All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

スー・チーさん演説全文(その5)

2010年11月16日 02時39分32秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
 人間には尊厳というものがあります。人権を獲得したいですか。人権宣言の最初は何だったでしょうか。「人には生まれながらに尊厳がある」から始まります。その尊厳を維持しなければなりません。他人の権利に反しない尊厳を維持しなければなりません。

 私は一方的に物事を言いません。「国民のために何かをしてあげましょう」と私は言いません。国民が自らなすべきことがあれば、やらなければなりません。国民は自分たちの責務を知らなければなりません。責任を果たさなければなりません。

 そのようにできて初めて、私たちの国は発展するのです。私たちの国が発展しているかどうかは、皆さんの方がよりよく知っています。発展していないからといって、誰のせいだと言う代わりに、力を合わせて発展のために尽くすために機会を与えてくださいと言いたいのです。

 私は物ごいはしたくありません。皆さんも物ごいをしたいという気持ちがあるとは思いません。自分の進歩のために、当然の権利がほしいだけだと思います。

 国民の皆さんが自分の進歩のための当然の権利を得るために、私たちは活動しなければなりません。私が皆さんに付き添ってご飯を買ってあげるというのではありません。私は、皆さんが自分の食事に十分に足りる分(のお金)を自ら稼ぐことができる資質を得られるようにしてあげなければならないと思っています。

 私たちは民主主義を信じているグループと相談しながら行動していきます。国民民主連盟1団体だけで行動するのではありません。多くの人たちと連携しながらやっていきます。それを支えるのが国民の皆さんです。国民が加わらなければ私たちは何もできません。国民の協力が必要であればお願いをしたいと思います。お願いをした際には私たちを信頼して、皆さんの力で支えてください。今のうちからそうお願いしておきたいと思います。

 正直に言います。私たちと一緒に活動してきた人の中には、目標が達成されるのをもう見ることができない人もいます。正しい目標に向かって進んでいくというのは人生の価値ある行動であり、誰もその価値を傷つけることはできません。

 人はいつかは死ぬのです。死ぬまでの間にどのように生きてきたかが重要です。今私たちはこれまでに命を落とした民主化活動家に敬意を表したいと思います。獄中にある民主化活動家にも敬意を表したいと思います。すべての活動家が釈放されるように祈りたいと思います。(おわり)

スー・チーさん演説全文(その4)

2010年11月16日 02時39分17秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
 私を支持することでまったく傷つかないとは言えません。時には傷つくこともあるかもしれません。私を支持してくれる人も傷つくかもしれません。私たちも傷つくかもしれません。しかし、国民が最も傷つかない方法を私たちは探していきます。

 国民も時には傷つくことを恐れないでください。私は今、言いたいのです。正しいことと悪いことの違いを知らなければなりません。正しい側にとどまり続ける勇気がなければなりません。悪いことと正しいことは時とともに変わることもあります。時間が変わるように、状況が変わるように、答えも変わります。

 しかし、それをやるべきかやらざるべきかということをよく考えて。どう言ったらいいでしょう、父親が言った言葉があります。「私は良心の法廷で正々堂々裁かれることができる」と。

 私は実際に法廷で裁きを受けました。ただ、私は良心を裁く法廷でいつでも裁きを受けてみたいと思っています。国民の皆さんもこのように、良心を裁く法廷で毎日、自ら裁きを受けてみてください。そのように裁きを受ければ、自分がやるべきことをやっているのだろうかという答えが浮かんでくるでしょう。そのように浮かんできたならば、私たちの力がとても価値のあるものになるでしょう。

 力というのは正しく使わなければ、危険なものです。正しく使うことで初めて価値のあるものになります。正しく使う力の効果は誰も失わせることができません。それを覚えておいてほしいのです。皆さんも、思いやりの心で、お互いに理解しようという心で、お互いに我慢する心を持ってください。

