Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

新・花燃ゆ、第35話“孤高(超絶)の戦い!~前編” 2015年8月31日

2015-08-31 10:20:22 | 日記・エッセイ・コラム

長州征討のため、幕府軍総督・徳川茂承(もちつぐ、紀州藩第14代藩主)と、副総督・本荘宗秀(ほんじょう むねひで、丹後宮津藩第6代藩主)率いる幕府軍は広島に軍を進め、本陣を構えていた、陸軍奉行・竹中重固(しげかた)も同席していた、幕府老中・小笠原長行が軍の士気を鼓舞して言った「表向き恭順の裏で、不貞を企て、再三の召喚にも応ぜず、あまつさえ、密貿易の疑いまである!この長州を討てと、再び勅許が下された!」、徳川茂承『公方(くぼう、将軍)様も既に大坂に御着陣!長州が此度の呼び出しに応じなければ、直ちに攻撃を開始する!』、おおおおお~~~!・・・

一方、下関・長州軍駐屯所では、野村靖が隊士たちを前にして熱く語っていた「これまでの知らせをまとめると、どうやら幕府軍は、この五方面へ兵を進めて居る、芸州口、石州口、周防大島口、小倉口、萩口、いずれも突破されると厄介じゃ!」、山県「此度は武士、百姓、町人、共に闘う、兵の訓練、士官の要請など、まだ不足がある!」、利助「すでに小銃7千丁を配りましたが、なんせ、新式銃です、扱いに慣れんもんで!」、前原「諸隊に弾薬を運ぶ経路を見直さんにゃならん!今しばらく、時を稼ぎたいところじゃなあ!」、高杉がそれをじっと聞いていた・・・

山口城では伊之助が幕府の召喚に応じて、嘆願書を持参し、毛利家の罪状をすべて認否した上で談判し、時を稼ぐため広島へ行くと、敬親の前に出て志願した、元徳『じゃが、単身で敵陣に乗り込むとなれば抜き刺しならぬことに成ろう!?』、伊之助「たった一藩で幕府軍を打ち砕くか否か、天下分け目の今、例え、骸(むくろ)となって帰ろうと、いささかの悔いも御座いません!それに京では、桂殿が道役になってくれましょう、更に、我が軍には海軍総督・高杉晋作なる風雲児が居ります!この命、実に賭けがいが御座います!ただ一つ、懸念すべきは、民です!民・百姓も兵に加わるからには、何故今、戦火を交えるのか?幕府を迎え討つにあたり、長州藩の忠義とは何か?広く藩内に知らしめるべきかと!?」、敬親『伊之助、そうせい!』 、出た~~~!はっ!・・・

そのことを元徳が銀姫、潮、美和らに知らした、小田村殿が?、元徳『小田村は既に、幕府との交渉のため、広島に向かった!と云うても、時を稼ぐためじゃ!幕府は我が藩から10万石減俸し、殿や余(よ)を、四支藩の主、桂を始めとする重臣と共に、広島に出頭せよと!それに、興丸も!応じれば和平、拒めば戦さ!』、銀姫『成れば、戦さで御座いますね!?』、『ああ!いよいよじゃ!』 ・・・

都美姫の間(ま)には甲冑が一体置かれていた、銀姫『御前様、これは一体?』、都美姫『わたくしの、甲冑である!』、薙刀隊も再編成されていた、『この城に攻め入られることも、充分あり得るであろう、その時はわたくしは、戦う積りじゃ!姫は如何じゃ?』、『無論、わたくしも、戦います!』、わたくしも!、わたくしも!、わたくしも!、美和は?、「恐れながら、わたくしは、逃げたいと!興丸様をお連れして逃げて!何処までも逃げのびて!危険な際には、この身を挺して、興丸様をお守り致します!例え、長州が焦土となろうとも、興丸様さえご無事なら、毛利家は必ずや復興しましょう!」、都美姫『美和、お前は諸隊の兵たちには見知りも多い、今こそ、お前の力が要る!』、美和「お許しして頂けるなら、申しあげたきことが!」・・・

美和は大奥のお女中の前にして、山口城の鳥瞰図(ちょうかんず)を広げて能書きを並べ始めた「これが山口城に御座います、東と南に在ります外門の警護をまず固めます、次に内門を!もし破られても、砲台が在り、その砲火をかいくぐられても、土塁とお堀の水で時を稼ぐ、そして警護の門を七つ口に集める!」、潮『その奥の書院に興丸様を?』、「いえ、興丸様はこちらに!」、銀姫『女中の長局(ながつぼね)?』 、「この手前におなごたちを集め、奥に興丸様を!隙を観て、勝手口から外門へお逃がしします!」、銀姫『へえ~~、何処でその策を!?』、「はあ、昔、兄の講義を聞きかじったことが!兵の数が劣るときは、まず1点に敵の兵を集める!そして、その裏をかき、速やかに退却せよと!」、銀姫は感心して言った『気に入った!』・・・

