ヌマンタの書斎

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博打の才能

2024-08-16 09:33:43 | 経済・金融・税制

私には賭博に才能がない。

そのことに気が付いたのは大学受験浪人の時だ。代ゼミの午後クラスという遊び人もしくは朝が起きれない人向きのクラスであり、そのせいで遊び仲間が増える始末であった。

私は朝を起きるのは平気だが、午前中は地元のパチンコ屋の「モーニング台」でひと稼ぎするのが慣習となっていた。だから午後のクラスは理想的であった。

地元で遊んでいるうちは良かったが、そのうち代々木の駅前のパチンコ屋の換金率が良いことを午後クラスの遊び仲間から聞き、午後はそこで稼ぐようになった。しかし所詮私はよそ者だ。私が荒稼ぎしていることが次第に地元の常連客に知られてしまった。

私のパチンコ必勝法は、毎日ノートに出玉の良い台を記録して、出る台を予想して狙う単純なものだ。今は知らないが、当時は店のマネージャーが営業終了後に天釘を調整したりして、出やすい台を設定して客寄せパンダにする店が多かった。だからその客寄せ用の台を毎日チェックして、その台を中心に打てば確実に稼げた。

新参者の私が荒稼ぎをしていることに、地元の常連客が妬み、結果私は店の裏の倉庫に呼び出されてリンチに遭いそうになった。幸い予備校の遊び仲間が店頭で騒いでくれたので、すぐに開放されたが精神的ダメージは残った。

今から思うと、私の失敗はその店の雰囲気を読むことを怠ったことだと思う。一応、挨拶はしていたが反感を買っていたことに気が付かなかった。これはばくち打ちとしては致命的だと思う。勝ち続ける賭博なんてありえない。雰囲気というか流れを読んで撤退のタイミングを計ることが出来ないと博打は続けられない。

少し頭を冷やし、冷静にパチンコに投下した資金と回収した資金のデーターを集計したら時給換算で700円程度であったと判明した時は衝撃だった。私はけっこう稼いでいるつもりだったが、深夜喫茶のボーイ以下の稼ぎであった。

数字というものは厳格にして残酷な現実を教えてくれる。どうも私は博打の才能に乏しいようだ。ちなみに高校生の頃の地元のパチンコ屋は、小学生の頃から銭湯などで顔見知りの常連客ばかりであったので、甘やかされていたのだろう。

以降私はパチンコから足を洗い、ホテルの駐車場の係員という地味ながら確実に稼げるバイトだけやっていた。運が良ければ客からのチップが期待できるので、地道な働き方を再評価できた事は大きかった。

パチンコ等の賭博からは足を洗ったが、社会人になってから安易に株に手を出したこともある。もっとも、こちらは長い闘病生活中に始めた資格試験の学費に使ってしまった。売却損ではあったが、手持ち資金の重要さのほうが大事だった。

税理士となり人並み以上に経済知識は付いたと思うが、私は投資に関する助言はほぼしない。自信がないからであり、また安易に人に薦めるものでもないと考えているからだ。


先週のことだが、日銀が利上げを発表して間もなく東京株式市場がバブル景気崩壊を超えるような大幅値下げを起こしパニック状態となった。日銀及び財務省では責任回避に必死だが、ここ最近NISAを始めたばかりの新人投資家たちは阿鼻叫喚であるらしい。

上がり過ぎれば下がる。それが市場の価格調整機能だ。賭博に疎い私でも市場の過熱感は感じていたので、「自分たちの判断は正しい」という役人の独りよがりの発言で市場がパニックを引き起こすことは予想の範囲内であった。

まぁ土地神話を破壊した総量規制に比べればマシな気がする。株式市場の上げ下げは、どちらかといえば自然現象に近く、上がれば下がるの原則に忠実なだけだ。ただそのきっかけが安直な役人の余計な差し出口であっただけ。

役人というものは、書類上の数字は知っていても現場の空気を知らないから、時折今回のような失態をしでかすだけ。今利上げをやれば株式相場に多大な悪影響が出ることなんて、相場に疎い私でも事前に知っていたこと。知らなかったとすれば情報入手の努力をしていないだけだと思います。

冷淡なようですけど、空気を読むのが下手で博打の才能がないと自覚している私には当然の理なのです。


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