Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

ルソンの壺・新ビジネス伝説“タマ駅長の貴志川線復活鉄道革命” 2010年4月18日

2010-04-18 14:44:53 | 日記・エッセイ・コラム

国内航空券エアーズゲート

全身ドック<script type="text/javascript"></script>

4月も半ばを過ぎたというのに昨日東京には1969年以来41年ぶり最も遅い雪が降ったそうな、ここ加古川もなかなかユニクロ・フリース3点セットが手離せられない異状気象が続いている、気象学者の話によれば日本列島の上空で北からの寒気団と南からの暖気団が相譲らぬ押し競饅頭(おしくらまんじゅう)を展開しているかららしい・・・

この現象は日付変更線附近からペルー沿岸に至るまでの太平洋赤道域で平年より海面水温が高くなりそれが1年ほど続く(その反対がラニーニョ現象である)という典型的なエルニーニョ現象の現れであるとのことである、そう言われれば今年2月27日のペルー沿岸を揺るがしたあの大地震の際、マグマの活動が活発になってエルニーニョ現象を起こす水温上昇に繋がっているのだろうか??

さて今日の本題に入ろう・・・歴史をさかのこと1593年安土桃山時代、大阪・堺に呂宗助左衛門(るそん すけざえもん)という商人がおったとさ、あるときフィリピンに買い付けに出かけたとき、フィリピンまで買い付けに行くなど只者でない、ある日助左衛門は現地人が普段日用品として使っていた素朴な味のある壺に魅(ひ)かれてハタッ!と閃(ひらめ)いたとさ!☆

ホテル 予約といえば

小生もカナダ移民時代に覚えた味が忘れなくて航空便で冷凍フルーツパイを個人輸入していたとき、商売として大量輸入して一発当ててやろうと試みたが高額の輸送料と冷凍保管料につまづき思い止まった、踏みとどまってよかった☆小生のように商才のない者がビジネスとして踏み込んでいたならきっと大損こいていたことだろう・・・

助左衛門は『そうだ!大量に買い上げて日本に持ち帰り“茶壷”として売ればいけるかも!☆』と心に決め、すぐ行動に移した・・・彼の閃きが大きく当たった!☆何故か何故かあの豊臣秀吉のお抱え茶人・千利休の目にとまり高い評価を得た!?☆

その噂が広がり豪商や各大名が先を争って買い求めるようになり助左衛門は巨万の富を築き上げるようになったとさ・・・このエピソードが後世まで伝えられ?そのような関西人の独創的着眼点とアイデアがこの“NHK大阪ルソンの壺”に収められるようになったとさ(^^ゞ・・・

高速バス

南海電気鉄道が毎年5億円の赤字を累積する貴志川線(和歌山駅~貴志駅までの14.3km)を2005年9月末に廃線にすることを発表した、しかし貴志川線を毎日利用する沿線住民の強い廃線反対と保存要請があった、地域住民の熱意を観るに見かねて一人の男が火中の栗を拾うため動いた☆

そうです当時岡山にある両備グループの社長だった小嶋光信(64歳)が事業引継ぎに立ち上がった!そして2005年6月27日貴志川線運営会社“和歌山電鉄”が設立された!☆国土省から事業譲渡譲受認可がおり、2006年4月1日貴志川線の運行が再開された!☆プロジェクトX!!♪ 風の中のすばる 砂の中の銀河・・・ ♪ ちがうか~・・・

小嶋社長には貴志川線を廃線から復活させる起死回生の“和歌山発鉄道革命案”があった、経営責任が不明確で運営効率が悪くなる官民共同経営なる第三セクター方式を避けた、ハード面は行政に任せるも出資運営を民間会社に委ねるという“公設民営”という責任分担体制をとった、そして鉄道会社、行政、商工会、学校それに地域住民に役割分担を明確にする運営委員会を組織した・・・

クリック証券

3年前2007年に公有(公設)民営による鉄道再生を促進するため施行された“地域公共交通活性化法”が小嶋のプロジェクトを後押ししてくれた、他にも福井、鳥取、岩手の3路線がこの法改正によって助かった☆まだ全国にある再生を願う路線が70もあると言われる、小嶋が10年はかかると予想していた貴志川鉄道再生プロジェクトを国交省鉄道局のみんなが「これはいける!」と認めてくれた!☆

また小嶋の“たまり場式経営術”が功を奏した☆地域住民からなる“貴志川線の未来を作る運営委員会”を立ち上げた、そして年間50にも及ぶ地域住民のためのユニークなイベントの企画・運営を全面的に委ねた、 http://kishigawa-sen.com

沿線の住民パワーを上手く生かした作戦であった☆2006年8月6日工業デザイナー・水戸岡鋭治(62歳)がイラストした“青春の歌をもう一度~懐かしの歌声喫茶”の車両『イチゴ電車』が始まった、スタンプを沿線に点在する観光名所に置くスタンプラリーも始まった・・・

2007年1月5日貴志駅の近くにたむろしていた野良の三毛猫“たま”が貴志駅の駅長に、母親の“ミーコ”と別の野良“ちび”が助役に就任した、日本全国からまた世界からの観光客を呼ぶようになった、2007年7月29日にはプラモデルやフィギュアが所狭しと並ぶ“おもちゃ電車”が運行開始した、スサノウノ命(みこと)の子にあたる五十猛神(イソタケル)が祀られる伊太祈曽(いだきそ)神社への参拝者も増えた、伊太祈曽駅に車両基地が出来た・・・

動画プレイヤー

クリスマス電車でプレゼントがサンタさんから子供たちに配られるようになった、車両の中でいちご狩りが出来る“いちご狩り電車”も開始された、また乗車券を見せると貴志駅近くのいちご農園では1割引となった、車両中に川柳の短冊が飾られた“川柳電車”も出現するようになった、地域住民が集まって草刈からペンキ塗りまでこなす“無人駅清掃活動”が始まった、昨年2009年3月21日より“たま”が運転席に鎮座する“たま電車”が運行開始された・・・

移動のための手段である電車が自分たちの居心地のいい“たまり場”である意識が地域住民のなかに芽生えて行った、この貴志川鉄道がなくなったら和歌山市内に行けなくなる!という危機感と、企画運営を任されたこの鉄道は自分たちのものであるという親近感が募って行った・・・

今回貴志川鉄道のルソンの壺ナビゲーター役を務めた川柳作家やすみ りえさんが最後に締めくくった、『走りつづけよと 木の彩(いろ) 木の薫り』・・・あっ!さきほどNHKラジオから広島が中日戦に4-2で勝利し3タテくらわしと速報が流れた!どうやら横山竜二が勝利投手になりシュルツにセーブがついたようである☆ヤッタ~~~!!(-_-)zzz

簡単・ラクラクなお小遣い稼ぎポイント長者

コンビ株式会社

 

コメント
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