Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第48話“天下動乱!~後編” 2014年12月1日

2014-12-01 15:35:26 | 日記・エッセイ・コラム

予報通り西日本には大陸から寒冷前線が南下してきて、等圧線が狭まり冬型の天気図となった、朝方まで大雨が降り、強風がガタガタ吹き荒れる不安定な天気になっている!これでは、はやぶさ2号の打ち上げが3日まで延期されるのも無理はない!3日当日には適度な風で晴れてくれれば良いのだが・・・

大坂城では、毛利輝元を総大将に、恵瓊を軍師に据えた西軍が、京、大坂周辺の東軍への攻撃を始めていた、輝元「大悪人、徳川家康をしかと成敗してご覧に居れまする!」、まだ7,8歳の秀頼が黙っていたので淀君が「秀頼殿!」と促した、「はい、毛利殿、万事よろしく頼むぞ!今日はこれを授ける!」、侍従の者が三宝に載せられてきた恩賞のお品書きを授けた、輝元「有難き幸せ!」・・・

上杉景勝討伐に向かう家康、長政等の東軍は下野(しもつけ)の国まで兵を進めていた、宇都宮に陣を構えた長政に、次の様な知らせが一成から入った、「石田の挙兵を受け、上杉討伐に加わっていた諸将を集め、明日、小山にて軍議が開かれることに成りました!」、『分かった!』、「それに先立ち、徳川様が殿にお会いしたいとの事で御座います!」、『直ぐに参る!』、ははっ!、暫く考えていたが長政は一成を呼び止めて命じた『緒用がある故、のち程、必ず参上すると返事せよ!』、ははっ!、又兵衛「殿、緒用とは?」、『寄り道じゃ!』と言い捨て小山の家康本陣へ出向いて行った・・・

黒田様がご到着されました!、通せ!、家康はイワシの日干しを当てに飯をかき込んで居った、長政『遅くなり、申し訳ございませぬ!福島正則らの陣に寄って居りました!』、何故また!、『福島殿は大の三成嫌いとはゆえ、豊臣の縁者(母が秀吉の叔母)!此度は、三成どもは秀頼君を主君として奉じて居ります!それ故、福島殿の動きが気になって居りました!心変わりするのではないかと!』、して?、『決して豊臣に弓を引くわけではありませぬ、秀頼君をお守りするために御座います!正則様は、内府様にお味方すると明言されました!』、間違い御座らぬか?、『随分、迷って居られましたが、もはや心変わりはありませぬ!』、ふふふふ~~~!と家康が笑った、周りも笑った・・・

笑っていた榊原が口を開いた「あっ、否、実は評定(評決)に先だって、黒田様をお呼びしたのは、正にそのことをお頼みしたかったからで御座る!」、直政「我等も福島様の動きが気になって居りました!福島様と付き合いの古い黒田様なら、説き伏せて下さるのではないかと、思って居りましたが!」、忠勝「手間が省けた!はっははは~~~!」、家康が長政に近づき、初めてもの言うた「(養女・栄の)婿殿、ようやってくれた!さすがは如水殿の倅、知略は親譲りか!?」、『有難きお言葉!』、家康「のちのちも頼りにして居るぞ!」、はっ!・・・

慶長5(1600)年7月25日、上杉討伐に加わった大名達が集まり、下野・小山にて軍議が開かれた、家康『御一同、わざわざ大儀で御座る!』、直政「大坂で石田三成が挙兵致しました、昨年、奉行を追われた遺恨を晴らさんと謀反を起こしたものの、敵には毛利、宇喜多の大老二人が頓死して居ります!」、家康『此度の一件、三成とその一派の陰謀であることは明白!されど、敵は秀頼君の御ためと称して居る、また諸将の妻子が人質とされて居る!遠慮はいり申さぬ!三成に組したいと思われる方は、此れより速やかに陣を払い、大坂に戻るが良い!決して停め立ては致さん!』・・・

