ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

仙台筋弛緩剤事件

2006-03-26 20:15:30 | 社会・政治・一般
あの仙台の病院で行われた筋弛緩剤投与事件ですが、22日の仙台高裁で一審を支持して、守被告の上告は棄却されました。

「疑わしきは罰せず」は近代的な司法制度の良心と言って良いと思います。しかし、状況が限りなく疑わしく、その当人以外に被疑者が不在であり、当人の自白のみが存在しない場合、むしろ罰しなくては司法制度の存在意義そのものが問われてしまう場合もあると思うのです。

死刑制度などに反対している人権屋とも言いたくなる弁護士グループが、この事件に関わるようになった時から、長期化することは目に見えていました。当初は自白していた守被告も、この弁護士たちに説得されたのか、自白を魔オ無罪を主張するに至り、22日の裁判も途中退廷する有様。

人権を至宝の存在と考えている人たちがいるようですが、そもそも司法制度の存在は、それが社会の安定に貢献してこそ意味があると私は考えます。智恵を絞り、巧妙に他人を害する犯罪に対して「疑わしきは罰せず」では、社会の安定は保てない。自白がなくとも、状況からみて犯罪の証拠が明らかであるなら、そこを常識で判断することが重要でしょう。

もちろん、守被告の家族や友人たちは、彼の無罪を信じているのでしょう。しかし何人もの人命が不自然な形で失われ、守被告の関与が濃厚であるのも事実。他に犯人がいる可能性はゼロではないが、報道等から判断する限り、コンマ以下の可能性でしかない。

今も意識が戻らず寝たきりの娘さんの介護に明け暮れる母親の悲痛な声を聞けば、加害者(と思われる)の人権に過剰に肩入れする人権屋の独善さが、殊更浮いて見えて仕方がありません。
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絵心

2006-03-25 15:52:50 | その他
子供の頃から絵を描くのは好きだった。勉強が嫌いだったので、もっぱら教科書やノートに悪戯書きをするのが常だった。でも美術の時間に、まじめに絵を描くのはとても楽しかった。正式に習ったことはないし、美術部などにも属したことはないのですが、先生が勝手に区や都のコンクールへ出展して、何回か賞をもらったこともあります。但し小学生の時のお話。

十代の頃は、身体を動かすことが好きで、いつしか絵を描くことはしなくなっていました。高校の美術の授業では、もっぱら工作が多く、描いてもスケッチのみ。これはこれで好きだが、一番好きな水彩画とは、とんと縁遠くなってしまった。

山登りに夢中だった大学時代。4年になると少し余裕が出てきて、長い休憩時に風景をスケッチしていたところ、周囲の反応が良く、それで絵を描く楽しみを思い出した矢先だった。社会人になったら、少しノンビリした登山をして、スケッチを描いてみようと密かに思っていた。

しかし、新社会人になって間もなく難病を患い、9年にも及ぶ闘病生活が始まってしまった。2年余の入院生活を除けば、自宅でゴロゴロしていた毎日。実は当時、絵を描こうと思ったことがある。しかし、描きはじめて気が付いてしまった。

描こうと思っていたことが描けず、しかもその絵には暗い怨念がこもっているとしか言いようのない醜い画風が漂っていること気付いた。鬱屈し捻じ曲がった心が絵に表されるがゆえに、自分の心の奥底にある、見たくもない醜い自分の心象を認識せざる得ない。

描いた絵を見て、息苦しくなり吐いてしまった。絵の上手い下手以前の問題でした。描くことで気持ちが昇華されるかもと、考えてみたりもしましたが、やはり苦しくて駄目。当時は文章もほとんど書いていません。鏡に映った自分を見るのも嫌でした。

当時の絵は、全て燃やしてしまいました。絵は心を写す。あんな自分は残したくない。あんな自分ではいたくない。病み衰えた自分を憎み、嫌悪し、殻に閉じこもった日々。それでも絵は好きなのです。

病床にもかかわらず、外出許可を貰って観に行った「ターナー展」。私には絶対描けない絵(技術の問題は別にして)。あんな素晴らしい絵は私には似合わない。でも憧れの気持ちを抑えることも出来ない。社会復帰後、わざわざロンドンまで行って、3日間テート・ギャラリーとナショナル・ギャラリーでターナーの絵を堪能したものです。

