元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

浜松でのかみさんとの会話

2007年12月12日 | 娘達・家族


先ほど浜松から東京へ帰りました。

浜松でのかみさんとの会話も忙しいものでした。
以下 その様子をドキュメンタリー風に書きます。

まず四女の受験校の決定をする。
かみさんの現地情報により、公立校と滑り止めの私立の学校を決める。
私立は上位に入ると授業料が無料になるとか。経済的には楽になる。
四女が私たちの話を聞きながらユーフォニウムの手入れをしている。
娘よ頼むから頑張ってくれ。

次に年賀はがきを出す相手を、リストに基づきチェック。漏れがないようにしたい。
今年は身内からも知人からも喪中欠礼のはがきが多い。よって親戚は大幅にカット。
はがきのデザインも慌ただしく決定。かみさんにパソコンでの印刷依頼。
ワンコメントを書くために東京に一度送ってきてもらう。
コメントを入れるのも時間がかかるが、はがきを待ってくれている人がいるために欠かせない。
例年より少ないとは言え、はがきの山をみるとため息が出る。

            

三女の演奏会の状況報告と、今年残りの演奏会の説明をする。
年内あと2回の演奏会と公開レッスンがある。
かみさんがしきりにうらやましがり「私も 聴きたい」と言うので、
演奏会のための上京を勧めるとそうするという。
いつも私だけ聴いていることが、どうも不公平と思っている様子。
車で浜松・東京を日帰りで聴くらしい。事故をするなよ。
岡山に帰ると上京が当分難しいからだそうである。

一番大変なのは、年末年始の帰省のスケジュール調整。
浜松を引き払うための、娘たちのものの片付けもそれぞれ娘たちににやらせたい。
長女・次女は正月返上の勤務らしく、岡山へは帰れそうもない。
三女・四女も期末の実技試験や高校受験。学生さんも帰省は困難。
岡山帰省は夫婦だけになりそう。実家の家つくりのためにどうしても帰らなければ。
設計士さんとの打ち合わせが待っている。古民家再生か新築か。

            

かみさんとの会話も慌ただしく落ち着かない。
このブログやmixiを読んでくれているが、内容にクレームがつく。
「私のことを美化している。読むと恥ずかしい」と言う。
「田舎に帰る決断も大したことではないし、ネットワークも友達が作ってくれた」という。
やはり夫婦の会話が足りないと思う。
それとも私の深層に負い目があり、「腫れものに触っていた」のか、
「濡れ落ち葉」にならないように、無意識にリスクヘッジをしていたのかも。


以上が浜松での数時間の会話。話すことが多すぎて疲れた。

四女が弾いてくれたピアノが心に沁みる。
ラフマニノフのエレジー。素晴らしい曲である。やはりピアノはいい。

画像は  浜松駅
     年賀はがき
     かみさんの車(もう長い間乗っている車)

コメント (16)
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