 皆さんにさっきお願いしたことをもう一度お願いさせてください。一緒に行動してこそ実現するのです。期待だけで実現するのではありません。欲しいと思うだけで得ることはできません。欲しいものを得るために行動をして初めて、行動を起こす勇気があって初めて、行動できて初めて、獲得することができるのです。

 私は最良の方法を探します。先ほど私が言ったとおりです。もう一度言いましょう。私たちは最良の方法を探して、目標に到達しなければなりません。私は対話だけを信じています。この方法を私たちが使わなければならないということを私は信じています。

 この本部に来て、私を支持をしてくれている皆さんの前で正直に話させてください。私を警備していた人たちに対して、私は憎しみの気持ちはありません。

 私の性格からして、誰かを憎んでいるわけではありません。そのような感情は私にはありません。私は拘束を受けていた期間、私の警備の担当者たちは私に対しとても良く接してくれました。私は事実を言っているのです。私に本当に良くしてくれました。私はそれを大事にしたいと思います。感謝しています。

 このようにいかなる地位であっても、いかなる分野にある人であっても、一人ひとりが思いやりを持って付き合ってほしいと思います。そのように私に対して丁寧に付き合ってくれたように、国民に対しても思いやりを持って接してくれればどんなに良いことでしょうと思いました。

 私を自宅軟禁にしたように、人々を軟禁状態に置かないでください。私に丁寧に接したように、国民に対しても丁寧に接してくださいとお願いしたいです。自分が嫌いだからと言って、すべてが悪いと言ってはいけません。良いところもあれば、悪いところもあるでしょう。悪い部分を「悪い」と言われても怒る必要はありません。悪いことはしなければいいのです。良い点を大事に思って、感謝をしましょう。

 感謝というのはとても心を豊かにします。私は感謝すべきことがあれば、感謝したいと思います。感謝すべきことを私に見せてください。一日中、感謝し続けることでしょう。今のところは、一日中、国民の皆さんに感謝し続けなければならないでしょう。

 感謝するという言葉について話をさせてください。心を強く持ってください。私たちミャンマー人の勇気は綿に付けた火のようだ、という言い方が私は嫌いです。こうしたことはあってはならないことです。そうならないように、人間は人間らしく生きなければなりません。

スー・チーさん演説全文(その3)

2010年11月16日 02時39分01秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
 何度も言いたいと思います。「政治は自分と関係がない」とは考えないでください。独立以前から言われてきた言葉です。政治は自分とは関係ないと言っても、政治は向こうからかかわってきます。逃れることはできません。

 すべては政治です。ここに来て私たちを支持してくれることだけが政治ではありません。家で食事を作る主婦も政治をしているのです。なぜかというと、彼女は自分が持っているお金で足りるように料理を作らなければならないからです。それは政治です。子どもたちを学校に行かせることも政治です。すべて政治です。

 誰も政治から離れることはできません。「政治は自分とは関係ない、政治にかかわりたくない」と言うのは政治を理解していないからだと思います。

 国民の皆さんは政治を理解してください。私たちにも教えてください。そのようにお互いに学ばなければいけません。国民が、私たちや民主主義のために活動している人たちに教えてくれてこそ、私たちも間違わずにいられます。

 民主主義の重要な点は何かというと、前面に立って活動している人を後ろの人たちが動かすことが必要で、その権利がなければならないということです。それが民主主義です。多くの国民が少数の支配者を動かす権利を持たねばなりません。それが民主主義です。

 国民が私たちを動かすことは受け入れます。しかし、国民でないものが私たちを拘束することはあまり受け入れたくありません。特に深い意味はありません。頭に浮かんだことを今話しただけです。

 私の自宅軟禁の間、警備に就いた人たちともたくさん交流がありました。私に対して、彼らはとても良くしてくれました。事実をそのまま語っているのです。お礼を言うべき人にお礼を言わなければなりません。警備の担当の人たちにお礼を言いたいと思います。今の言葉は私の本心からのものです。

