元ベース弾きの田舎暮らしは

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「ふるさとのない」娘たち

2018年12月29日 | 娘達・家族
この正月に四人の娘たちの内、三人が帰省します。
今日 深夜、独身の三女・四女が。31日 長女夫婦と孫が。
揃って、帰ってくるのは4年ぶり。寒波のため、大幅に遅れそうですが。

私の住む町に娘たちは、住んだことがありません。
転勤族だった私のために、学校も転々。
長女は、小学校3校、中学校2校、高校2校も「体験」。
拝み倒して、中高時代に転勤先に同行させた「ひどい」父親でした。

一番長く住んだのが、小田急線の「新百合ヶ丘」。
リロケーションの戸建てを、社宅として借り受けた家でした。

外装は、なんの変哲もない二階建て。でも設備・内装は豪華な家。
30年以上も前なのに、ムク板の扉のシステムキッチン、防音扉付きのオーディオルーム。
持ち主は大手ゼネコンの設計者。ロンドン赴任中の留守に借りた家でした。

感じやすい子供時代に、数多くの友との別れ。
転校し、相性の悪い教師に悩んだむすめも。
かみさんの「次はどこかな、楽しみだね!」の言葉に救われた時代。

次々と生まれる子供の出産時に、上の子たちを、実家に預けていたのが唯一の長期滞在。
当時の実家は、築120年の古い家。明治20年代に建築された古民家。
隙間だらけで、夏暑く、冬寒い家。広くて寒いタイル風呂。水洗でないトイレ。
子供たちが怖がったのは、中二階の屋根裏部屋。天井のスライド式の扉は忍者屋敷風。

       

この古い家を、建て直したのが6年前。
安普請の平屋です。外観・材質にはこだわらず。間取りと設備のみ重視の家。
こどもの頃、3メートルの石垣の上の家から、慣れ親しんできた「視点の高さ」。
名実共の『上から目線』。この風景が忘れられずに、田舎にUターンしたのです。

以前、娘に聞きました。「お金と新しい家と、どちらがいい?」
「新しい家が、いい!」と即答。
実家が、「おばあちゃんの家」から「お父さん・お母さんの家」になりました。

質素だけど、平穏な毎日を送る「家と両親」の存在は、むすめ達には大切らしい。
住んだことはないけど「ふるさと」になりつつあります。

画像   雪の新見市街地
     昨年2月帰省の「雪を見る孫娘」

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