2月に録画した映画「そして父になる」を今ごろ見た。
6歳の息子は、生まれた直後に別の夫婦の子供と取り違えられていた。お互いに実子を育てることになって交換するのだが...という話だ。
慶多くんの育ての父、野々宮良多(福山雅治)は大手建設会社に勤めるエリート。高級高層マンションに住み、レクサスLSに乗っている。カメラはキヤノンEOS-1Dっぽいデカい一眼レフ。奥さんは尾野真千子(みどり)。
琉晴くんの父、斉木雄大(リリー・フランキー)は、小さな電気屋を営んでいるが、その稼ぎだけではやっていけないのか、奥さんの真木よう子(ゆかり)も弁当屋で働いている。他に娘と息子が一人づついる。
という対照的な2つの家族が、それぞれのスタイルで6年間育てた互いの息子を交換する訳である。慶多は高級マンションで一人っ子として育てられたが、遺伝子的にはリリー・フランキーの子。琉晴は店舗と一体の庶民的な家で三人兄弟の長男として育ったが、遺伝子は福山雅治。親子とも、正反対の組み合わせで馴染めるのか?
リリー・フランキーと真木よう子は、雑にやっているようでいて、ちゃんと子供達と付き合っている。慶多は、それなりに馴染んだ。
対して、福山雅治は、明らかに琉晴を受け入れていない。ガサツで妙な関西弁を使う琉晴くんを見る目が冷たい。もともと子供とバカになって戯れることが出来ない性格のようで、終盤、琉晴と銃撃戦ごっこをするが、ぎこちなくて痛々しい。
僕もややその傾向があるので、バカになりきれないプライドみたいなのはよく分かる。うちは娘二人でよかった。男の子だったら付き合えなかったかもしれない。
娘の授業参観や父親参加イベントで出会う他の父親たちにも、そういう人が多い気がする。福山雅治起用は、そういう最近の傾向を踏まえた上でのことかも。やや気取っていて自分大好きな、父親になり切れない男の役がハマっている。
みどりとゆかりの母親コンビは、情報交換もきちんとやり、うまく付き合えている。みどりは、それを「普段から子供と繋がっているから」だという。みどりは終盤「琉晴が可愛くなってきた」とまでいう。ゆかりは寂しそうな慶多を「故障を修理する」といって和ませた。母親たちは、どちらの子供と接していても変わらず常に母であった。
この映画は「血は水よりも濃い」と「生みの親より育ての親」のどちらが正しいと判断するのか、と思いながら見ていたのだが、それはメインテーマではなかった。タイトル通り、福山が父になるまでの映画だった。
自身が血の繋がらない母親に育てられたせいか、血を優先して琉晴を育てることに決めたものの、慶多に会いたくなって訪ねていってしまう。土日も仕事で子供と風呂に入ることもない福山が、子供に会いに行きたくなる心境の変化を「父になる」としているようだが、ちょっと弱いかも。エンドロールで子供と風呂に入ったりおもちゃを修理するシーンを流すとかすれば、父親っぽく見えたかもしれんが。
最後は慶多を抱きしめて終わるが、その後二人の子供がどちらで暮らすのかは語られない。つまり、「育ての親VS.血」の対決は結論を出さない。かなりモヤモヤした。今もしている。
二人出産したうちの奥さんに取材したところ、赤ちゃんを交換されても、よほど顔が違わない限り、気づく自信がないと。母乳の吸いつきが違うとか(乳児はおっぱいの匂いで母親を見分ける)はあるかもしれんけど、だそうです。
6歳の息子は、生まれた直後に別の夫婦の子供と取り違えられていた。お互いに実子を育てることになって交換するのだが...という話だ。
慶多くんの育ての父、野々宮良多(福山雅治)は大手建設会社に勤めるエリート。高級高層マンションに住み、レクサスLSに乗っている。カメラはキヤノンEOS-1Dっぽいデカい一眼レフ。奥さんは尾野真千子(みどり)。
琉晴くんの父、斉木雄大(リリー・フランキー)は、小さな電気屋を営んでいるが、その稼ぎだけではやっていけないのか、奥さんの真木よう子(ゆかり)も弁当屋で働いている。他に娘と息子が一人づついる。
という対照的な2つの家族が、それぞれのスタイルで6年間育てた互いの息子を交換する訳である。慶多は高級マンションで一人っ子として育てられたが、遺伝子的にはリリー・フランキーの子。琉晴は店舗と一体の庶民的な家で三人兄弟の長男として育ったが、遺伝子は福山雅治。親子とも、正反対の組み合わせで馴染めるのか?
リリー・フランキーと真木よう子は、雑にやっているようでいて、ちゃんと子供達と付き合っている。慶多は、それなりに馴染んだ。
対して、福山雅治は、明らかに琉晴を受け入れていない。ガサツで妙な関西弁を使う琉晴くんを見る目が冷たい。もともと子供とバカになって戯れることが出来ない性格のようで、終盤、琉晴と銃撃戦ごっこをするが、ぎこちなくて痛々しい。
僕もややその傾向があるので、バカになりきれないプライドみたいなのはよく分かる。うちは娘二人でよかった。男の子だったら付き合えなかったかもしれない。
娘の授業参観や父親参加イベントで出会う他の父親たちにも、そういう人が多い気がする。福山雅治起用は、そういう最近の傾向を踏まえた上でのことかも。やや気取っていて自分大好きな、父親になり切れない男の役がハマっている。
みどりとゆかりの母親コンビは、情報交換もきちんとやり、うまく付き合えている。みどりは、それを「普段から子供と繋がっているから」だという。みどりは終盤「琉晴が可愛くなってきた」とまでいう。ゆかりは寂しそうな慶多を「故障を修理する」といって和ませた。母親たちは、どちらの子供と接していても変わらず常に母であった。
この映画は「血は水よりも濃い」と「生みの親より育ての親」のどちらが正しいと判断するのか、と思いながら見ていたのだが、それはメインテーマではなかった。タイトル通り、福山が父になるまでの映画だった。
自身が血の繋がらない母親に育てられたせいか、血を優先して琉晴を育てることに決めたものの、慶多に会いたくなって訪ねていってしまう。土日も仕事で子供と風呂に入ることもない福山が、子供に会いに行きたくなる心境の変化を「父になる」としているようだが、ちょっと弱いかも。エンドロールで子供と風呂に入ったりおもちゃを修理するシーンを流すとかすれば、父親っぽく見えたかもしれんが。
最後は慶多を抱きしめて終わるが、その後二人の子供がどちらで暮らすのかは語られない。つまり、「育ての親VS.血」の対決は結論を出さない。かなりモヤモヤした。今もしている。
二人出産したうちの奥さんに取材したところ、赤ちゃんを交換されても、よほど顔が違わない限り、気づく自信がないと。母乳の吸いつきが違うとか(乳児はおっぱいの匂いで母親を見分ける)はあるかもしれんけど、だそうです。