 国民の間でお互いに思いやりを持つことが必要です。お互いが感謝の気持ちを持つことも必要です。

 ある高僧が私が子どもの時に言いました。「感謝の気持ちを持つ人はまれだ。感謝というのを知っている人もまれだ」と。私は少し若かったので、その言葉に賛同したくはありませんでした。

 感謝ができる人が少ないというのは、私ももちろん同意します。誰もが感謝できる人になれるわけではありません。しかし、「感謝を知っている人はまれだ」という言葉に、私は同意したくはありません。人間であるならば感謝を知らなければならないでしょう。しかし、知らない人もいますね。感謝すべきだというなら、感謝しなければなりません。

 国民の皆さんは私が今後の政治活動をどうするかを知りたいですよね。国民を信頼して活動するなら、国民と同じ見解を持たなければなりません。

 私は国民との間で、すべての人たちとの間で対話を続けていきます。この人とは対話がうまくできないとか、この人とは話し合いができないということは全くありません。どんな人ともうまくいくようにしたいという思いがあれば、それは可能です。話をしたいという思いがあれば、できるでしょう。私はそういう方法でやっていきたいと思います。私たちの側には国民の力が必要です。

 今ここで言ったように、これから何をしていくかを決定したら、国民にお知らせします。今はまだ私たちの政党幹部と会ってしっかりと話し合いをしていません。話し合いをした後でも、私たちの政党だけで行動するわけではありません。民主主義のために行動しているグループすべてと連携して活動したいと思います。

 私の方が活動を始めようと決めたら、国民に説明します。時には私たちの活動に同意できないこともあるでしょう。それは起こりえることです。すべての人が同じ意見ということはあり得ません。そのような別の意見を受け入れることも民主主義の考えの一つです。

 しかし、私たちは説明します。どうして私たちがこのような活動をしなければならないのか、国民が同意しなくてもどうしてやらなければならないのかということを、国民に理解してもらわなければなりません。国民の理解を得るということはそういうことです。国民の信頼、理解を得るためにするのです。票を得るためにするのではありません。

 国民の理解、支持を得て、引き続き活動していきます。今ははっきりと言えないことを許してください。しかし、たった今軟禁を解除され、今これをやりますと言ったとしても、深く考えずに語った言葉になってしまいます。最近の人々の声をたくさん聞きたいと思います。そのような声を聞きながら、これからの旅をどのように続けたらいいかということを私たちは決めたいと思います。

 最も重要なのは、国民の力をもって私たちが行動するということです。民主主義を求めるグループすべてと私は連携して活動します。そして、私たちは対話が実現するよう活動していきます。対話の実現のために努力し、国民が最も傷つかない方法で、でも、まったく傷つかないとは私は言えません。そのように私が保証すれば(国民に)わいろを与えるようなものになってしまいます。

スー・チーさん演説全文(その2)

2010年11月16日 02時38分42秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
 今、私がここに出てきた時に最初に何を見つけたかというと、たくさんのカメラ付きの携帯電話です。あちらを見てもこちらを見てもカメラ付き携帯電話でいっぱいです。それが意味するものは「コミュニケーション」です。

 コミュニケーションの分野では私たちはとても発展しました。その発展を良い目的のために使ってください。コミュニケーションの際に、お互いに理解が進むよう、お互いが連帯できるよう、使ってほしいと言いたいのです。

 私は昨日、初めて使いました。6年ほど前はこんなものはありませんでした。携帯を使う際に、口をどこに当てたらいいかさえわかりませんでした。

 今、(私の声が)聞こえないと叫んでいる人たちに文章を掲げたいと思います。(「私も国民の皆さんを愛しています」と書かれた大きな紙を掲げる)しかし、愛だけでは終わりません。行動を起こさなければなりません。愛とは何か。愛というのはお互いに心が幸せになるようにという願いから行動することなのです。

