Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

維新・花燃ゆ、第49話“二人の再婚!~後編” 2015年12月8日

2015-12-08 10:03:55 | 日記・エッセイ・コラム

久坂美和が、久坂家の嫡男となる秀次郎の襲名披露のため、萩の杉家に帰っていた間に、群馬県令・楫取素彦は、“前橋までの鉄道建設”と云う新たなる課題に取り組んでいた!その課題のための県議が開かれ、勧業課主任の鈴木栄太郎がその趣旨を発表していた「今、群馬の生糸は、馬車と船で出荷されて居ります、より大量に、効率よく、この前橋から横浜港まで運ぶためには、鉄道が不可欠であります!」、阿久沢が指摘した『だが、鉄道建設には、莫大な費用が掛かる!』、楫取が言った『政府から建設許可が下りるところまで行ったのだが、先の西南戦争の出費もあり、多額の費用を国が負担できないと、結局は取り下げられた!』、阿久沢『折角、生糸の輸出が順調に伸びてきているっちゅうに!』・・・

県議のあと、楫取が阿久沢と二人で話した『かつて、長州でお仕えした毛利元徳様は、今は第十五国立銀行の頭取になって居られる、この件について、何か力を貸してくれるかも知れん!』、阿久沢『それは宜しいかと!』、楫取『早速、手紙を書いてみましょう!』、『はい!・・、ところで美和さんは、まだ萩の方に?』、『久しぶりの実家だ、ゆっくりして来れば良いと、言ってあります!』、阿久沢『お手伝いさんは、断ったと聞きましたが!』、・・・、『あとは、美和さん次第ですな?』、・・・萩の実家では縁に腰かけ縫物をしている滝に、野菜籠を持った亀が話しかけていた「辰路さんと秀次郎は無事、京に戻った頃でしょうかねえ?」、滝『そうやねえ・・これ、秀次郎にと思うてねえ!』、へえ~~!、『この歳になって、また孫が出来るや何て!』、はい!・・・

そこへ、やって来た美和が、滝の前に正座して、「ご相談したいことが!」と切り出した、如何しました?、「実は、兄上・楫取から、これから、一緒に歩んで行きたい、傍で支え合いながらと・・」、滝が笑顔で言った『そいで、あんたの気持ちは?』、美和「わたしは・・分からんのです、怖いような気がして、久坂とのこと、忘れることは出来ません!そねな、わたしが・・それに、自分だけ、そねえがこと許されんような・・」、滝が諭(さと)すように言った『美和、ええんですよ!幸せになりんさい!あんたも、楫取さんも、苦しみを一つ背負うたびに、強うなって来た、やけど、それは、独りではのうて、二人で支えおうて来たから、やってこれたんと違うかねえ?あんたと楫取さんは、何かあ、見えない糸で結ばれとる気がするけど!』、母上!、『幸せになって貰いたい!皆んな、そう願うとるよ!』・・・

萩を離れる前に、美和は亡き夫・久坂玄瑞、父・百合之助、兄・寅次郎の位牌の前で手を合わせ、何かを願うた「父上、寅兄、旦那さま!」・・・そして、前橋に戻って来た美和は、茶箪笥(ちゃだんす)から、書類箱を取り出して、ある決意を新たにしたようだった・・・県令室に阿久沢と鈴木がやって来て楫取に問うた『鉄道の融資は如何なりそうですか?』、元徳からの返事に目を通したあと楫取が言った『元徳様は、力にはなりたいと仰せ下さいました、ですが、国立銀行だけでは多額の融資は難しいと!』、鈴木「は~~、では、新たな手段を考えねえと成りませんなあ!」 、阿久沢『あっ、そうだ、今日は、美和さんが戻ってくる日じゃ!』、ええ!、『どうぞ、早くお帰り下さい!』、ですが・・、『県令殿!』と阿久沢は急かした・・・

県令屋敷の美和は、書類箱をそっと開けた、何と、その中には久坂玄瑞からの手紙で詰まっていた!その時、山笠帽をかぶった久坂が通り過ぎたように思えた、美和は庭に出て、その手紙を一通一通、目を通しながら燃やしていった、その時、美和!と声が掛かった、振り向くと楫取が戻って来ていた、美和は慌てふためいた、『どねえしたんじゃ? 何を燃やしてる?』と問いただし、手紙を拾い上げて見た、美和は目を伏せ、よそを観ていた、楫取が言った『何度も読み返したんじゃろ!』、その手紙を読み終え、折りたたんでから続けた『美和、わたしが寿を忘れんように、お前も、久坂の事を忘れられるわけがない!』、美和に手紙を返しながら言った『これは、ずっ~~と、持っておれば良い!』、涙顔で受け取った美和に楫取は言った『一緒に、やって行こう!』、立ち上がって楫取は美和に言った『わたしの、妻となって欲しい!』、小声で美和は、はい!と言った、そして立ち上がり、楫取の眼を観てから、美和は深く頭を下げて言った「宜しくお願い致します!」、二人は暫く見つめ合っていた、美和の脳裏に、初めて出会った時の、あの優しい楫取の顔が浮かんできた・・・ヽ(^。^)ノばんざ~~~い!よかった、よかった・・・

