ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

野獣死すべし 大藪春彦

2014-07-01 12:29:00 | 

最近、少し驚いた。

古本の展示会で掘り出し物を探していたら、珍しく二十代と思える若者がいた。客の大半が中高年であり、どうしても若い人は目につく。当人も少し居心地悪そうだった。どうもミステリーを探しているらしく、私と同じ棚を漁っている。

よくよく見ると、手にとっているのはドン・ペンドルドンの「マフィアへの挑戦」でった。視線を上げると目があったので、マック・ボラン、お好きですか?と声をかけると嬉しそうに肯き、「創元推理文庫の当初のシリーズを探しているんです」と言う。

なるほど、現在売られているのは対テロ部隊として甦ったジョン・フェニックスものが主流だから、当初のシリーズを読みたい彼の気持ちは良く分かる。私は探していた本が見つからず、階段のそばの休憩室のようなところで缶コーヒーを飲んでいると、お目当ての本を見つけたらしく、嬉しそうな彼に再会した。

今どきの若者らしく、ペットボトルの水を飲みながら一休みしている彼と少し話してみて驚いたのは、彼が大藪春彦を知らないことであった。私はマック・ボランから大藪春彦を知ったので、彼がまったく知らないことが不自然にさえ思えたほどだ。

だが、よくよく考えてみると最近の本屋さんでは、大藪春彦の本を置いてある店はかなり少ない。かつては徳間書店が大々的に売り出し、また角川が映画化にまで乗り出していたことを思うと隔世の感がある。

おそらく書店の棚から姿を消した理由は、彼の本がヴァイオレンスとセックス、そしてガン(銃器)とカー(車)に偏っているからだと思う。良識ある書店主や、良書を置くことに矜持を抱く本屋さんには、大藪の作品は置きづらいのかもしれない。

だが、私からすると残念でならない。たしかに大藪の作品は暴力と性、銃器と車に彩られているが、決してそれだけではない。世の中の良識あるマスコミ様が決して報じない、平和な昭和史の裏側にあるどす黒い現実を作品のネタに使ってしまうのも大藪の特徴だ。

事実、私は右翼の児玉と関東会の関係や、山口組と自民党首脳たちの汚い関係。その後の福田内閣における対暴力団撲滅作戦と、角福戦争の関係などは、大藪作品を読む事で知った。

興味があるかたは、「長く熱い殺し」や「黒豹の鎮魂歌」などを読んでみれば分かると思う。多少の誇張や、虚実も混じっているが、概ね現実の政治社会の動きを捉えたものであることが分かると思う。

しかしながら、多くの良識ある読書家が、大藪作品を厭う理由も分かる。彼の作品には、敵を殺す快感、魅惑的な女を犯す快感、荒っぽい美食と、贅を尽くした生活の悦楽が、恥じるでもなく堂々と語られている。

敢えて言えば、堂々と語るべきでないとされる欲望を、忠実に描いた作家が大藪春彦なのだ。エロとバイオレンスをこれほどまでに恥じることもなく題材に使った日本最初の作家が大藪春彦だともいえる。

正直、無理に読む必要はない作家でもある。

それでもだ、彼のデビュー作だけは読んで欲しいと思う。おそらくは、大藪春彦が、彼の若き日を題材に理想像ともいえる美しくも強烈な野獣、伊達邦彦を登場させた表題の作「野獣死すべし」。これだけは、読む価値がある名作だ。後年、大藪を唾棄した文学界も、このデビュー作だけは絶賛していた。

もし未読であるならば、是非とも手に取って欲しい珠玉の一冊です。

コメント (12)
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