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転勤族の「終の棲家」 「八つ墓村」実家編

2006年12月31日 | ふるさとの母親
 横溝正史の作品に八つ墓村」がありますが、そのモデルとなった岡山県北で生まれました。「たたりじゃあ」の言葉が有名です。合併後今は新見市です。定年後はそこに帰ります。

 この小説は岡山県に疎開していた横溝が、地元を題材に書き上げたものです。
ショウケン主演の映画に出てくる、石垣の上の旧家は「広兼邸」と言い、銅とべんがらで財をなした庄屋の家柄なのです。

 私の実家は、比べるべくもありませんがやはり石垣の上にあるのです。
明治28年に立てられたもので、築 百十数年です。古いためあちこちで雨漏りがします。その為台風時には雫を受ける洗面器が必要なのです。また立て付けが悪く隙間風が入り、冬寒く夏暑いのです。

 二重屋根で、今でいう小屋裏を物置とした建物で、2階建てとは異なる外観です。
その2階に上がるには、つり梯子を下ろし、横にスライドする天井から上がるのです。
忍者屋敷みたいなものです。子どもの頃はそこは恐怖と好奇心を掻きたてました。

 客間である奥の間の天井は他の部屋の天井よりかなり高く取ってあります。
祝いのための神楽を自宅でやるため、なぎなたが振り回せる高さなのです。

 四十年以上前に大改造をして、昔の土間が応接間になっています。
叔父が設計士だったため、当時はまだ珍しい間接照明が施されています。

 風呂・洗面・キッチンはタイル張りの全て作り付けです。
枕付きの浴槽は冷めやすく、キッチンは高さがないため帰省したかみさんの腰痛の原因となりますが、背の低い母親には丁度良い高さです。

 我が家の墓地は自宅から程近いところにあります。墓石が四十ほど並んでいます。
今は亡き祖父からこう言われました。「この墓石の高さがほぼ同じなのは、金持ちでもなく、貧乏でもなく子孫が続くことの証だ。」

 2年後この「八つ墓村」に帰ります。この建物を修復するか、取り払い新築にするか迷っています。どちらにしてもお金がかかりますが「宿命」です。

 八つは実は縁起の良い数字で、中国では最高の数字です。八卦はここから来ています。

 ここで生まれ、育った私は、庭のイチョウの木を見るのが好きです。そして周辺の山も見慣れたものです。奥の間から見る景色は世界に1つであり最高なのです。

 参考 広兼邸 http://www1.ocn.ne.jp/~nariwa/fukiya1.html
(画像は明治28年新築時の経費明細と頂いたお祝いを記した文書)
コメント (4)
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