ヌマンタの書斎

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危険な兆候

2014-07-03 13:03:00 | 社会・政治・一般

アメリカは共産シナには甘い。

そう感じる人は少なくないのではないかと思う。実際のところ、朝鮮戦争を除けば、アメリカ軍は共産シナの軍隊と直接戦ったことはない。ただし、小さな戦闘は時折ある。特にアメリカの哨戒機や、偵察船に対してシナが邪魔するどころか、危険な妨害行為を働いたり、船を体当たりさせるなど、実力行使に及んでいる。

もちろん、アメリカは強硬に抗議している。しかし、アメリカ側から武力行使に及んだことはない。アルカイダを始めとしてテロ組織、テロ支援国家には平然とミサイルを撃ち込む癖に、なぜかシナには甘いのがアメリカの奇妙なところである。

オバマに限らないが民主党政権は、シナとの融和政策を中心においているのは周知の事実だ。またアメリカの産業界には、シナを経済発展させることで、投資先として、また世界経済の牽引役として期待しているがゆえに、シナには甘いと云われる。

しかし、これは今日昨日のことではない。実のところ20世紀初頭からである。

たびたび言及していることだが、アメリカは強烈なキリスト教原理主義の国としての顔を持つ。キリスト教布教の未開の地であるアジアは、彼らの布教心に火を付けた。

ハワイはもちろん、太平洋上の多くの島々に対し20世紀になってからのキリスト教布教には、アメリカが大きな役割を果たしてる。もちろん日本もその対象であるのだが、西欧型の文明ではないにも関わらず、文盲率などはアメリカはもちろん欧州の大半の国よりもよっぽど文明国である日本に対して、キリスト教の宣教師はそれほど熱心になれなかった。

むしろ布教の熱情は、文盲が多く、貧民が多いシナのほうに向かった。この文字も読めず、貧しいままのシナの大衆にこそ、キリスト教布教の意義を感じたのだ。

アメリカが日本の満州建国をはじめ、シナへの侵略に対して強い懸念をもったのには、キリスト教の強力な影響力があった。単に経済的な視点でだけでアメリカはシナに肩入れしたわけではない。

そして、そのアメリカ人の純情を巧みに利用したのがシナ人の狡猾なところだ。エドガー・スノーを始めとして多くのアメリカ人が、このシナ人に利用された。今もそうなのだが、TIMS誌やニューヨークタイムズといった新聞が、シナ寄りの記事を書き、日本に対して批判的な立場をとるのは、20世紀初頭からの伝統だといっていい。

当然ながら、シナの共産党が支配するようになると、当然にキリスト教の熱情も醒めてしまった。しかし、トウショウヘイが実権を握り、再び交易を回復するようになると、再びキリスト教はシナ人への布教に燃え上がった。


このことを理解しておかないと、アメリカとシナとの関係は決して理解できない。日本人は経済的視点からのみ世界を観ようとする悪癖がある。軍事的視点からすれば、アメリカとシナの対立は不可避だが、宗教的視点からするとアメリカのシナへの片思いは現在も重要なャCントとなる。

ところがだ、最近になって習政権は、シナにおける宗教的弾圧を強めている。法輪功などへの弾圧だけでなく、キリスト教系の団体に対しても監視だけではなく、実力行使すら行うようになっている。

私はこれを危険な兆候だと思っている。

アメリカがシナに対して融和的な態度をとるのは、シナの経済発展が世界経済に益するからであり、投資を中心とするアメリカの投資ファンドなどにも有益だからだ。だが、先にも書いた通り、キリスト教布教の地としての期待が、シナへの強硬な姿勢を弱めてきたのも事実だ。

このアメリカの宗教界の政治への影響力は、日本のマスコミ等には表れない。しかし、アメリカ国内では、キリスト教会の影響力は決して小さくはない。むしろ水面下での広がりは恐ろしいほどで、かつてイラクのフセイン大統領を悪魔呼ばわりしたキリスト教会の支持あってこそ、強引な中東政策は支持されていたことは一例に過ぎない。

シナの習政権が宗教弾圧を強めているのは、政権批判の口実として国内経済の不振があり、それに便乗するかたちで宗教団体が蠢くことへの警戒心の表れだと、容易に判断できる。

シナ人ならば、キリスト教系の団体が引き起こした太平天国の乱は、当然のように脳裏に浮かぶであろう。いつの時代でも、シナでは王朝末期には、必ずといっていいほど宗教系の団体が、社会の不安に乗じて拡大し、騒乱を引き起こしてきた。

だから国内問題として、宗教弾圧は当然だと考えるのは分かるが、アメリカは決して看過しないと思う。シナよりの姿勢がみえみえだったオバマ政権に不安を感じていた日本人には、良いニュースだと思うかもしれない。

しかし、アメリカがシナに対して強硬姿勢を採るならば、その最前線基地は間違いなく日本列島である。現在、安倍政権が推し進める集団的自衛権が実際に試される機会、あるいは危険が近づいているともいえる。

はっきり言うが、日本はアメリカの軍事的属国である。必然的に戦争に巻き込まれる立場にある。それを法形式的に合法化しようとする試みが、集団的自衛権である。

いくら反対しようと、アメリカ軍の基地があり、その補給や修理、休憩に手を貸しているのだから、戦争とは無関係だとは決して言えない立場である。平和、平和といくら合唱しようと、やっていることは戦争加担である。巻き込まれない訳がない。

戦争を始めるのは容易い。始まった戦争をいかに収めるか、そこに政治の器量が問われる。日本は、これが出来なかったが故に、徒にシナの大地に軍隊を進め過ぎて、悲惨な敗戦を迎えた。

本当に戦争を反省していうのなら、集団的自衛権などと誤魔化さず、国防のあり方を固め、それを法制度でしっかりと定める。すなわち有事法制を真剣に実現すべきだと私は考えています。

コメント (6)
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