 私が皆さんにお願いしたいのは、先ほど言ったように、自分の考えを私たちに伝えてほしいということです。手紙を書いて送ってくれても構いません。郵便局を信じられないなら、ここに来て直接手渡してください。皆さんが何を考えているのかを私は知りたいのです。

 この6、7年の間、人々の考えがどうなっているのか、どう変わったのかということを私は正確には知りません。すぐに知ることも不可能です。再び学んでいく必要があります。

 国民の皆さん一人一人と直接話をすることはできません。もし可能であれば話をしたいとは思います。私は座って話を聞くだけです。一人一人が私に話をしてほしいと思います。

 私1人が前に立って話をすることはつまらないことです。一方が話し、もう一方がそれに応じるということにこそ価値があるのです。1人だけが話をするのは、民主主義にそぐわないと感じています。

 いつか国民のための「直接訴える場」を設けなければなりませんね。そこでは国民の皆さんも言いたいことを言うことができ、私たちも国民の声を聞くことができるでしょう。

 私がここで長く話をすれば皆さんも疲れると思います。先ほど言ったようにやるべきことはたくさんあります。力をしっかりと残しておかなければなりません。20年以上もかかっているので、疲れにも慣れてしまったかもしれませんね。しかしながら、これからも皆さんを疲れさせたくはありません。

 疲れるということは大きな問題ではありません。疲れても結果が出ることが重要です。結果が出れば、どれだけ疲れたとしても耐えることができます。私たちの力を、たとえ疲れても結果が出るよう使わなければなりません。

 私が言いたいのは、失望しないでくださいということです。我が国の状況を見て、失望したくなるときもあります。今まで何も変わらず、発展もしていないという思いもあるでしょう。しかし、失望する理由はありません。私たちは努力しなければなりません。努力はとても重要です。努力を重ねなければなりません。行動を起こす際にも、その途中でも、目的に達するまで努力をしなければなりません。

 行動を起こすということに終わりはありません。国を造っていく際には、行動しなければなりません。この世に完全な満足ということはありません。しかし、ある程度の満足は絶対に必要です。そのような満足できる状況に達することができるよう、皆が協力して努力しなければなりません。

 私がすべてしてあげられるとは言えません。国民の信頼、国民の期待、国民の支持があってはじめて、私の力は大きくなるでしょう。そのような力で国民とともに行動したいと思います。

 私1人ではできません。私1人ではやりたくありません。1人で行動するのは民主主義ではありません。この考えを忘れないでください。私は1人で行動するつもりは全くありません。多くの皆さんと一緒に行動します。国民の皆さんと一緒に行動します。私たちを支持し、私たちに共感する世界の人々とともに一緒に行動します。そういう思いを心にしっかりと持ってください。

 勇気というのは拳を振り上げて勇者気取りをすることではありません。勇気というのは、気持ちを強く持って、自分が成し遂げたいことのために一生懸命行動することです。そのような勇気を私たちは持たなくてはいけません。

 国民の皆さんが朝早くから、今日1日、生活のために勇気を出しています。その勇気を結果が出るように使わなければなりません。国民のため、国のため利益があるように使わなければなりません。自分1人のためにと考えることはあり得ないことです。家族のためだけにと考えることもあり得ません。

スー・チーさん演説全文(その1)

2010年11月16日 02時38分27秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2010年11月15日14時20分朝日COM

自宅軟禁から解放されたミャンマー(ビルマ)の民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チーさんが14日に最大都市ヤンゴンの国民民主連盟(NLD)本部前で行った演説は次の通り。



 このように集まって支援してくれていることに最初にお礼を言ってから、話を始めたいと思います。皆さんお久しぶりです。しかし、どれだけ会えなくても、(国民と私の間に)お互いに慈しみの心や信頼感がしっかりとあったということを確認できてうれしく思います。とても力になります。

