Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

維新・花燃ゆ、第40話“二人の母!~後編” 2015年10月6日

2015-10-06 10:21:12 | 日記・エッセイ・コラム

現地時間昨夜6時頃、スウェーデンのカロリンスカ研究所が、アイルランド人のウイリアム・キャンベル氏と中国人のユウユウ氏と共に、大村智(さとし、80歳、東大薬学博士、東京理科大・理学博士)北里大特別栄誉教授のノーベル生理学・医学賞の授賞を発表した、これで日本人のノーベル賞受賞者は23人目となった、生理学・医学部門では、1987年の利根川進マサチューセッツ工科大学教授と2012年の山中伸弥・京大教授に続いて3人目のノーベル賞受賞者となった!・・・

世界各地の土壌中には、植物や哺乳類に寄生し、栄養素を吸い取り、毒素を分泌して、多種多様の病気をもたらす、回虫のような線形動物“線虫”が生息する!大村教授は、土壌を分析し線形動物の研究を追求していくと、線虫に混じって土壌中に分布し、糸状に連なる菌糸や放線菌と云う抗生物質を産生する“エバーメクチン誘導体”に注目した!このエバーメクチンの分子構造を一部変えて、線虫捕食菌効果を高める抗寄生虫薬“イベルメクチン”開発に成功した!今では、園芸、農耕、酪農から、腸管・糞線虫病、ダニ疥癬(かいせん)などの寄生虫病の駆除薬として年間2億人に投与され人類医学にも貢献している!・・・

さあ、花燃ゆに移ろう・・・今度は、秀次郎の教育のため、美和の叔父・玉木文之進は、久米次郎を相手にさせ秀次郎の剣術指南に熱中していた、美和と亀がおにぎりとお茶を運んで来て休憩時間となった、今では、秀次郎は美和の事を“母上”と呼んでいた、久米次郎にも、率先して、おにぎりを渡すなど、人間的にも成長して居った、文之進が秀次郎をほめた『いや~~、秀次郎は父親によう似とる!気の強さは父親そっくりじゃ!』、ほんま?、『あ~~、ほんま、ほんま!』・・・

美和は秀次郎を、寅兄の遺影の前に連れて行き、久坂からの手紙を見せた、何て書いてあんの?、美和が読み始めた“文殿、無事”、そのまま秀次郎がリピートした、そのまま、美和のお習字教室が始まった、そうそう、お上手、お上手!秀次郎の行儀作法は一段と上達していた、秀次郎が言った「俺が字が書けるの知ったら、お母ちゃん、喜ぶかなあ?俺、お侍さんの子に馬鹿にされたんや、字も知らんのかって!」、そうやねえ、偉い喜ぶよ!、秀次郎は“ふみどのぶじ”と書いて美和に見せた、美和は複雑な心境になって言葉に詰まった・・・

美和は、風呂敷包みを抱えて外から戻って来た亀の不自然な様子に気が付いて、如何しました?と訊ねた、「いいえ、この辺りで見かけん女の人が居って!」亀はそのまま家の中へ入って行った、美和は門を出て行こうとすると、例の饅頭笠をかぶった辰路の姿を見付けた、辰路は、杉家の門をくぐり塾の机に座り、読書する秀次郎を観て居た、辰路は美和の目線に気付き、立ち去ろうとした、美和は追いかけ、辰路さん!と声をかけた、立ち止まった辰路に美和が言った「あなたが、久坂の子を産んだお人やったと!」、辰路「あの子が、ちゃんと手習いまでしているやなんて!」、辰路は美和の方に振り向いて言った「やっぱり、良かったは!あんたさんに渡して、うちと居てると、あの子は、お利口さんに成れんのや!」・・・

美和「わたしが育てても、ええんですか?あの子の母として!?」、沈黙のあと辰路が答えた「あの子が居てると、お座敷にも出られへん、早う新しい旦那見付けて、綺麗なベベを着て、楽な暮らしをしたいんです!ほやから、悪いけど、あの子の事は、頼みます!うちも、明日には京に戻る積りどすから!ほな」辰路の目には涙が溢れようとしていた、美和「じゃ、如何して!如何してこなえな処まで来たんです!如何してあの時、この子が久坂の子やと、言わんかったんです?」美和は京で初めて辰路と秀次郎と知らずに逢った日の事を思い出していた、「本当は、手放しとうないんじゃないですか?やのに、無理してあの子のために!」、「やめておくれやす!・・あの子を頼みます!」辰路は美和に深々と一礼して立ち去って行った・・・

