元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

生命力

2019年01月20日 | ふるさとの母親
母親が緊急入院しました。
今年3月で、96歳を迎える大正生まれ。

入所中の施設から、電話があり、緊急呼び出し。
高熱と嘔吐により、病院に行くため同行依頼です。

搬送先の病院のかかりつけ医から、白血球が17000と上限の2倍に到達の告知。
原因不明だが、抗生物質投与で対応する応急処置。
当然 入院加療が必要だが、満床のため、近くのほかの病院に転送。
見知らぬ医師や看護師・介護に少し不安を感じながらも対応依頼しました。

入院から三日目の昨日、熱が下がり、顔色も平常に。
点滴のみのため「腹が減った」との母親、その言葉が出たことに一安心。
今までも数度の危険状態から「生還」した「実績」のある母親。
丈夫な体を持っている家系なのでしょう。
しかし 今回は、病状は深刻な様子。

     

先週から、家の周りの樹木と庭の剪定中。
シルバー人材センターに依頼し、延べ60時間以上の作業です。
10年前に大きく伐採したイチョウの木が高さ15~16mに復元・成長。
屋根にイチョウの葉が堆積し、樋が詰まるため、高さ3メートルにカット。

10年前 東京からUターンした年に同じように切ったイチョウ。
たった10年で、元の高さに成長する植物の「生命力」に驚きました。
このイチョウの木の存在が、故郷に帰る理由の一つでもあったのです。

小さいころから見てきたイチョウは心の「癒し」です。
母親が嫁に来た時にはあったというから、樹齢100年は経っている計算。
石垣の端に立つイチョウ伐採は、困難を伴い、作業する人も危険との闘い。

イチョウ以外にも、カットや剪定を依頼しました。
白いフジの木の枝が伸びすぎて、ほかの木に覆いかぶさる状況。
古老の使う、地元の方言「おおがっそう」状態。
本来は、伸び放題で手入れのしていない髪の毛を指す言葉らしい。

庭の植木も大きく伐採したため、遠くからでも庭が見える状態に。
「裸」になった庭のため、少し恥ずかしい気持ち。でも晴れやかな景観。

田舎暮らしで鍛えられた母親と樹木の「生命力」を感じたここ数日。
共に「大切にしたい」心の支えです。
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四度目の「奇跡の生還」

2018年06月23日 | ふるさとの母親
緊急入院をしていた95歳の母親。

嘔吐物が肺に入り、急性肺炎。
医師から「危ない」と言われる状態でした。
レントゲン写真には、数時間で真っ白になった肺が。

高熱が続き意識も朦朧。点滴が7日間。
高齢のための体力低下も心配でした。
数日前から、熱が引き、胃瘻による栄養補給も再開。

熱と嘔吐がないことから、退院調整に入りました。
思えばこの5年間で、医師から「難しい状態」と言われること4度。

脳内出血、胆管異常、胆石のつまり、そして肺炎。
その都度、危険な状態を脱して回復に。
丈夫な体だったのと、「生きたい」という堅固な意思。

母親方の祖父母はいづれも90歳代までの長生き。
その血を引いているためでしょう。

入院回数が多いためか、病院の看護師・介護・リハビリ・事務の人と顔なじみ。
ひっきりなしに、病床を訪れ、励ましや見舞いの言葉かけ。
周囲の「善意」にも支えられました。

とは言え高齢のため油断はできませんが、ひとまず安心。
最悪を想定し、様々なことを考えた、20日間でした。

画像  母親が元気なころ作ったトマトの雨除け  
      知人・親戚に、この傘を見てまだ元気だと確認してもらっていました。
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95歳の想い?

2018年05月03日 | ふるさとの母親
年齢が95歳になると、想うことは何だろうか?