少し座がざわめいた、その時、正則が立ち上がって訴えた「何を仰せられるか!今更、三成に味方するなど、在りえぬ!秀頼君への忠義には一点の曇りも御座らぬりが!この正則、神妙を惜しまず、内府様にお味方いたす所存!」、長政『それがしも同様に御座る!三成殿は秀頼君の名を方便に使って居る汚き男じゃ!妻子を人質に取るなど卑怯千万!断じて許しては成らぬ!』、おおお~~~!、『天下のため、三成とその一派を倒すのみ!』、おおお~~~!、そうじゃ~~~!、家康『ならば、このまま西へ取って返し、逆賊・三成を討ち果たす!異存は御座らんな?』、おっおおおおお~~~!!・・・ 

大坂城でも三成に味方する一派が恵瓊が中心になって軍議を開いて居った、恵瓊「上杉討伐の諸将は、ほぼ全てが家康に味方すると、こちらに引き返して来るそうじゃ!」、三成『太閤殿下に取り立てられた御恩も忘れ居って!』、長盛「人質を獲ったことが、裏目となったか!?」、三成『だが、この大坂から西は味方で固めた!我等の優勢に変わりはない!』、恵瓊「気がかりな事がある!」、三成『何で御座ろう?』、恵瓊「黒田如水じゃ!」、行長「今、黒田の軍勢は長政と伴に在る、幾ら如水となれども、兵が無ければ何も出来まい!」、恵瓊「否、それが如水を慕って、百姓、町人までもが集まり1万近くにも成っているらしい!」、1万!、放って置けぬ!、三成『あっははは~~~!何という男だ!だが、手は考えてある!』・・・

三成は、かつて豊後を支配していた大友吉統(よしむね、宗麟の嫡男)を大坂城へ呼び出した、大友「恐れながら、本領を召し上げられたそれがしに、再び豊後をお与え下されるとのお約束!弼濃い(ひつこい)ようですが、間違い御座らぬか?」、輝元「相違ない!軍資金と武具を十分に遣わす!」、三成『黒田如水を倒した暁には、豊後はお主のもの!』、大友「有難き幸せ!豊後にて400年続く我が大友の旗を掲げれば、たちまち数千もの兵が集まりましょう!」、長盛「敵は武名高き黒田如水!くれぐれも油断召されぬよう!」、大友「分かって居ります、お任せ下され!如水殿には気の毒で御座るが、大友再興のため、転んでもらおう!」・・・

その頃、如水は一人縁に座り、かがり火に照らされながら、豊富な水量が流れ落ちる滝を連想しながら瞑想にふけっていた、『上善は水の如し!水は善く万物を利して争わず!衆人の悪(にく)む所におる!故に道に畿(ちか)し!』、紀元前600年、周の時代に生きた哲学者・老子が説いた教えだった、そこへ黒田三銃士がやって来た、善助「大殿、お呼びてしょうか?」、如水『ようやく兵も整いつつあるゆえ、改めて、お主たちに話しておく!わしの天下取りの策じゃ!』、如水等は、ローソクの灯りがともる軍議用テーブルに移った・・・

『此度の大戦さ、決着が着くまで、暫く時を要するであろう、そこが狙い目じゃ!徳川と三成が争っている間に、我等は力を蓄える、まずは九州、ここはほぼ、三成の味方ばかり!』、如水の後をオーバーラップしながら太兵衛が続けた「三成の味方ばかり、これらをことごとく、たいらげ、九州一円を黒田のものにする!」、善助「さすれば、味方は益々増え、今の数倍にはなろう!その兵を率いて、一気に中国へ攻め入る!」、九郎右衛門「毛利は大坂に出兵し領国はがら空き!更に進めば、我等が故郷の播磨!」、如水は的を得た3人の推理に引き込まれ感心して聞き入った、太兵衛「ここまで進めば京・大坂は目前!我等の手勢は更に膨れ上がって居りましょう!この数、およそ10万!」・・・