その日も、阿久沢商会は、生糸の相場も安定し、活気に満ち溢れていた、せいが叫んでいた『旦那様~~!只今、戻りました!斎藤様御一行お着きです、番頭さん、頼みますよ!』、そこへ、「わっ、わっ、わ~~、大変です~~~!ちょ、ちょ、ちょい!」と人をかき分け、伝令役の鈴木栄太郎が飛び込んできた!、如何した?、そんなに慌てて!、鈴木が報告した「県令殿と、美和さんが、入籍の書類を、提出なさいました!」、おおお~~~!、やりました~~~!、やった~~~!、おせいさんから知らされた学びの場の女工たちも大喜びで、大はしゃぎじゃった!そこへ美和が、トコトコ、登校してきた、おめでとうございます!皆から盛大な祝福を受けていた、ありがとうございます!美和は嬉しそうに、はにかんでいた・・・

県庁でも、おめでとうございます!楫取が全職員から祝福と拍手の嵐を受けていた!ありがとう!ありがとう!、よおっ!県令殿!、そこへもう一人の伝令役の工藤長次郎が手に何か持って、県令殿!県令殿~~!と駆け込んできて伝えた 「県令殿に、招待状が届きました!」、招待状?、一通の封筒の裏には“鹿鳴館(ろくめいかん)”と書かれていた?・・・この頃、政府は西洋風の社交場“鹿鳴館”を造り、毎夜、男女がペアに成って、タキシードとドレスに着飾り、ダンスを舞う舞踏会を開いていた、欧米との不平等条約を改正するため、日本の文明国ぶりを世界に向け、印象付けようとしたのである!・・・

せい『へえ~~~!鹿鳴館に!まあ、ご夫婦でご招待を!』、美和「毛利元徳様がお計らい下さったそうです!」、そのことは学びの場でも大きな話題になって居た、「鉄道建設のために、力に成って貰えるよう、夜会に来られる有力者の皆さんに、話をしてみたら如何かと!」、せい『そうですか~~! それじゃあ、お二人でご夫婦になった初仕事に成るんだいね!』、「はあ~~!はい!兄と頑張ってきます!」、『もう、兄じゃねんじゃ!?』、あっ~~!、パチン!(おせいさんが美和の背中を叩いた音)、あっはははは~~~!・・・

舞踏会の前夜、楫取と美和は、結婚の報告も兼ね、東京・毛利家の晩餐会にも招待されていた、そこには、あの懐かしい都美姫こと、毛利都美子も姿を見せていた!『ほんに、目出度い!亡き大殿も、さぞ喜ばれていることであろうのう!』、御前様!、皆から祝福の言葉を頂いた、安子『さあ、頂きましょう!』、二人にとっては見慣れない、洋食風のデナーで、ちと、ナイフとホークを使った食べ方に手間取った、嫡男・元昭(もとあきら)が『こうするのじゃ!』と手本を見せてくれた、二人は、何とかステーキを斬りさばいて口元に運んだ、少し切り方が雑で、大きくなりすぎて苦戦した!、モグモグ、大き過ぎました!、うふふふ・・・

元徳が口を開いた『鹿鳴館には、政府の伊藤や山県も来るはずじゃ、あの二人にも相談してみるとよい!』、楫取『何とか、前橋までの鉄道が建設できるよう頼んでみます!美和も居てくれますし!』、はい!、都美子『良き夫婦じゃのう!』、うふふふ、安子『そうじゃ、用意しておいたぞ、あれを持て!』と侍女に声をかけた、はい!、すると、美和のために用意されたキラキラ、煌(きら)びやかな舞踏会用のドレスが出て来た!ビックリポンや!、これは西洋の!、安子『美和のじゃ!』、わたしの?、『楫取に頼まれたのじゃ!』、えっ!?、楫取『鹿鳴館には、これを着てくれ!』、いや~~、そねな!、楫取『大丈夫じゃ!お前なら!』、熱々じゃわい!、安子『きっと、良く似合う、美和!』、その場が和み、みんな一同に、幸せな笑顔に包まれていた!・・・

花燃ゆ紀行・・・明治16年(1883)7月7日、東京府麹町区(今の千代田区)・山下町、薩摩藩藩邸跡地に、諸外国との交流の場として、鹿鳴館が誕生した、館では、舞踏会の他、貴婦人会によるバザーも模様され、女性が活躍する場としても注目を集めた、毛利安子もこの時代に活躍した女性の一人である、公爵夫人・毛利安子は日本赤十字社の要職に就き、福祉活動に尽力した、更に慈善団体“福田(ふくでん)会”の幹部も勤め、美和こと男爵夫人“楫取美輪子” も、その発起人の一人となった!その後、明治23年(1890)、山口県防府に毛利家本邸が完成し、元徳と安子の長男・元昭は、その人生の多くをここで過ごしている、和の趣(おもむき)を残しながら、西洋の調度品も取り入れた、この屋敷からは、公爵家の生活ぶりが覗(うかが)える、この本邸は当時の姿のまま、重要文化財に指定され、博物館として、今も多くの人達に慕われている、兎に角、この本邸の庭園の広さ、豪華さは半端じゃねえ!一度訪れてみる価値大いにあり!・・・

 

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