母親が施設から一時帰宅。大正12年生まれの95歳の母親。
施設入所後、毎年この時期に庭の白いフジの花を観に自宅に。
5年前、脳内出血で倒れ、車いす生活ながら認知症には非ず。
介護タクシーを利用し、わが家と施設を片道およそ20分で往復。

フジの花が、今年はいつになく早い開花と散り具合。
帰宅時に何とか鑑賞に間に合ったけど、散った花は「白い絨毯」。
他に、庭に植えた山野草の「エビネ」は最盛期で、十分楽しめた様子。
紅や白の「さつき」や紫の「アヤメ」、白い「シャガ」など。

母親の関心事は花に加えて、家から見る景色。
周りの山々は濃い緑と瑞々しい新緑の若葉、そして紫のフジの三色。
高い位置のわが家から見える近隣の家が、懐かしかったのでしょう。

    

     

入所している施設は、15畳くらいの広く新しい部屋。
地域で人気ナンバーワンの施設らしく、入所希望の待機者が数百人?とも。
資本金が10億もあり、安定経営ができるためか、イベント他工夫が様々。
職員は有資格者がほとんどで、厳しく躾けられていて接遇にも好感が。
入所費用は、5段階のランク。都市部の施設のおよそ三分の二くらい。

以前の母親の関心は、テレビの政治番組。国会中継や討論が好き。
もう一つがサッカー。日の丸を背負う代表戦が大好き。
野球に比べルールが簡単で、勝敗がはっきりわかるためか。
イケメンの長谷部のファン。中継があると夜なかでも応援を。

地元の新聞のお悔やみ欄を欠かさず見る習慣も。
ところが最近テレビや新聞への関心が少し薄れた様子。
集中力が欠けてきたのは、95歳の年齢からくるのかもしれません。
今一番の関心は、部屋の中の花瓶の生花。

花瓶は大きいものから小さいものまで5~6種類。
わが家と妹家族で花を持ち込み、常に古い花と交換。
半分の花瓶を埋めるのは、わが家の庭の自然の花。残りが花屋の洋花。
花の大きさの大小、色合い、香りなどの組み合わせに苦労も。
今の時期は、花いっぱいの季節で楽です。

     

明るい日差しの中、ベッドで考えることはなに?
入所者の大半が集まる、ラウンジやリハビリ室はあまり好きではない母親。
看護師や介護士との会話を楽しんでいるらしい。

認知症ではないため、親戚・近隣・知人が見舞いに来てくれます。
帰宅時に見舞客が。驚くほど顔を覚えていて、来客を喜びます。

「綺麗だね!」と花を観る笑顔の母親。
その言葉を聞くために、帰途訪問が日課の私です。

画像   5年前の新築の棟上げ 新築中に倒れた母親
     旧実家 下の道から
     旧実家 玄関
     蘭の一種「エビネ」 母親が植えたもの
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94歳の母親の一時帰宅

2017年05月07日 | ふるさとの母親
この連休に施設入所中の母親が一時帰宅。
満開の白い藤の花と山野草の「海老根」を見るためです。

藤の花が満開の日に帰ってきました。
天気も晴れで、穏やか日。暑すぎず快適な気候。
いつもの介護タクシーで車椅子ごとの送迎。

運転手をしてくれたのは私の高校生時代の同級生。
弟と妹もアテンドしてくれます。

今回は、直接 家に上がるのでなく、わが家の下の畑の前からスタート。
夏野菜の苗を植えた直後の畑を見て懐かしそう。
家の周囲の傾斜に咲く、つつじやシャガも満開で歓迎ムード。

5年前に脳内出血で倒れました。
直後は昏睡状態。その後 リハビリセンターで会話可能な状態まで回復。
しかし半身のマヒは取れず、要介護5の寝たきり状態。

昨年から特別養護老人ホームに入所。
この施設と相性が良かったのか、今では胃瘻の栄養摂取だけでなく口からも食事。
4年間食べてなかった94歳の母親が、今では味わうほどに。

施設の栄養士さんが母親のために、昼食の特別メニューを。
何を食べたいかのヒアリングをもとに好物を調理。
量は少しですが、さかな・野菜・果物など幅広い食材。
次の日は何かと心待ちのため、室内のカレンダーにメニューを1週間分を記入。

     

認知状態にもならず、相互の会話が成り立ちます。
ただ 発語が一部不明瞭なことはやむを得ないかも。
会話できることから、近隣や親せき、友人が度々訪問。
そのことも楽しみらしく、会話の内容を私にも教えてくれます。