それから、美和は、おもむろに表使いの日出に向かって言った「日出さま、万が一の時は、長局の差配をお願いお任せしても宜しゅう御座いますか?」、わたくしに?、何故日出様に?、美和「恐らく、一番肝が据わったお方かと!幕府軍相手に、ひるまず、騒がず、一杯喰わせるぐらいの気骨をお持ちでいらっしゃいます!」、日出は覚悟を決めて言った「お任せ下さい!一杯どころか、二杯、三杯!喰わせて見せます!」、おっほほほほほ~~~!と全員から笑いが溢れ出た・・・

その頃、伊之助は広島・国泰寺(こくたいじ、安国寺恵瓊の創建)に本陣を張った幕府軍を訪れて、嘆願書を提出していた、それを副総督・本荘重固と幕府老中の小笠原が読んで言った『病じゃと?皆、病と申すか?藩主・敬親公、元徳公、興丸殿!?』、伊之助「今、国元では流行病でして!」、本荘『桂小五郎は?』、「それが、京の戦さ以来、行方知れずで御座います!」、高杉晋作は?、同じく行方知らずで!、前原一誠は?、脱藩いたしました!、太田一之進?、同じく脱藩!、村田十三郎?、死去致しました!、もう良い!嘆願書を破り捨てた!、それ以上の作りごとは、御公儀への謀反と見なす!先の使者、宍戸備後乃助ともども、押し込みと致す!今日は宍戸は?、病にて、宿で臥せって居ります!、己、捕えよ~~!・・・

小田村様が捕らえられた?、美和がそのように聞いて、寿に文で知らせていた、すでに萩の杉家にも伝わっていた、亀「ですが、小田村様は殿の御名代として、参った訳ですから、御身は御無事でしょう!」、梅太郎「否、もはや、そのお命、幕府の腹積もり一つじゃ!見せしめに、刑に処されることもある!」、寿「覚悟致しております!」、滝が“長防臣民合議書(ちょうぼうしんみんごうぎしょ)”なるものを手にして言った「これ読みました!」、梅太郎「ああ、これか、此度の戦さ、何故?戦うか?長州藩の大儀とは何かを記したものだ!」、滝「もはや、この戦さ、避けられぬと分かりました!食べ物を、それから薬を用意しましょう!誰が何時ここに来てもええように!寿、てつどうてくれますね?」、はい、母上!・・・

御免下さいませ!、そこへ突然来客が在った、一度は美和の推薦で萩城の大奥に就職した高杉の妻・雅だった、「今日はご挨拶に伺いました、下関に発つものですから!」、下関に?、「海軍総督・高杉晋作を支えに!」、雅は、下関で海軍を率いる晋作の傍に居て、世話をしたかったのじゃ、野村靖が高杉の女の芸子・うのに話しかけていた、利助が晋作に訊いた「如何するのですか、おうのさんは?」、その時、高杉様!幕府軍の進軍が始まった模様!と中原復亮(またすけ)奇兵隊士の伝令が入った!そのすぐあと、前原一誠が朗報「薩摩勢が出兵を取り止めたぞ!」・・・

何故、薩摩は出ぬ?薩摩ばかりではない、広島、宇和島藩も!?広島に陣を張る幕府軍は困窮していた、本荘「この戦さには大儀がない、朝意に反すると!」、陸軍奉行・竹中「薩摩の兵が引いては、萩口の攻めは為し難く!」、幕府老中・小笠原「ならば、残りの四境を攻め落とせばよい!数ではこちらが優位!まずは、周防大島からじゃ!」・・・大島では、幕府軍が揚がって来よるらしい!の噂が島中に伝わった、噂通り、幕府軍は砲弾を撃ち込み、民家を焼き払い、女、子供などを犠牲にし、一気に周防大島が幕府軍によって攻め取られた! その訃報は敬親の耳に届いた、激高した敬親は『撃て~~!』と長州軍艦“丙寅丸(へいいんまる)”の高杉晋作に命令を下した!・・・

