2月9日14時21分配信 産経新聞
映画化された「遠雷」などで知られる作家の立松和平(たてまつ・わへい=本名・横松和夫=よこまつ・かずお)さんが8日、東京都内の病院で死去した。62歳。栃木県出身。葬儀は近親者で行う予定。
立松さんは先月体調を崩して入院していた。
早大在学中に早稲田文学新人賞を受賞。市役所などに勤務したあと文筆活動入り、昭和55年に「遠雷」で野間文芸新人賞。平成9年に「毒-風聞・田中正造」で毎日出版文化賞などを受けた。テレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」の出演で有名に。パリ・ダカールラリーに出場するなど行動派として知られ、最近は環境問題などに積極的に取り組んでいた。
以下は2月9日14時54分配信 産経新聞
高橋伴明監督、立松氏死去に「いつもニコニコと笑顔で菩薩のような人」
連合赤軍をテーマにした立松和平氏の小説『光の雨』を映画化した高橋伴明監督の話「突然の悲報に非常にショック。早大の先輩後輩として長い付き合いだが、人の悪口を言うのを聞いたことがないし、自分が批判されても決して相手を責めない人。いつもニコニコと笑顔で菩薩のような人。最近は温泉と俳句を楽しむ中で、会うと仏教の話を2人でよくしていた。『100の山を登るんだ』と張り切っていたから、無理するなよと話したのですが、とにかく残念でなりません」
以下は2月9日15時48分配信 産経新聞
根岸吉太郎監督、立松氏死去に「誠実で男気のある方だった」
立松和平氏原作の「遠雷」の映画化でメガホンをとった根岸吉太郎監督(59)は、立松氏死去の一報に大きなため息をつき、「誠実で男気のある方だった」としのんだ。
「遠雷」は出版当時、著名な監督が映画化に名乗りをあげていた。「伊勢丹の喫茶店で初めて会った立松さんは、当時無名の映画監督だった私に、『この作品は責任を持ってあなたに預けた。いろんな方から申し出があったが一切気にしないで。たとえ黒澤明監督から請われても、あなたに預けるから』といわれた。本当にうれしかったし、それに応える映画を撮らなければと思った」と振り返る。
その後、ほとんど交流はなかったが、10年ほど前、歌舞伎座で偶然再会。「立松さんは歌舞伎『道元の月』の台本の執筆中で、永平寺にも行ったと言っていた。お互いに立ち話の近況報告だったけれど、握手したのを覚えている」。同じ早稲田大学の出身。学生時代に面識はなかったが、「年齢は近かったけれど尊敬すべき人でした」と語った。
以下は朝日COM(2010年2月9日19時26分)
立松和平さん死去 都はるみさん・久米宏さんらが悼む声
8日に死去した作家・立松和平さんへ、各界から死を悼む声が集まった。
40年来の親交があった歌人の福島泰樹さんの話 絶えず時代の中で、人間のあり方、心のあり方を見つめていた作家だった。純文学を背負う数少ない一人が亡くなり、自分という島から大きなものがなくなってしまった。
立松さんも出演したテレビ朝日系報道番組「ニュースステーション」のキャスターだった久米宏さんの話 立松和平さんの本を読むと、あの声、あの調子で文章が立ち上がってきます。これからも、ずっとそうだろうと思います。
歌手・都はるみさんの談話 誕生日が約2カ月違いの立松さんとは、アサヒグラフの対談企画でご一緒して以来、お話をする機会ができました。私の日生劇場でのコンサートへの心温まる感想文は、今でも大切な思い出です。恩師の市川昭介先生みたいに、一緒にひなたぼっこをしているようなお人柄でした。もう一度お会いしたかったです。
映画化された「遠雷」などで知られる作家の立松和平(たてまつ・わへい=本名・横松和夫=よこまつ・かずお)さんが8日、東京都内の病院で死去した。62歳。栃木県出身。葬儀は近親者で行う予定。
立松さんは先月体調を崩して入院していた。
早大在学中に早稲田文学新人賞を受賞。市役所などに勤務したあと文筆活動入り、昭和55年に「遠雷」で野間文芸新人賞。平成9年に「毒-風聞・田中正造」で毎日出版文化賞などを受けた。テレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」の出演で有名に。パリ・ダカールラリーに出場するなど行動派として知られ、最近は環境問題などに積極的に取り組んでいた。
以下は2月9日14時54分配信 産経新聞
高橋伴明監督、立松氏死去に「いつもニコニコと笑顔で菩薩のような人」
連合赤軍をテーマにした立松和平氏の小説『光の雨』を映画化した高橋伴明監督の話「突然の悲報に非常にショック。早大の先輩後輩として長い付き合いだが、人の悪口を言うのを聞いたことがないし、自分が批判されても決して相手を責めない人。いつもニコニコと笑顔で菩薩のような人。最近は温泉と俳句を楽しむ中で、会うと仏教の話を2人でよくしていた。『100の山を登るんだ』と張り切っていたから、無理するなよと話したのですが、とにかく残念でなりません」
以下は2月9日15時48分配信 産経新聞
根岸吉太郎監督、立松氏死去に「誠実で男気のある方だった」
立松和平氏原作の「遠雷」の映画化でメガホンをとった根岸吉太郎監督(59)は、立松氏死去の一報に大きなため息をつき、「誠実で男気のある方だった」としのんだ。
「遠雷」は出版当時、著名な監督が映画化に名乗りをあげていた。「伊勢丹の喫茶店で初めて会った立松さんは、当時無名の映画監督だった私に、『この作品は責任を持ってあなたに預けた。いろんな方から申し出があったが一切気にしないで。たとえ黒澤明監督から請われても、あなたに預けるから』といわれた。本当にうれしかったし、それに応える映画を撮らなければと思った」と振り返る。
その後、ほとんど交流はなかったが、10年ほど前、歌舞伎座で偶然再会。「立松さんは歌舞伎『道元の月』の台本の執筆中で、永平寺にも行ったと言っていた。お互いに立ち話の近況報告だったけれど、握手したのを覚えている」。同じ早稲田大学の出身。学生時代に面識はなかったが、「年齢は近かったけれど尊敬すべき人でした」と語った。
以下は朝日COM(2010年2月9日19時26分)
立松和平さん死去 都はるみさん・久米宏さんらが悼む声
8日に死去した作家・立松和平さんへ、各界から死を悼む声が集まった。
40年来の親交があった歌人の福島泰樹さんの話 絶えず時代の中で、人間のあり方、心のあり方を見つめていた作家だった。純文学を背負う数少ない一人が亡くなり、自分という島から大きなものがなくなってしまった。
立松さんも出演したテレビ朝日系報道番組「ニュースステーション」のキャスターだった久米宏さんの話 立松和平さんの本を読むと、あの声、あの調子で文章が立ち上がってきます。これからも、ずっとそうだろうと思います。
歌手・都はるみさんの談話 誕生日が約2カ月違いの立松さんとは、アサヒグラフの対談企画でご一緒して以来、お話をする機会ができました。私の日生劇場でのコンサートへの心温まる感想文は、今でも大切な思い出です。恩師の市川昭介先生みたいに、一緒にひなたぼっこをしているようなお人柄でした。もう一度お会いしたかったです。