最近このブログにトラックバックしていただいた古山さんのHPの絵は、私がこんな風に描けたらなあ~と密かに思っていたものでした。白いスケッチブックを見ただけで、赴Cづいてしまう私には決して描けない世界。PCの前で、ため息つきながら堪能しています。自分に絵が描けないことを悔やむより、素晴らしい絵に出合えたことの幸運に感謝したいと思います。
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生命保険4

2006-03-24 09:42:29 | 経済・金融・税制
先月の報道であったと思いますが、金融庁が損保ジャパンに対して行政指導を行うと報じていました。当時たいへん忙しかったので流し読みでしたが、たいへん気になるニュースでした。実はこれは、日本の保険業界を長年悩ませ続けた大問題なのです。

社会人なら一度は必ず保険屋さんの勧誘を受けたことがあると思います。保険屋さんとは、いわゆる保険のおばちゃんと呼ばれた保険外交員ら保険代理店業務を行っていた人たちです。この人たちは、保険の勧誘をして、保険に入りたいというお客さんを保険会社に紹介して、その紹介料を報酬として受け取ることで収入を得ていました。

この紹介料は、保険の種類・規模により千差万別ですが、一般に損保より生保の方が金額が大きいのが普通です。一概には言えませんが、一億円の生命保険ですと数百万円の紹介料が、保険代理店に入ってくるはずです。この極めて巨額な手数料収入は、必然的に不正を呼び込む温床となり勝ちでした。すなわち巨額の生命保険契約を結び、その後短期間で契約解除をすることで紹介料を稼ぐ手法が横行してしまったのです。

そこで保険会社各社は、短期間での契約解除があった場合には、保険代理店から手数料を戻させたり、ペナルティを課すようになりました。しかし保険代理店もさるたるもの。契約解除を申し出たお客さんの名前で、身銭を切って保険料の支払いを続け、数年後に保険契約の解除をしてペナルティを回避することを密かに行っていました。これは「特別利益の供与」として、法律で禁じられた行為ですが、私が知る限りかなり頻繁に行われていたようです。

今回の損保ジャパン事件は、旧第一生命でこの「特別利益の供与」が大規模に発覚したことを隠していたことに対する制裁のようです。その制裁(行政指導)がどのようなものであったかは知りません。しかし、合併がなければ、今回の発覚もなかったでしょう。

されど、根本的には巨額の紹介手数料を支払う仕組みがある限り、この問題はこれからも続くと言わざる得ません。保険代理店もノルマがある以上、無理な契約をとらざる得ない実情を鑑みれば、単に行政指導するだけでは解決できないと思います。それにしても損保ジャパンよりも、他の生命保険会社のほうが、「特別利益の供与」は大きいと思いますが、なぜに損保ジャパンが狙い打ちされたのか不思議です。
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プロレスってさ アブドーラ・ザ・ブッチャー

2006-03-23 09:38:28 | スポーツ
役者さんの世界での話ですが、善玉役の人より悪役の人の方が私生活では良い人が多いと聞かされたことがあります。これはプロレスの世界にも言えることで、善玉役のプロレスラーには、あまり性格の良い人の話は聞くことは稀な気がします。一方悪役のプロレスラーには、案外良い人が多かった気がします。

もちろん例外は多数あり、なかには才能がありながら事件を起こし追放されたプロレスラーも少なくありません。酒乱の南海竜とか、暴行常習のオートンJRとか問題児は多々いました。基本的に腕っ節の強い乱暴者がやり易い仕事ですから、ある意味当然かもしれません。

そんな中で興味深かったのが、アメリカの黒人レスラーであるアブドーラ・ザ・ブッチャーでした。悪役レスラーとして名高い人でしたが、この人の悪役ぶりは真に迫っていました。悪役を演じているのは間違いありませんが、なかでも白人レスラーをいたぶる時の迫力は右に出るものがいないほどでした。黒人差別の怨念を孕んだかのような、冷酷な悪役ぶりがとても印象的でした。ただ、稀に黒人嫌いの相手と本当に喧嘩になってしまうことがあり、NWFチャンピオンであったハリー・レイスとの場外乱闘は有名です。会場を離れて控え室でまで乱闘を続け、結果的にレイスを負傷欠場させるほどの札付きの悪役レスラーでもありました。