その夜、屋根裏部屋の寝床に行く前に、秀次郎が美和の前で正座し、頭を下げて、「おやすみなさい!明日また、読み書きの続きをやります!」と挨拶した、 はい!、「おやすみなさい!」他の家族一同にも同じ様に挨拶した、そして美和は独り、寅兄の遺影と久坂の位牌の前に座り、辰路の我が子を思う姿を思い出した・・・就寝中、秀次郎が寝返って、蚊細い声で「おかあちゃん!」と寝言を言った、それを聞き、美和の心がまた揺れた・・・早朝、亀が井戸端横で、鶏にエサをやっていると、美和がやって来た、亀「えっ、こねえに朝早うから、何処に行っとったんですか?」、美和「姉上、お願いがあります!」と、ある事を内緒に、亀に頼んだ・・・

その後、美和が塾に居た、また戸惑いを隠せない亀が近くに居た、秀次郎は習い事まで少し時間が在ったので遊んでいた、秀次郎が書いた習字を眺めてから、美和は「秀次郎!」と声を張って呼んだ、『秀次郎!清書はしましたか!続きをやると云うたでしょ!』と語気を荒げて言った、ただならぬ空気を感じた秀次郎が「まだです!」と少し脅えて答えた、美和は鬼の化身となってつづけた「如何して、出来てないんですか?そねな事では、久坂の子などには成れません!出て行きんさい今すぐに!」、秀次郎は美和の手を取って慌てて詫びた「母上、御免なさい!これからは、ちゃんとします!」、美和は秀次郎の手を振り払って言った「いいえ、駄目です!」、母上!、「もう!母上ではありません!姉上、この子をお願いします!」と亀に頼んだ、母上!母上!母上!と秀次郎は泣き叫んだ!・・・

亀が泣き叫ぶ秀次郎の手を強引に掴んだ、母上!母上!母上!、そして亀は秀次郎を抱えて外へ連れ出した!丁度その目の前に、それまでの事を全て聞いて居たかのように辰路が立っていた!否、実は、前日に美和が、辰路が宿泊する旅籠(はたご)を訪ねて、『迎えに来てやってつかわさい!あの子に今、一番必要なんは、わたしじゃないんです、お母ちゃんなんです!お願いします!』と頭を下げて願い出ていたのだ!辰路「何であんたが?頭なんか下げんといて!けど、秀次郎は久坂さんのたった一人の子!そやから、立派な人に成らんといかんて!立派人に成ってくれるんなら、それを望まん親なんて居りまへん!」、美和「久坂の子です、立派な男になるに違いありません!そう、信じて居ります!」・・・

秀次郎は目の前のお母ちゃんと、しみじみ対面してから、お母ちゃん!と歓(よろこ)び叫び、辰路の方へ走り寄った!辰路は腰をかがめて秀次郎を温かく受け止め、強く抱きしめた!、お母ちゃん!お母ちゃん!お母ちゃん!美和は涙をためて本当の母と子の絆を見届けた!辰路はそれに気づき、美和に深く頭を下げた!辰路に縋(すが)り付いた秀次郎は 美和のもとから去って行った!これで良かった、これで良いんだ!美和は二人を見送った!・・・

秀次郎が居なくなった縁側で、文之進が、秀次郎が獲って来た沢蟹を、いつまでも寂しく眺めていた、美和も放心状態で縁に座っていた、亀が文之進に声をかけた「美和さんが、あねな思いをしてまで!・・寂しいなりますね、叔父上も!可愛がっておいでやったのに!」、う~~ん!文之進は我に返った、清々して居る!と立ち上がった、亀が、お一つ如何ですか?とさつま芋を文之進に進めた、滝が美和の座っている縁に来て言った『行ってしもうたね!』滝も寂しそうだった・・・

