神社となって祀られている・・・

その夜、 如水の本陣に戻った九郎右衛門は仲間たちに温かく迎えられ、如水はその武功を讃えた!善助「大友勢は未だ、戦う姿勢を崩して居りませぬが!吉弘が討たれたため、敵の志気は下がって居ります!」、太兵衛「逃げる者は後を絶ちませぬ!このまま攻め続ければ、容易く倒せましょう!」、如水『否、放って置いても、降伏するであろう!』、三銃士に向かって言った『わしは大友義統を許す!』、善助「さすれば、他の者も降伏しやすくなりますなあ!」・・・

翌日、海雲寺で頭を剃り落とし、出家の出で立ちで如水本陣に現れ、総大将・大友義統が降伏した!如水の勢いを止めようとした三成の策は、水泡に帰した!九郎右衛門が、統幸の死を悼み、義統の胸倉を掴んで言った「吉弘殿如き忠臣の諫みを聞き入れていれば、この様な事にはならなかった~~~!」、善助は隊を前にしていった「皆の者、勝どきじゃ!勝どきを挙げる!」、おおお~~~!、太兵衛「次も勝~~~つ!」、おおおおお~~~!!如水が音頭を獲った、えい!えい!おおおおお~~~!!如水恐るべし!噂は次第に広がり、西軍一色に染まっていた九州は土台から揺れ始めた!・・・

中津城の留守を守る光殿は縫物をしながら如水らの無事なる帰還を待っていた、そこへ長政の妻・栄が現われ来て伝えた「石垣原(いしがきばる)にて、御父上が、大勝利で御座います!」、お方様~~!、光『勝ちましたか!?あっははは~~~!』そしてゼウス?仏壇?に手を合わせた、お福「お方様が大殿と夫婦(めおと)に成られて30と3年、朝夕のご機嫌伺いを一度たりとも欠かさなかった故、御仏もご加護下さるのです!」、栄「三十三年!?おなごの戦さも大変で御座いますね!」、おっほほほ~~~!・・・

お福「それにしても、大殿も、もう良いお年!浪人や百姓まで集めて、戦さに出られぬとも!」、栄「左様で御座います、わたくしも心配で御座います!母上は何故、お止めに成らぬのですか?」、光『わたしとて、行って欲しくないと思ったことは、幾度となくあります!されど、全ては黒田のため、家臣、領民を守るため!生き残るための戦さだったのです!しかし、此度は違います、ようやく、お心のまま、思うが儘の生涯を得られて、今や水を得た魚!いいえ、お名前の通り、ご自身が水の流れの様に、自在になされて居るのです!』、栄「水の流れでは、誰にも止められませぬ!」、真に!、光『は~~い!うつふふふふふ~~~!』・・・

その頃、家康は東軍が集結する美濃・赤坂に兵を進めていた、家康『黒田殿、お主の凋落の事を聞いて居るぞ!見事じゃ!』、長政「有難きお言葉!小早川様に加え、吉川様もすでに、我が方の味方となって居ります!」、正則「内府様、敵は大垣城で籠城の構え!一気に攻め落としまするか?」、家康『わしは手薄な三成の居城・佐和山を攻めようと思う!』、忠勝「佐和山を攻める構えを見せれば、敵はそれを防ごうと、兵を動かす!」、正則「野戦に持ち込むわけですな?」、直政「野戦で殿に叶う者は居りませぬ!」・・・

一方、宇喜多秀家が、大垣城の三成に、家康が佐和山を攻める構えを見せて居ると伝えた、三成『それはまずい!佐和山を獲られでもしたら、我等は大坂との間を絶たれる!』、行長「総大将の輝元様は何をして居る!輝元様の軍勢が居れば、幾らでも手を打てたと云うのに!」、三成『輝元様は出て来ぬ!』、秀家「何故じゃ?」、『大坂に居る増田長盛に謀反の噂があると云うのじゃ!それ故、秀頼君をお守りするために、出て来られぬと!』、行長「味方が、この様にバラバラでは勝負にならん!」、三成『いや、皆、様子を覗っておるのだ!我等のの優勢を知れば、こちらになびく!かくなる上は、この大垣を棄て、ここ関ヶ原まで陣を移そう!』地図上を指さした、秀家「関ヶ原にて野戦か!?」、行長「それしか、あるまい!直に支度じゃ!」、三成『わしは味方を引き締めに廻る!』・・・