施設の個室には、花が好きな母親のために、花瓶が4つも生花で埋まるほど。
家の周囲の野に咲く花や、珍しい洋花も交代で持ち込みいつも花畑状態。
花の香りが部屋に立ち込め、看護師さんや介護の人たちも驚くほど。

     

家には母親用の部屋を新築時に作りました。
元気だったため、調理をするためのキッチンも併設。
しかし完成前に倒れたため、一度もこの部屋で生活していません。

帰宅して、この部屋に横になって庭を眺めると、藤の花が見えます。
「きれいじゃなー」と感動する母親に私も嬉しくなります。
短い滞在ですが、本人は満足そう。
しかし 実際は元気に帰って生活したいはず。それを我慢して言わない母親。

一時帰宅を知った近隣の人が一目会いたいと来てくれます。
又 仲の良かった母親の友人からは、寿司や揚げ物、漬物の差し入れも。
こんなにみんなに可愛がってもらえる母親は幸せでしょう。


     
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母の近況・93歳の「奇跡」

2016年07月18日 | ふるさとの母親
特養の施設に入所して5カ月の母。

半身のマヒ、胃瘻での栄養摂取。
この母が、食べることを許可されたのです。

一カ月前、施設のケアーマネージャーと看護師から「お話しが・・」。
病状の悪化か、認知の始まりかと一瞬ドキッとしました。
でも話は逆でした。

「私たちとの意思の疎通ができ、嚥下力もありそうです。」
「一度病院で、嚥下テストを受けません?食べられるかもしれません。」

即座に「お願いします。母親の第一の望みですから」と私。
ここ数年間、病院で医師たちに「食べる許可は出ませんか?」と懇願。
しかし 誤嚥による肺炎の危険があるとのことで、却下の連続。
テストがあるとはいえ、食べることの可能性が出てきたのです。

早速 病院で医師や看護師、リハビリ担当者立会いのもと嚥下テスト。
結論は、食べることを許可されたのです。
「嚥下反射が少し鈍いのですが、食べられます。」との医師の説明。
ものがのどに入ったとき、気管が閉じるスピードが少し遅いらしい。

脳内出血で倒れて4年。その時以来の食事の許可。
と言っても最初は、ゼリーなどの柔らかいものから少量。
胆管が弱り、胆石のたまりやすい体質のため、脂肪分は避けるようにとのこと。

それにしても、胃瘻の患者が再び食べられるとは・・。
強い生命力と生きる意欲があるからでしょう。
友人・知人も驚きました。「93歳でそんなことが」

歯医者に入れ歯の修正か、新しいものを依頼。
これで発語もより聞きやすくなるでしょう。

嬉しいニュースだけではありません。
悔しい出来事もありました。

畑のトウモロコシが、猿の集団に襲われ、ほぼ壊滅的被害。
キュウリやナス・トマトには目もくれず、トウモロコシのみ食い散らかし。
猿の一番の好物らしい。

娘や孫に甘いトウモロコシを送るとの約束が果たせません。
LINEで娘たちから「がっかり」「ショック」との返答。
来年はしっかりと柵を作る決意。

嬉しい話と悔しい話。田舎暮らしはドラマの連続です。
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大正生まれの母親の退院と施設入所

2016年01月31日 | ふるさとの母親
私の母親は、この3月で93歳。

今まで病院と老健の施設を行ったり来たり。
脳内出血の後遺症のマヒは治りませんが、病院から退院勧奨。
2月に、以前から申し仕込んでいた特養に移ることに。

その施設は、自宅から遠くない市内に位置するため、私たちの毎日の訪問は可能。
築11年とまだ新しく、10畳の明るい個室です。
費用も世帯分離をしていることと、受給中の遺族年金などが非課税のため納得の範囲。

病院にいると医師や看護師が居ることで母親には安心感が・・・。
特養に入ると、看護師は常駐だが、病気発症の場合病院に救急搬送らしい。
未知の施設に本人は若干不安がある様子。

体に不自由さはあっても意気軒高。
本人は完全治癒が目標。花作り・野菜つくりをしたいらしい。
大正女の強さを感じます。

記憶力も年齢の割にしっかり、新聞も見出しを読破。見舞客の顔は一目で認識。
会話も弾むためか、いまだに多くの知人・友人・親戚が話し相手に病院訪問。
ありがたいことです。

