・まらずもうの歴史(1) まらずもうとはなにか
まらずもうは、古墳時代から(当時は占いとして)行われていた競技です。古事記にも「スサノオノミコトがまらずもうをなさった」など多くの記述が見られるように由緒正しい競技であり、奈良時代には伝説的なまらずもう力士である弓削道鏡が登場して隆盛を極めました。しかし、平安時代になると突然衰えてしまい、これ以降は一部の神社などで細々と行われるのみで、記録などはほとんど残っていません。現代のまらずもうは、それを現代人にも理解しやすい形で復活させたものです。
現代のまらずもうは、日本まらずもう協会が大相撲を参考にしながら運営しています。(大相撲を参考にしているので、古事記に載っているまらずもうとはすこし形式が違っています。) まらずもうは、大相撲の開催期間にあわせて開催され、大相撲とおなじような番付が組まれています。力士たちは大相撲とおなじように勝ち越しや優勝をめざして毎日まらずもうにとりくんでいます。
まらずもうの取組は、ひとりで行われます。(大相撲ではふたりの力士だけでなく、行司や勝負審判や呼び出しなど、多くの人間が取組にかかわっています。まらずもうは完全にひとりで行われます。そこが大相撲とまらずもうの最大の違いです。)
取組の日の朝、まらずもうの力士は、まらの状態を確認することを通じて、神のおつげを聞きます。まらの状態が神意にかなっていれば「勝ち」。神意にかなっていなければ「負け」です。この点においては現代も古代もかわりません。
ただし、古代であれば、まらずもうの結果によって示された神意によって、戦争をはじめたり、裁判の判決をくだしたり、政治的なリーダーをえらんだり(ときには天皇をまらずもうでえらぶこともあったようです)したわけですが、現代のまらずもうにはざんねんながらそこまでの力はありません。力士が協会に結果を報告して、協会はそのデータをまとめて公表するだけです。ざんねんなことですが、しかたありません。
今回の話はここまで。次回からは各論に入ります。まずは「古事記に見られるまらずもう」というテーマで話したいと思います。おたのしみに。
まらずもうは、古墳時代から(当時は占いとして)行われていた競技です。古事記にも「スサノオノミコトがまらずもうをなさった」など多くの記述が見られるように由緒正しい競技であり、奈良時代には伝説的なまらずもう力士である弓削道鏡が登場して隆盛を極めました。しかし、平安時代になると突然衰えてしまい、これ以降は一部の神社などで細々と行われるのみで、記録などはほとんど残っていません。現代のまらずもうは、それを現代人にも理解しやすい形で復活させたものです。
現代のまらずもうは、日本まらずもう協会が大相撲を参考にしながら運営しています。(大相撲を参考にしているので、古事記に載っているまらずもうとはすこし形式が違っています。) まらずもうは、大相撲の開催期間にあわせて開催され、大相撲とおなじような番付が組まれています。力士たちは大相撲とおなじように勝ち越しや優勝をめざして毎日まらずもうにとりくんでいます。
まらずもうの取組は、ひとりで行われます。(大相撲ではふたりの力士だけでなく、行司や勝負審判や呼び出しなど、多くの人間が取組にかかわっています。まらずもうは完全にひとりで行われます。そこが大相撲とまらずもうの最大の違いです。)
取組の日の朝、まらずもうの力士は、まらの状態を確認することを通じて、神のおつげを聞きます。まらの状態が神意にかなっていれば「勝ち」。神意にかなっていなければ「負け」です。この点においては現代も古代もかわりません。
ただし、古代であれば、まらずもうの結果によって示された神意によって、戦争をはじめたり、裁判の判決をくだしたり、政治的なリーダーをえらんだり(ときには天皇をまらずもうでえらぶこともあったようです)したわけですが、現代のまらずもうにはざんねんながらそこまでの力はありません。力士が協会に結果を報告して、協会はそのデータをまとめて公表するだけです。ざんねんなことですが、しかたありません。
今回の話はここまで。次回からは各論に入ります。まずは「古事記に見られるまらずもう」というテーマで話したいと思います。おたのしみに。