毛利が陣を張る美濃・南宮山(なんぐうざん)の吉川(きっかわ)本陣に、三成が夜訪れ、吉川広家と恵瓊らに会った、「雨の中、大儀で御座るな!」、『吉川様、明日は是非、毛利勢に先鋒をお願いしたい!』、輝元「毛利は宇喜多と同じく、大老じゃ!何故、大将でなく先鋒じゃ!?」、広家様!と恵瓊が諌めた、「気に入らん!明日は当方、勝手に戦さをする!」と広家は言い捨て、恵瓊を一人残して去って行った、『恵瓊殿、如何なって居る!?』、「広家様は未だに、お主に味方したことを納得して居られぬのじゃ!」、『何をいまさら!』三成が激怒した、「いよいよ決戦じゃと云うのに、何と言う様じゃ!」豊臣政権の五奉行の一人、長束正家も愚痴をこぼした!、恵瓊「必ずわしが説き伏せる!」、三成『総大将は毛利輝元様であろうが!?もしこの戦さに敗れれば、毛利は家康に滅ぼされるのであるぞ!』、「分かって居る!それは、わし等も同じことじゃ!」恵瓊も怒った・・・

関ヶ原近くにある松尾山 (まつおやま)小早川秀秋の本陣にも、三成がやって来て、付きまとわれて頼みごとをされ、迷惑がられた、『明日、小早川様には後ざさえをお願いしたい、のろしの合図で、徳川本陣を突いて頂きたい!』、なかなか帰らぬと観て秀秋が嘯(うそぶ)いた「うむ、承知した!」と、三成は軽くあしらわれた、『ではこれにて!』頼りにならんと見たか、三成は去って行った、秀秋の家臣等が「三成も必死じゃのう!」と蔑(さげす)んだでいた・・・その帰り、雨の中、もう頼るところもなくなった三成は、如水の言葉を思い出していた “だが、止めておかれるが良い!徳川殿は既にお見通しで御座る!お見通しで御座る!”、三成は己を奮い立たせるよう言った『必ず勝つ!わしが勝たねば、豊臣は亡びる!』・・・

鷲峰山・高台寺ではおねと、マグダレナがお傍に着き、釈迦如来像と秀吉の位牌に向かって、祈りを唱えていた、『黒田長政、福島正則、小早川秀秋、皆、幼き頃より、我が子として育ててきた、謂わば兄弟!何故憎みあい、殺しあわねばならぬのか!?お前様、子供たちをどうか、助けて下さい!守ってやって下さい!お前様!』・・・9月15日早朝、東西両軍、およそ20万の軍勢が、関ヶ原に集結した!敵はおよそ八万、家康は桃配山(ももくばりやま)に陣を敷いていた、三成『八万か、勝てる(こちとら十万でえ)!』、家康『霧が深くて、敵が見えぬ!敵はいかほどじゃ?』、はっ!敵の数およそ十万で御座います!、家康『十万!?(数の上では負けとる)』、殿!黒田の物見がお目通り願って居ります!『黒田?通せ!』、はっ!・・・

黒田二十四騎の一人で近江国神崎出の毛屋主水(けや もんど)が現れた「毛屋主水に御座います、主(あるじ)・長政の命により、この目で確(しか)と見た敵情をお伝え致します!敵の数二万!多くて三万に御座います!」、家康『二万から三万とな?先程十万と聞いたぞ!?充分と違うではないか?』、毛屋「敵は見た目は多くは御座いますが、戦う気があるのは、石田、宇喜多、小西、大谷ぐらい、後は数に入らぬゆえ、多くて三万と申し上げた次第!」、『ふふふふふ、さすがは黒田の家臣、良くぞ見て取った!褒美じゃ!』家康は盆の饅頭を2個鷲掴みにして毛屋に贈った、「有難き幸せ!」毛屋は一口かぶってから、その場を去って行った、『二、三万の敵など、一捻りじゃ!』家康が見通した!・・・

霧立ち込める関ヶ原の丸山に陣を構えた長政は、出陣を前にした軍の志気高めた『よいか!戦さが始まれば、我等が狙うは三成の首のみじゃ!それ以外は目もくれるな!』、はぁ~~~!!・・・その頃、中津城では光、栄、お福らが長政軍の武運を祈っていた・・・一方豊後では、勢いに乗った 如水軍が更に進軍を重ねていた、善助「大殿、間もなくで御座います!」、如水『よいか!一気に蹴散らす!』、太兵衛「黒田の旗を挙げよお!」、おっ~~~!、九郎右衛門「貝を吹け~~~!鐘をならせ~~~!」、おおお~~~!、・・・おっ!なんじゃ?なんじゃ?、お食事中の敵は、それらの音に慌てふためいた、藤巴と永楽通宝があしらわれた軍旗が立ち並び、如水軍が直ぐそこに現れた!かかけれ~~~!、わわわわわぁ~~~!!・・・九州全土を!そして天下を狙う如水の軍勢は、破竹の勢いで進軍を続けた!・・・

 

 

 

 

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