美和「秀次郎にとって母親は、お母ちゃん一人やから!あの子には今は、お母ちゃんの愛情を一杯もろうて、大きゅう育って貰いたいんです!それがあの子に合うた育て方たやと!京で学校にも行って、のびのびと、やけど、ようけい勉強もして貰いたい!わたしも出来るだけの事は、する積りです!何時か、立派に成長したあの子と、また会える時も来るはずです!その時、久坂家を継いで貰いたいと!世話~~ない!」、滝『お母ちゃんだけじゃないですよお!秀次郎にとっての母親は、“お母ちゃんと母上”の二人!秀次郎は幸せですねえ!二人も母が居って!』・・・

新政府によって改革が勧められる中、庶民の生活には文明開化の波が押し寄せた、明治四年(1871)、散髪脱刀令に先駆け、木戸孝允は自ら髷(まげ)を落とし散切り頭にした!明治五年(1872)9月、新橋と横浜間に、蒸気機関車が牽引する鉄道列車が開通し、この資金作りの調達と技術援助には、イギリスに掛け合った伊藤博文が大きく貢献した!銀座は井上磬の指導で大規模の都市計画が実施されて、西洋式の建物が立ち並ぶ銀座煉瓦街が造られた!明治七年(1874)にはガス灯が設置され、銀座は文明開化の象徴となった!牛鍋など新しい食文化も広がり、人々は文明開化を謳歌した!この後、日本の各都市は近代化に向けて躍進していった!・・・

明治六年(1873)、欧米視察を終え、木戸孝允と伊藤博文が帰国した、しかし、その年に発布された徴兵令が太政大臣・三条実美と、薩摩・長州・土佐・肥前ら参与の間で物議を醸(かも)していた!西郷隆盛『徴兵令はすでに、布告しました!そんために、士族を救済する策がいりもんそう!』、木戸孝允『やはり、急ぎ過ぎたんではないか?』、山県有朋『日本は何時か列強の植民地に成るかも知れん!兵を強くせにゃならんのじゃ!』、伊藤博文『もはや、士族だけに頼るわけにはイカンと云う訳です!』、三条実美『士族達の不満が、心配やなあ!』・・・

その後、明治新政府の政策に反発し、各地で反乱が勃発することになるのだが、ここ萩にも不穏な空気が立ち込めていた!・・・杉民治が萩の家の台所に駆けこんで来て美和に告げた「美和、前原が新政府に不満を持つ連中を、明倫館に集めとるらしい!」、前原さんが!?、それは、再び美和を襲った試練の前触れであった!・・・

あっ、24人目のノーベル賞受賞者が生まれた!先ほど、昨日の大村教授に続き、スウェーデン王立アカデミーが、東大・宇宙線研究所の梶田隆章教授(56歳、川越高、埼玉大卒、東大大学院)と、カナダ・クイーンズ大のアーサー・マクドナルド名誉教授(72歳)の二人が、2015年ノーベル物理学賞を授与すると発表した!どうやら、梶田教授は、宇宙で最小で全ての物質を通り抜け、幽霊粒子と呼ばれる、直径1/1000兆ミリ以下なる素粒子“ニュートリノ”に質量があることを発見したようだ!よって、これまでの『ニュートリノの質量はゼロ!』の説が覆され、物質や宇宙の謎に迫る、素粒子研究の発展に寄与してきた功績が評価されたようだ!・・・

梶田教授は、光電子倍増管が取り付けられた観測装置“スーパー・カミオカンデ(岐阜県飛騨市神岡町、1996年に稼働)”で得た観測データーを基(もと)に、そのことを実証し、1998年6月の国際会議で発表した!また2003年6月、更に蓄積された観測データが素粒子“ニュートリノの質量の存在”を確かなものにした!科学ジャーナリストの解説によれば、その観測装置“スーパー・カミオカンデ”に張られた超純水に、ニュートリノが通り抜けた時、微弱な青い光を出し、微かな震動を光センサーが捉えるらしい!こからは現在物理学の見直しが迫られ、世界の注目が”ニュートリノの質量”に集中することだろう!?・・・

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 維新・花燃ゆ、第40話“二人... | トップ | 惜しい!サモアがスコットラ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事