岡山県北は、人口の割に施設が多いが、それでも順番待ちが多いとか。
要介護2以下の場合、自宅療養を目指すように国も政策転換。
医療費の抑制のためでしょう。

運よく入れた施設に、母親が早く馴染んでくれたら、嬉しいのですが・・・。

今朝 東京の知人の訃報が入りました。まだ70歳代。少し早すぎます。
お世話になった人でした。ご冥福をお祈りします。合掌。
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「初雪と入院の母」

2014年12月03日 | ふるさとの母親
昨朝はうっすらと雪化粧の景色。寒いはずです。

庭の木々や植物の葉の部分に雪が積もり美しい朝。
地面には積もってないのが、いかにも初雪らしい。

早朝出勤のかみさんは、車を暖めるため、早めのアイドリング。
私の車もかみさんの車も、まだスタッドレスタイヤは未装着。
週末二人でタイヤ交換に行かなくては。
なじみの車屋さんで、一台2000円。15分位で完了です。
昔は、降雪時にチェーンをはめていた時代「昭和は遠くなりにけり」。



ここ2週間入院している母親。
血液検査やCTで、肝臓や胆嚢の機能低下が見られたから。
92歳になると、ちょっとしたことで病状が変化。
嘔吐や発熱で点滴中。吸収できるカロリー数は大幅ダウン。
今は落ち着いています。

主治医の判断で退院延期。もうしばらく様子を見るとか。
それを聞き、母親はがっくり。
周りも病人ばかりのため、気が滅入る様子。

ただ それでも 個室よりは大部屋を好む母。
他の患者を訪ねてくる見舞客の様子を見、漏れてくる話を聞くことで気が紛れるとか。
「あの人には見舞客が多い、この人には少ない」と噂話。

雪の積もった家や庭のスマホの写真を見せると嬉しそう。
本格的な冬の到来の前に退院出来ればいいのですが・・・。
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「再入院の母親」

2014年01月23日 | ふるさとの母親
老人保健施設に入所中の母親が、病院に入りました。

勤務中に職場に電話があり、「お母さんを病院に連れて行きます。同行してもらえますか?」
突然のできごとに驚きました。仕事の段取りをして急ぎ病院に。

前日母親が嘔吐し、血液検査を実施。結果肝機能が落ちているとの判断。
胆嚢に胆石の可能性も。もうすぐ91才の母親には大きな負担だったのでしょう。
診察の結果、入院が決定。

「内臓は丈夫に生まれついている。」と自信を持っていた母親。
しかし 要介護度が高く、寝たきりに近い状態は、突然の症状の変化をもたらします。

絶食し、点滴で体への負担を軽減し、様子を見ることに。
空いている個室に入りましたが、自覚症状のない母親は不思議そう。
「肝臓が弱っているらしいよ。」伝えましたが、全く他人事のようです。

この病院へは、母親は入院したことがあるため、看護師や介護の人にも多くの顔見知りが。
「どうしたの?」「なんでここへ?」入れ替わり病室を覗いてくれます。

数日たった作朝、勤務前に病室を訪れると、偶然回診中の院長とばったり。
「良くなっているよ。」とうれしい言葉。
夕方、看護師も「血液検査の数値が良くなっています。」と裏付けの報告。

回復中の母親、でも退院日はもう少し先のようです。

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「90歳の母親の手術」

2013年12月15日 | ふるさとの母親
母親が老人保健施設に移って数カ月。
極めて強靭な精神力があり、ボケもしません。
しかしながら肉体的な能力は落ち気味です。視力・排せつ力など。
以前はメガネなしで新聞を読んでいたのが、今は大きな見出しが精いっぱい。

先日、施設から病院に行き簡単な手術を受けました。
誤嚥を防ぐため「胃ろう」にしていますが、このパイプの交換です。

私も職場に休暇取得を提出し、付き添いです。
久しぶりの一般病院に行ったため、あちこちをキョロキョロしている母親。
顔を見知った知人が母親に話しかけます。患者や看護師、理学療法士などなど。
待つこと小一時間、手術はわずか10分程度。「ちくっ」と痛かったそうです。