善助「そこです!最後の大勝負、家康と三成、勝ち残り、疲弊しきっている方へ、決戦を挑む!これが大殿の策!」、太兵衛「兵糧は既に買い集め、長陣となっても尽きることはありません!」、九郎右衛門「物見を各地に潜ませ、大名、小名、地侍、全てを把握して居ります、此度、我等をお近くに留め置いたのは、大殿の天下取りのため!」、善助「我等は30年間の長きに渡り、大殿に仕え、見続けて参ったのです!」、太兵衛「大殿のお考えなど、寝ていても分かりまする!」、失言なんじゃ、太兵衛!あっははは~~~!如水は三銃士に感服し頭を深々と下げた、善助「大殿!」・・・

如水『わしは良き宝に恵まれた、善助!九郎右衛門!太兵衛!得難き宝が三つもじゃ!お主たちのお蔭で、ここまで生きながらえ、軍師として、重用されることが出来た!わしはなあ、お主たちと共に、天下を狙う!黒田の礎(いしずえ)となったお主たちは、天下の礎となりえるかどうか、見てみたい!そして、天下と云う器が、わしに相応しいのかどうか、試してみたい!』、皆泣いていた!小生も貰い泣きした!善助が拳を叩いて、立ち上がって言った「我等、黒田武士!大殿の天下が見とう御座います!」、太兵衛「やりましょうぞ!大殿の天下獲り!」、九郎右衛門「して!黒田勢は徳川に着いて居りますが、如何なさる御積りで!?」、如水『わし等は老兵じゃ、強(したた)かに動くまで!長政達は、わし等に従わざるを得なくなる!それに、わしは長政を信じて居る!』・・・

長政の軍が三成等を討つため西へ進んでいった、東西両陣営の鍵を握る人物が京の高台寺を訪れていた、それは小早川秀秋である、家老の平岡頼勝をお伴にしていた、高台院と改め出家したおねには、杉原家定と云う兄が居た、その兄の五男・秀秋が後に小早川隆景の養子となって小早川家を継いだ、秀秋「されど、このままでは石田方と見なされてしまいますゆえ、果たしてこれで良いのかどうか?」、おね改め高台院は呆れて言った『ふ~~ん、相変わらず、煮え切らない男じゃのう!子供の頃から少しも変わらぬ!秀秋、お前はどちらに着きたいのです?』、「それは勝つ方に!」、『ハッキリなさい!!領主と成るものは、こうと決めた道を、真っ直ぐ進むのじゃ!そうでなければ、家臣は従わぬ!』、「それは分かって居りますが、伯母上、如何したら良いのでしょうか?」、『わたくしが最も信用している者に、書状を出します、その者に相談なさい!ただし!最後に決めるのは、お前ですよ!ですよ!』、はい!・・・

高台院が書状を書いた相手は長政だった、本陣で長政はニタニタしながら目を通していた、一成 「政所様は何と?」、『小早川秀秋殿がわしに相談があると!?』、小早川様が?、もしや?、『こちらに寝返りしたいのであろう!天がこのわしに味方して居るぞ!』・・・家康は江戸に戻り、のんびりと鷹に餌をやりながら、出陣の期を覗っていた、そこへ伝令がやって来て「殿、美濃の井伊様からの書状に御座います!」、『うん、読め!』、はっ!今のところ、豊臣恩顧の大名の離反はありませぬ、味方は志気も高く、殿の御出陣をお願い奉(たてまつ)る!とのことで御座います!、家康『せっせと書状を書いた甲斐があったか!ふふ、そろそろ、わしも出陣するか、仕度をせえ!』、ははっ!・・・

大友吉統が数日中にも、大坂を出る構えで、続々と武具・兵糧を船に積んで居るとの情報が中津城にも届いていた、如水『来るとすれば、大友の旧領である豊後の大分の辺りであろう!』、九郎右衛門「味方する者が大勢出るに違いありません!」、『仕度を致せ!大友の勢いが大きくなるうちに、叩き潰す!』、はっ!、日本史上最大の合戦がいよいよ始まろうとしていた!・・・

 

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