ヌマンタの書斎

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痴ほう症老人への賠償判決

2014-07-08 15:38:00 | 社会・政治・一般

法律は必ずしも一律に適用される訳ではない。

少し前のことだが、痴ほう症の老人が線路内に入り込み、列車に轢かれて亡くなった。当然に鉄道ダイヤは乱れ、JRは被害を蒙った。だから鉄道を管理するJRは、老人の相続人である遺族に対して損害賠償訴訟を起こし、その判決でJR側の主張が認められて、遺族に損害賠償が課せられた。

この記事だけを読むと、なんと情理のない判決だと即断しがちだが、どうも実情はいささか異なるらしい。

この痴ほう症の老人は、徘徊癖がありこれまでも家族に無断で外出し、そのたびごとに連れ戻されている。介護する同居の配偶者も軽い介護認定を受けており、近所に住む子供の嫁にも介護を手伝ってもらっていた。ドアに警報器を付けたり、それなりに対策を講じてはいたが、今回は外出に気が付かなかった。

この老人は近くの駅まで行き、電車に乗って隣の駅で降りた。そこで尿意を覚えたのか用を足そうと、ホームの端の扉を開けて線路に出たところを電車に跳ねられたと推測されている。裁判所は当然にJR側の過失も認定している。

だから賠償請求の半分しか認めていない。ちなみに賠償額は400万近い。決して安い金額ではない。これだけだと、痴ほう症の老人の遺族に厳しい判決に思える。

しかし、裁判では別の面も考慮されていた。実はこの痴ほう症の老人は、金融資産だけで数千万円持ち、それ以外にも土地をかなり所有しており、遺族である配偶者は当然にその半分を相続する権利を持つ。

判決文は、そのことに直接言及してはいないが、介護をしていた配偶者には賠償金を余裕で払える経済的余裕があることを匂わしたものとなっている。裁判に係った司法関係者は、この経済的余裕があるからこその判決ではないかと述べていた。

なるほど、と思う反面、もしこの痴ほう症の老人及びその家族に経済的余裕がなかったのなら、違う判決となっていた可能性を考えざるを得ない。

法は誰に対しても平等であるとされている。では、この裁判官が下した判決は、法の下での平等に照らして相応だと云えるのか。私は、この判決に関して云えば、やはり平等ではないと思う。

だが、その一方で平等とは何ぞやとも考える。少なくてもこの判決は結果の平等を目指したものではあるまい。しかし、社会常識に照らして鑑みれば、数千万の金融資産があるのだから、そこから賠償を払うことに対する違和感はない。

むしろ考慮すべきは、判決文を全部読まず、要点だけで記事を伝えたマスコミの安直さにあるように思う。しっかりと判決を読んでおけば、今少し違った記事になったのではないか。

率直に言って、民法がらみの事件、とりわけ判決は注意が必要だ。日本の民法は100年以上昔にフランスの民法を翻訳して施行されている。当然に日本社会の実情とは合わないが、それを膨大な判例により補い今日に至る。

本来なら抜本的改正が必要なのだが、なまじ官僚的優秀さに邪魔されて、本当の意味での抜本改正はなされていない。100年前の法律を現代に合わせるために、妙な無理をしているので、よくよく注意して判決を読まないと実態が分からない。

お忙しいマスコミ様におかれては、そこまで努力がないようなのだ。だから、今回のような実情を勘案しない妙な報道になる。多分、この記事を書いたマスコミ様は、日本の司法制度は弱者(痴呆老人)に優しくないとの思い込みがあったのだと思いますね。

コメント (3)
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