再び施設に帰った母親は、何か物足らない様子。
出かける前に、おしぼりで顔をぬぐい、クリームを自ら塗っていた母親。
90歳になっても見出しなみには気を遣っています。
介護の人に、着古しのパジャマでなく新しいパジャマを着せてもらっていました。

午後から出勤。そして夜は忘年会。
雪が落ちてきています。新見は冬真っ只中。
雪を見ながら酒は風情があります。
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「施設に入った母親」

2013年11月01日 | ふるさとの母親
母親が施設に入りました。

老健です。正式には介護老人保健施設。
医師・看護師が常駐している施設。病院と老人ホームの中間的施設です。
その施設は、私の職場から車で5分の場所。毎日帰宅前に訪問できます。

脳内出血で倒れて1年4ヶ月。
病院を経由してからの老健施設入所です。
今まで入った病院は緊急入院した病院、リハビリ目的の病院、最後地元の病院の三ヶ所。

地元の病院に入って、「胃ろう」を作り、栄養が十分取れるようになりました。
誤嚥を防ぐための措置です。年寄りには肺炎が一番怖い病気。
しかし 口(舌)で味わえないため、楽しみが減ったようです。

半身にマヒが残っているため、寝たきりの生活。可愛そうですが仕方ありません。
また脳にダメージがあったため、言葉が明瞭ではありません。
しかし 話し始めてしばらくすると、言葉がスムースに出るように。

母親は、個室よりは大部屋を好みます。
他人とのコミュニケーションや見舞客との会話が刺激になるようです。
驚いたのは、90歳の母親がなんと最年少。
同室の人たちの年齢が92歳、95歳、97歳。長寿の人達です。

私も除去したポリープは良性と判明、ほっとしています。
眼科の病気も経過観察中。

この国のシニアの人数が増え続けている以上、医療費はウナギ登り。
そのしわ寄せが若い人に来るのは心苦しいのですが・・・。

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「母の転院、病院→老健施設」

2013年06月20日 | ふるさとの母親
母親が介護老人保険施設に移りました。

脳内出血を起こして入院してからちょうど1年。
複数の病院を経由してから、市内の老健に。
急性、リハビリ、療養のステップを踏みました。

先月 病院長に呼ばれ、病状や今後のケアについて説明が。併せて転院のお勧め?
胃漏を作り、十分な栄養を摂取していることから体力を回復。
ゼリーやアイスクリームなどを楽しめる状態にまで回復。
意識不明、失語症状から「奇跡」の回復です。ただ90歳としての話ですが。

半身のマヒはまだとれません。
会話は成立しますが、まだ一部発語が不明瞭なことも。
思考力・記憶力はほとんど元通りに。たまに固有名詞が出てこないことがありますが。

新見市の地元紙「備北民報」をメガネなしで読みます。
一番の関心事は、「死亡・結婚、誕生」の戸籍異動。それに人物写真にも興味を。
「最近自分より若い人が亡くなる。」と嘆いています。

母親は不安を感じながら、先週 介護タクシーで10分ほどの距離の施設へ転院。

個室や二人部屋より、大部屋(四人部屋)が好み。
ほかの患者と見舞客との会話をさりげなく聴くことが刺激になっている様子。
ラジオは聴くものの、テレビを観たいとは言いません。
本人の要望で買った全国の駅名の入った地図を、食い入るように見ます。
60年以上も前の国鉄勤務時代に訪問した土地を、懐かしんでいる様子。

今後もリハビリをすることで、マヒの克服・嚥下力のアップが目標です。
親戚や知人の見舞いが楽しみな様子。
それ以外は看護師や介護・リハビリ担当者の「身元調査」が趣味。
「あなたのおばあさんを知っている」「お父さんはどうしている?」とヒアリング。
ボケ防止には最高の手法かもしれません。
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「花を見に一時帰宅の母親」

2013年04月26日 | ふるさとの母親
母親は正月に家に帰って以来、久しぶりの帰宅。
発病後10カ月が過ぎました。
未だに右半身にマヒが残り、利き腕は不自由。

しかし意気軒昂。
ボケずに、新聞を見、テレビはあまり見ないものの、ラジオを聴いています。
脳内出血で少し呂律が回らないことも。入れ歯を外していることも理由の一つ。