 国民の皆さんが何を期待しているかを私は知っています。期待していることをどうやったら実現できるかを知ることが重要です。私の考えでは、政治とは「習得する」ことです。

 若者たちと話をする時に、私は悪い若者とか良い若者とかといった区別はしません。優等生と劣等生という区別も信じません。習得できる人と習得できない人という区別があるだけだと思っています。私たちの国の人々は習得をできると信じています。

 期待するだけでは何もできません。期待することを実現するためにどうしたらいいか。実現する際にも正しい方法で行動する必要があります。

 正しい方法で行動したいというのはなぜかというと、自分が聖人になりたいからではありません。私の経験から言って、正しい方法で行動しなければ目標が正しいものではなくなってしまうからです。だから、正しい方法で自分が実現したいと思っていることを実現しなければなりません。

 私にたくさん質問をしたいという人がいることを私は知っています。私も人々の声を聞きたいと思っています。難しいのは皆さんが口々に叫べば、何を言っているかわからなくなってしまうことです。私は皆さんの声を聞けるようになることを期待しています。

 自宅軟禁に置かれた際にも、私は(ラジオやテレビの)放送をしっかりと聞いて、国民が何を言っているか、国民が何を必要としているか、毎日確認してきました。1日に5、6時間も耳を傾けなければならないのは、つらいことです。しかし、国民のために聞き続けてきました。そのように聞き続け、国民がどのような生活を強いられているかということを理解してきました。

 ただ、すべてはわかりません。私は国民の皆さんにも私に聞こえるように話をしてほしいと思います。それによって、私は何をするべきかを考えることもできます。

 国民が参加しなければ何も実現できません。それは皆さんもわかっていると思います。国民が国民のために民主化を実現する、それは私の国だけではなく世界中に広がってほしいことです。そういう考えに基づいて、私たちは努力します。私が掲げる目標を平和的に正しい方法で実現できると信じています。

 やらなければないことはたくさんあります。行動しなければ何も得ることはできません。

 私たちミャンマー人は、何でも「これは運だ」と考える傾向があります。私は若い世代にも何回も言ってきました。運という言葉の意味を知っていますか。運というのは行動に基づくものです。運と言っても、自分がやったこと以上にはなりません。

 得るべきものがあれば、行動しなければなりません。「実現不可能なことを実現します」と簡単に約束することでは国民をまとめることはできません。

 私たちは努力します。国民が向かうべきところに行く道をみんなで造っていきます。道を前に進めるように努力したいと思います。私たちは民主主義の目標にたどり着く道をみんなで造り、みんなで一緒に歩いていきます。この方法でこそ、私たちの目標は実現するのです。

 ほかの人がしてくれるのを待っていては駄目です。私たちは無理やりやらせるつもりはありません。皆さんが自ら参加することで実現するのです。

 このように皆さんがここに来て支持をしてくれるのは、私に期待しているからだということはわかっています。そのような期待を背負うのはとても重いことです。しかし、私はその責任を恐れません。恐れるのは責任を果たせないということだけです。責任を果たすために努力します。

 その際、国民の皆さんも私にアドバイスをしてください。力を貸してください。指摘すべきことがあれば指摘してください。正しく指摘すること、真心から指摘することは非常に助けになります。指摘してくれることで、私たちと国民が必要としていることを実現するための助けになります。

 ここで私は国民の皆さんにお願いがあります。私たちとは、正直に何も恐れずに接してください。私たちに何を言ってくれても構いません。言いたいことを伝えてください。私と意見が違ったときには私は反論します。これが民主主義の基本である言論の自由です。言論の自由というのは勝手に文句を言い合うことではありません。

 時には少し声を張り上げることもあるかもしれません。しかし、お互いが理解できるよう話すことがとても重要なのです。お互い意見が一致していても、そうしたことを訓練する必要があります。訓練することでできるようになるのです。