Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

野口・北野の池めぐり 2011年10月3日

2011-10-03 11:05:45 | 日記・エッセイ・コラム

ここんとこ、ここ加古川はスキマスイッチの詩のように“晴れときどき曇り”の天気がつづいている、今日も午後から飽きもせず『郷土探訪に出かけて来る!』と家内に言って出かけた、「ごゆっくりと!」、まず別府川を下って先日、闇の中に眠っていた“白ヶ池”の名残が垣間見られる字白池へ直行した、さて皆さん!お待たせしました!これが待ちに待った!ご期待の白ヶ池の全貌だぁ~~い!ええよ~~!じゃじゃ~~~ん!篤(とく)と御覧あれ~~~!・・・

右には北野川が流れてきて、左から流れてくる白ヶ池川に合流しているんだぁ・・・

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足元の悪い茂みを掻(か)き分け掻き分けして!森を通り抜けて向こう岸に廻って違うアングルからも白ヶ池の水辺を捉えたさ!・・・

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ここ白ヶ池から白ヶ池川の上流の先を辿ると、加古川工業団地をめぐって行った、途中逢った同年代のおばちゃんの話によれば、20年前までは北野新田に蓮池があったと言う、その池が埋め立てられる前に全て池の水が抜かれ、住民たちは鮒や鯉などを先を争って掴(つか)まえて帰ったと言う、そこに現在の野口北小学校が建てられた、白ヶ池川はその北側を通って工業団地北端、新北野集会所の直ぐねきにある“戸ヶ池”の方向へ伸びていた・・・

小生の東亜医用電子工業(シスメックの前身)加古川工場時代、この加古川工業団地の周辺は社内駅伝チームの連習コースになっていた、昼食を食べる前に駅伝仲間とよく走っていたものだ、その昔、神戸市の山田川疎水事業に、周りの三木市や稲美町や加古川市が便乗して農業用水改良事業を始めた、満溜池から北山地区をぬける曇川から灌漑用水路を加古川・水足地区へ伸ばしていった、石守の皿池から流れ出し平木池戸ヶ池を潤おしていた白ヶ池川もその山田疎水事業の延長線上にあった!・・・

先日は日が暮れて、またその史跡説明表記も禿げかけてよく読めなかったため、お堂の名称が分からなかった、今日はバッチリ“寂照庵(じゃくしょうあん)”であると分かった☆その読みにくい史跡説明書きによれば、ここら一帯は湿地帯になっていて、よく長雨が降ると水浸しなっていた、そこで1676年(延宝4年)に、“北野村の開拓の祖”と呼ばれている中谷宗久が灌漑用水路を整備し、水利豊かな良田地を築きあげたらしい、彼の功績を讃えて、その80年後に、ここに墓石と寂照庵を建てたらしい、お堂の中には“白池の観音さん”と親しまれる観世音菩薩の座像が鎮座していた・・・

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但陽信用金庫側から北野新田交差点を渡ると、そこは墓地になっていて、立派な観世音菩薩立像がそびえていた、また、その直ぐそばにあるから流れ落ちてくる水路が合流する樋門があって水路が分岐していた・・・

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県立農業高校とその間に“今池”がある、フレッシュストアーYamadaで用を足してから、店内でポカリスエット1本買って飲み干した、そのYamadaストアーから、すぐ北のその墓地の上にあるに登って行った、その池の傍には“北野公園”が広がっていた、その公園に隣接するグランドで左足を引き摺(ず)りながら、グランドゴルフのスティックを杖(つえ)代りにして90歳ぐらいの老人が一人で運動しているのをめっけた!・・・

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早速その長老に近づき、メモ片手にして取材をかけた、この池の名前を“狐池”と教えてくれた、どうやら、彼は若い頃に“ヘルペス”と言うウイルス性皮膚感染症にかかっていたらしい、しかし間もなく、その症状も治まり、なんと晩年まで健康体で人生を送っていた、しかしここに来て再発した!ヘルペスとは水痘(水ぼうそう)や帯状疱疹を引き起こす、中には男女とも性器感染して大事なところがただれる怖~~い感染症らしい!・・・

その長老の場合、最初は目に来て、それから腰に来て神経を損傷して歩行が困難になり、何度も入退院を繰り返しているらしい、彼はこれ以上、身体が衰えないようにしようと運動していたのである、がんばる~~!ファイト!ええ話や~~~、幼少の頃この池に繁茂する“菱(ひし)”を端に石を結わいつけた紐を投げて引っ掛け、それを手繰り(たぐり)寄せ“菱の実”を食べていたと懐かしく話してくれた、今では食べる者もいなくなり、あの台風12号の豪雨によって打ち揚げなれた菱の草ツルが池の渕に見捨てられていた・・・

今朝のモーニング・バードによると、ヘルペスは基本的には脳神経をウイルスが、身体の弱った時を見計らって悪さを仕掛ける病気らしい、脳神経を癒すためには、抗ヘルペス疫学の食事として、“イミダペプチド”を多く含んだ鶏の胸肉が良いらしい☆それに合わせて、“クエン酸”を多く含む梅肉を食べれば効果覿面(こうかてきめん)だそうだ☆カツオの尻尾の切り身も良いと云うことですぞ☆・・・

狐池から野口北小学校沿いに進み工業団地に戻った、その小学校の運動場の横に寂しく割と広い名もないお堂がぽつんんと建っていた、そして特養・万亀園(まんきえん)前を通って戸ノ池に立ち寄り覗いてみた、水面は水草に覆われ余り手入れされていなかった・・・

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そこからあのビッグプロジェクト!側道に“市道加古川中部幹線”が、高架橋脚上に“東播磨南北道路”の建設工事が進行する道沿いを西北に向かった、むかし福沢の谷をまたがって架かっていた、花崗岩と赤レンガ造りの立体橋水路“平木橋”から山田疎水が流れ込んでいた平木池(既に用無しになって埋め立てされている)があった辺りを散策した、そこから私有地を横切り、KYGUNUSのガソリンスタンドの向い、神野町石守にある“福澤”交差点へ急いだ・・・

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その福沢の交差点から西に3軒目の家の裏側に廻り、そこの狭い敷地に、平木橋から流れる山田疎水を取り込んでいた、赤レンガ造りのサイフォン塔を発見した!☆高低差のある平木橋から取り込んだのだから、こんな高いサイフォンが必要だったのか?この度の一連の取材で、このサイフォンのことはある芝生管理者から聞いていたので、小生、是非一度、目の当たりにして観たかった☆満足満足・・・

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それから、すぐ近くにあるホームセンター・ダイキに廻って、果樹コーナー少し眺めたが、まだ秋の新入荷ものは入ってなかった、すぐダイキを離れ石守団地を通り貫けて、加古川刑務所の南側に広がる“山ノ神池”を眺めながら夕暮れ迫る家路を急いだ、今日の小生の健康貯金は21006歩、13.6km、674kcalエネルギー消化となった・・・

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