家を建て替えたことは、うろ覚え。入院後の竣工ですから、已むを得ません。
解体前の旧い家が未だに自分の家の感覚。
間取りや仕様について説明してもチンプンカンプン。

春になり、花を見に一時帰宅します。
往復介護タクシーの利用予定。車いすごと運んでくれます。
背もたれの倒れる車いすが便利、疲れた時に横になれる優れもの。

家に入るスロープの板は、介護ショップからの短期レンタル。
妹の友人が社長のため便宜を図ってくれます。
バリアーフリーにしてあるものの、廊下のコーナーは狭いかも。
発病前に設計したため、完全な「介護用」にはなっていません。

庭の藤の花はまだ咲き初め。満開には時間がかかります。
白い藤は田舎でも珍しい種類。今から5月にかけ、匂いが庭に充満するでしょう。
桃の花も盛りは過ぎたものの、大半が残っています。

病室にとどまる入院生活から、自然界に移動することは母親の願い。
待ち焦がれた帰宅は次の日曜日。
私たち兄妹3人が付き添い、短時間ですが外の「空気」を感じさせます。


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「200日ぶりの母の一時帰宅」

2013年01月21日 | ふるさとの母親
毎日 病院の母親を見舞うのが日課になりました。
脳内出血で倒れて7か月。新見市内の病院に転院し50日。
半身にマヒは残り、呂律が回らないものの意気軒昂。
毎朝 新聞を2~3紙読んで(見て?)います。

思考回路や記憶は以前と同じに回復。
見舞客の家族の名前と安否を逆に尋ねて驚かせてくれます。
テレビよりもラジオを聴くことを好み、イアーホーンを自分で扱う母。

先日 一時外出の許可をもらい、我が家に。
新築完成を見ないまま、入院したためです。

介護タクシーで車いすのまま移動。スロープを仮設置して室内へ。
仏壇の前で涙を流しています。建物や内装への関心は低そう。
それより周りの景色を長い間見つめている母が小さく見えます。
わずか数時間の滞在のため、名残惜しそう。

温かな季節になれば、もっと外に出られるでしょう。
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「母親の転院  倉敷→新見」

2012年11月21日 | ふるさとの母親
今月末に母親が病院を変わります。

倉敷のリハビリ病院から、地元新見の総合病院へ。
脳内出血後およそ6カ月。手術できない深いとこでの出血。
一時期 原因不明の嘔吐で、点滴に頼っていた母。
濃い流動食が入らず、体力気力が低下していた時期も。

最近 完璧ではないものの話せるようになり、コミュニケーションも可能。
言いたいことや要望を伝えることで より元気に?
顔色もよく、元気なころに近づいてきた様子。色は白くなりましたが。

しかし右半身はマヒしたまま。
先日の主治医からの話は、現実の厳しさに気付かされます。
「脳内出血の人は、実年齢に10歳の年齢を加えた年齢です。」
よって母親は100歳の肉体状況だということ。
「100歳の人に何を望みますか?」と医師からの質問。

「リハビリによる元気なころへの復活は難しい」のだそうです。
「100歳?」の母親にリハビリを強いることが本人のためなのか?
考えざるを得ません。

生まれ故郷に帰って、見舞の人達との会話があればよいと割り切ります。
高速道を介護タクシーで1時間半の行程が負担にならなければいいのですが・・・。
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「90歳の母親の回復力」

2012年10月18日 | ふるさとの母親
1週間前から、母親が言葉を出すようになりました。
脳内出血 発病後4ヶ月経ちました。

今までも、囁くように、つぶやくように話していました。
今回 はっきり喋ります。
まだ意味不明のフレーズが多いのですが、しっかり聞き取れます。

頭はフル回転しているらしく、通常の思考能力は回復。
周りの患者や訪問客のことを気にするほど。
テレビも見て、世の中の移り変わりも吸収している様子。

ただ体の右半分はマヒ状態のまま。
一時ベッドの上だけだったリハビリも車いすを使い再開。
栄養摂取は鼻からパイプで。
口を経ないため、味わいたいのか、「食べたい」と言います。

今後もリハビリ効果に期待が持てます。
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