筋肉隆々たる黒人レスラーが多いなかで、肥満体の彼は珍しい存在でしたが、その喧嘩の強さは驚異的。なにより打たれ強いタフネスぶりが有名でした。なぜか日本では、そのクリっとした愛敬のある表情から人気が出て、清涼飲料水のCMにも出たことがあります。でも彼の真価はその悪役ぶりにありました。

毎年恒例の全日本の最強タッグシリーズで、相棒のシークと組んで人気レスラーのファンクス兄弟をいたぶり、テリーの腕にフォークを刺したのは有名な話。私はその試合をあるパチンコ屋さんの街頭テレビで見てましたが、飛び散る血が目の前にあるかのような興奮を覚えたものです。余談ですが、そのパチンコ屋さんは、タレントの小池栄子の実家だそうです。まだ彼女が生まれてない頃の話ですがね。

そのブッチャーが新日本プロレスへ移籍して間もない頃、あってはならない事件が起こってしまいました。タッグ戦のトーナメントで、別のチームが負傷辞退したため、マードック組とブッチャー組が試合をすることになってしまったのです。突然の辞退でしたから、仕組まれた可能性は低いと思います。でもこのマッチメイクは危険すぎる。アメリカでは絶対あり得ないし、日本でも馬場の全日本プロレスでは決してやらせる訳がない組み合わせでした。

強烈な黒人嫌いで知られるマードックと、白人をいたぶる事に執着するブッチャーではプロレスの試合が成立する訳がない。本気の殺し合いに発展しかねない危険性が濃厚だったのです。どちらかが弱ければ、なんとか試合になったでしょう。ところがどちらもプロレス界有数の喧嘩屋。実力者同士であるだけでなく、お互いに嫌っていましたから、試合になるわけない。

その組合せが発表された時、観客はもの凄く興奮して会場は盛り上がってしまいました。しかし、レフリーも他のプロレスラーも緊張していたようでした。いざとなったら乱入して試合を中断する覚悟で、他の外人レスラーが通路に待機しているようでした。

この危機を救ったのは、ブッチャーの相棒であった黒人レスラーでした。柔道の銀メダリストであったアレンは、この試合で絶対にブッチャーとマードックに試合をさせませんでした。互いににらみ合って動かない二人を尻目に、相手の白人レスラーと淡々と試合をこなし、何事もなく試合を終わせてしまいました。

観客は拍子抜けで、がっかりしてましたが、嫌な場面を見ずに済み良かったと思います。しかし、このことは、ブッチャーの心を深く傷つけたようで、その後すぐに馬場の全日本へ戻ってしまいました。アメリカにおける黒人のプロレスラーの微妙な立場を象徴する存在として、ブッチャーは深く私の記憶に残っています。
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偏平足

2006-03-22 12:22:44 | 健康・病気・薬・食事
初めて言われたのは、3年ほど前の沖縄だったと思います。空港で飛行機の搭乗を待つ間、足裏マッサージを受けている最中でのこと。「お客さんは、偏平足気味だから疲れやすいですよね~」え?え!え~

子供の頃から裸足で遊ぶのが好きで、足踏まずの部分が見事にへこんだ足をしていたので、偏平足と言われてビックリ。ただ、近年足が疲れやすいと感じていたのも事実。よくよく見てみると、確かに以前よりも足が平になっている気がする。

思い当たるのは、20年前の難病の発病。私のやられた病気は、進行すると全身、特に手足の筋肉が分解してやせ細る症状があります。寝たきりの状態がそれに拍車をかけて、発病前55キロだった体重が40キロまで落ち、筋肉がげっそり削げ落ちた惨めな身体になっていました。歩行練習から始めて随分回復しましたが、筋肉よりも脂肪がついてしまったのは否めない事実。

結局完全には治らなかったため、激しい運動が出来ず、今では中年太りそのもの。ジャンプ力も落ちていたので、脚力も相当落ちていると思っていましたが、まさか偏平足になっていたとはショックでした。

それにしても情けない身体になったものだ。ランニングは無理でもバレリーナ・トウの練習でも又始めるかな?昔フリークライミングに夢中だった頃、小さなホールドに立てるようになる為に、爪先立ちの練習をしていたことがあるのです。間違っても私のバレーダンスを想像しないように。
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