船上で高杉は聞いた『前原、この戦さ、如何思う? 』、前原「まともに考えたら、勝てる気はせんな!向こうは万!こちらは千!」、高杉『その万の兵が皆、本気で長州を滅ぼしたいと思うとるならなあ!志しのない!寄せ集めの兵など、恐れるに足らん!この扇一つで充分じゃ!灯り目掛け、撃て~~~!周りに見えるんは、全て敵じゃ!撃ち込めるだけ、撃ち込め~~~!』、慶応二年(1866)六月十二日、周防大島近海の幕府軍艦停泊場は、火の海となり、幕府軍は撃退された!その朗報は都美姫のもとにも届いた、園山『高杉殿が率いる丙寅丸が幕府軍艦に砲撃し、更に第二奇兵隊が西から上陸し、山間から鉄砲を撃ちかけたそうです!幕府軍は軍艦へと引き返し、大島から撤退!自ら石持って戦った民たちも解散を叫び、喜んでいると!』、誠に良かったのう!?、はい!はい!、都美姫も園山も大喜びじゃった・・・

高杉雅が山口の大奥に美和を訪ねていた、雅様、まさか山口でお会いできるとは!如何されました?、雅が何やら古びた麻袋の様なものを差し出した?杉家の母上様から預かって来た百合乃助の遺品の様だった、何と、それは畑の種であった!父上唯一の肩身であった、美和は何かを思い出したように、杉家が作っている薬袋を雅に見せた、同じ様なものを奥でも作ったと言って、美和はその一つを雅に持たせた、雅が腑に落ちない顔をしているので「如何致しました?」と美和が訊いた、雅「おなごが居りました!旦那様にお妾が居ったんです!」、美和も元徳より聞いていた、どうしても夫の高杉の傍に居たくて下関を訪ねると、高杉はもうずっと、ある芸子と一緒に居ると、人づてに、そのことを聞いたらしい、誰にも言われずままに居たようだ、「わたしは家で一人帰りを待っていたと云うのに、こんな裏切り許せません!」・・・

美和は久坂が、京で辰路と云う芸子とねんごろになり、情を通じ自分の子をはらませたと、話してくれたことを思い出していた・・・その頃、辰路は男児を産み、間借りして、仕立屋を営み、その二,三歳ぐらいの子を立派に育てていた、そこに芸子仲間が来て辰路に話しかけていた「ほんまに惨めなもんやね、昔はよう売れてたやん、そやのに、こんな、こぶつきじゃ、もう如何にもなれへんな!」、辰路「さあ、仕上がりましたえ!いっといでやす!」、その芸子仲間はその着物を受け取り、置屋に出かけて行った、その時、辰路にとって宝物の様な存在の我が子が目覚めた、その子を抱き上げた「気にせんでええ、秀次郎、お前のお父ちゃんはなあ、偉いお侍さんで、萩云う処から来たんやで、京で立派に戦こうて、逝ってしもたの、もっと知りたいね、お父ちゃんの事、何時か萩に行けたら、話し聞けるんやろか?もっと今より幸せになれるんやろか?」・・・

雅が美和に話しかけた「久坂さんも以前、確か、ある芸子と?」、美和「あっ、あれは何でもなかったんです、ただの噂やったようで!」、「そうですか、それは、よう御座いました、辛いものです、夫の心が、移ろうのは!」・・・一方、戦さは諸藩の寄せ集めである幕府軍が、まとまりを欠き、各地で長州藩が、石州口でも、芸州口でも、小倉口でも、勝利を収めていた!石州口では、兵学者・大村益次郎が自ら、指揮を執った!大村の“散兵戦術”は幕府軍を圧倒した!伊之助の牢にやって来た敵・副大将の本荘宗秀に、捕らわれの身となっている伊之助が和議を求めた、伊之助が言った「そろそろ、頃合いでわ、実は殿が懸念されて居られる、確かに我が軍、志気高く善戦して居るが、さすがに幕府海軍、総力を挙げて来られては、勝ち目がない!幕府軍とて、戦さが長引くことは望みますまい!」・・・

本荘『ふん!今さら、和議など!』立ち上がろうとした、伊之助「もし、わたしを釈放し、山口、そして下関へ遣わせて頂けるなら、この不利益な戦さ、和平に転じて見せましょう!」、うぬ、お主なかなか話しが分かるな、本荘は乗った・・・『それで勝手に交渉を?』、本荘は自分の一存で書状も認(したた)めたと幕府軍総督・徳川茂承に報告した、本荘は、もし長州が和議に応じれば、即座に返書を!と要求した、しかし、その返書は茂承のもとに届いていた、“和議には応じず!悪まで、戦い抜く構えと!”、それを本荘に突き付けた、ですが!、茂承『もし、あらぬ話に乗せられ、軽挙妄動に出たと云うなら、その方の罪は重い!直ちに大坂に召還!お役御免!厳罰を覚悟せよ!』、本荘の心は木っ端みじんに打ち壊された!さぞ、伊之助は騙される馬鹿な本荘をあざ笑ったであろう・・・

 

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