Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

日本で一番古いマラソン・レース! 2015年3月1日

2015-03-01 12:17:58 | 日記・エッセイ・コラム

気温9℃、北北西の風2.4m/s、降りつづく雨の中、北京陸上最後の選考会、終戦の翌年から始まり70回を迎えるびわ湖毎日マラソンが12時30分に幕が開き、ランナー達が皇子山陸上競技場を後にした、注目は2°05′25″のベストを持つエチオピアのウォルクを中心にして前田和浩、松宮隆行・佑行、佐々木悟、宇賀地強等12人のナショナルチームのメンバーを中心にしてレースが展開されていくだろう、二人のペースメーカが引っ張る大集団が3kmを9′22″で通過した、琵琶湖疎水口を過ぎ5kmを15′30″の比較的遅いペースで通過した、近江大橋を過ぎ、関所があった昔の面影が残る瀬田の唐橋手前の10km地点を大集団がこの5キロ15′05″の30′35″で通過した!・・・

名神高速をくぐり、紫式部が源氏物語の構想を練ったと言われる石山寺を過ぎ、平津峠を登って下り、瀬田川の洗堰を対岸に渡り、48人が15km地点を15′08″の45′45″で通過した 、風が2.6の迎え風になった、瀬田の唐橋東詰を過ぎ、20km地点を15′30″の1°01′12″で40人が通過した、中間点を1°04′39″で通過し、新瀬田川浄水場を折り返していった、40人の集団が二つに割れようとしている、25kmを15′22″の1°16′34″で25人が通過した、宇賀地と松宮佑行が置かれていく、洗堰を西岸に渡り、この1キロ3′11″とペースが落ちてきた、雨が激しくなり苦しい平津の登りにかかる、ペースメーカーが外れ、30kmを15′34″の1°32′07″で12人が通過した、あっ、ドォング、バクトゥチル、メウッチ、前田和浩が前に出た!優勝候補のウォルクと、松宮隆行も佐々木も置かれていく、32キロでケニアのドォングが単独トップに躍り出た!・・・

トップのドゥングと、前田を含む3人の2位グループとの 差が180m27秒と広がって行く、ドゥングが35kmを15′06″の1°47′12″で通過した、36キロを過ぎ2°07′04″のベストを持つバンダナ姿のドゥングの優勝が濃厚になった、37キロを過ぎ苦しくなった前田が粘るも徐々に2位集団から離され、ゴール予想タイムも10分を超え北京が遠のいていく!40km地点をドゥングが2°02′31″で通過し、この5キロを15′19″でカバーした、そしてゴール予想タイムが2時間9分台となった、前田が40kmを2°04′20″で過ぎゴール予想タイムが厳しい2時間11分台となった!・・・

取り付けロードからトラックに入りケニアのサムエル・ドゥング(26歳、元愛知製鋼)がトラックを1周して2°09′08″で 悠々堂々ぶっちぎりの優勝テープを切った!☆2位2°11′09″のメウッチ(29歳、イタリア)、3位2°11′18″のバトウチル(33歳、三重・NTN日本精工、モンゴル出身)につづき、日本人トップ前田和浩(33歳、佐賀・白石高、九電工)が、選考されるには微妙なタイム4位2°11′46″で執念のゴールを果たした!☆そして初マラソンに挑戦したコニカミノルタの野口拓也(26歳、東北高、日体大)が5位2°12′29″の日本人2位で堂々ゴールインを果たした☆6位2°13′28″でディエマ(22歳、ケニア)が、7位2°13′32″でウォルク(24歳、エチオピア)がゴールしたあと、米澤類(27歳、敦賀〈つるが〉・気比高、青学大、中国電力)が 2°14′13″で8位に入賞した!・・・

花燃ゆ第9話”幕末の風雲児・高杉晋作、参上!”では、文の触れ込み“おにぎり付、おやつ付、長居すると夜食付と宿泊付き”の努力の甲斐あって松陰塾にも、入塾を志願して勉学の志を持つ 若者たちが集まり始めた、赤禰武人(あかね たけと)、品川弥二郎、寺島忠三郎も新しく加わった、もう一人、藩校・明倫館がつまらぬとほざく毛利家の側近を代々使える名門家の御坊ちゃま・高杉晋作も、伊之助に「松本村のペリーの船に乗り込んだ男がやっている松陰塾を訪ねてみろ!」と勧められて顔を見せるようになっていた、寅次郎は一切塾料はとらない!そんなこんなで出費がかさみ、家計は火の車になっていたが文が何とか工面していた!久坂が訊ねた「松陰先生、医者の私しでも、この長州を、この日本国を守れる男になれると思いますか?」、寅次郎が答えた『それは君の志次第だと思います!君は何を志しますか?』・・・

家計の助けになればと高杉家の裕福さを見込んで、文は晋作に近づいた、弟・敏三郎もそれに加担し、協力しようとしてくれていた、文は高杉家に訪問して晋作が気に入ってくれた饅頭を彼の三人の姉妹のために作ってあげた、寅次郎だけを許すだけではなく、公平正大に他の囚人たちも野山獄から解放されては?と伊之助が 椋梨に提案した、それが受け入れられ、解放された富永有燐も寅次郎を訪ねてきた、伊之助の狙いは“罪人は所詮罪人!”皆にそう思わせるのじゃ!そこにあった、新しい登場人物として若狭・小浜藩が追い出された尊王攘夷の運動家であり儒学者でもある梅田雲浜(うんびん)なるものが以前からの顔見知りの寅次郎を頼って現れた、彼は、寅次郎が長崎で乗り込もうとしたロシア船に大阪で乗り込もうとしたが、しくじったそうな!何とも寅次郎はあちこちで皆から慕われているもんだ!そんな兄が文は誇りだった・・・つづく

 

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