goo blog サービス終了のお知らせ 

元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

新潟から「地震と雪が少ない」わが町へ

2019年09月29日 | ビジネス

私の住む新見市に新潟から企業が来てくれます。

なぜ岡山県北の新見に?

「地震が少なく、雪も少ないから」だそうです。

もちろん手厚い助成措置にも魅力が。

 

昨年冬、新幹線で往復15時間かけて、新潟県燕市を訪問。

誘致の企業の本社訪問です。

企業の経営陣との面談と工場見学が目的。

 

例年の倍の雪が、市内のあちこちに積み上げられた景色。

日常生活の大変さを実感した新潟訪問。

そして、新工場の要員確保の人数や採用方針を確認。

 

地震が多発し、大雪で物流が滞るエリアの経営の大変さをヒアリング。

でもこの会社が創業100年で、黒字経営を続けていることに驚きも。

金属製品製造ながら、ラインの女性が30%を占めることにも感心しました。

いわゆる「プレス女子」「溶接女子」が多数。先進的です。

 

製造業は、地震などでストップすることのないラインが利益を産みます。

又 雪などで納期が遅れないようにすることも顧客の信頼確保の要素。

関東で圧倒的なシェアを取り、西日本で確固たる地位を築きたいとの決意。

 

遠い岡山に進出してくれる企業のため、地元で要員を確保しなくてはなりません。

求職者情報を求めて、多くの人に会い、IJUターンの人を探します。

残念ながら、情報の多い人たちでも「地元には、仕事がないから」との口癖。

小さいころから、この言葉を聞かされて育った若者は市外に出ていきます。

 

市内には企業の誘致に懐疑的な人も、居ないわけではありません。

「競合が増える」「引き抜きが始まる」「賃金が上がる」などなど。

確かにその側面がないとは言えません。

 

しかし 今は、市内と域外との「生存競争」の真っただ中。

求人氷河期を乗り切るためには、労働条件の向上は必須です。

週休2日を実施している事業所の比率が、県内ワーストの市内。

 

「給料はそこそこだけど、休みは多いよ!」とSNSで発信してくれる若者たちを増やしたい。

経営者が人を雇う時代から、従業員が人集めをする時代。

「採用する」目線でなく、求職者に「選ばれる」時代感覚が必要です。

 

新見を選んでくれた企業の存在が、活性化の起点になることを期待しています。

 

ラグビーW杯の日本の戦いに「にわか」ファンの私も釘付け。

高揚感が続く、気持ちの良い朝です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もっと 働いてください!」

2019年09月01日 | ビジネス

 「もっと 働け」とは、かみさんの私へのことば。

収入増の意味に加え、「家でゴロゴロしないで」、「認知予防のためにも」が理由?。

もうすぐ71歳になる人間への「温かい(?)励まし(?)」。

 

民間の会社から、ハローワーク、そして地方行政の臨時職員としての勤務。

もう50年近く働いてきた勘定です。

まさかこの年まで、サラリーマンを続けようとは思ってもなかった私。

 

おかげで民間企業と国家公務員、地方公務員の比較も。

利益確保と永続性追求の民間。

リーダーシップをとるため、機能別に細分化された国の出先機関。

地域密着で「総合サービス業」として住民への貢献が目的の地方公務員。

 

     

 

 市役所就職後、知り合った同年齢の元銀行の役員との会話。

「この歳になると、働きたいからと言っても、仕事は少ないもの。」

「誰かが『働きませんか?』と言ってくれて初めて仕事にありつける歳だね。」

 

でもいつ辞めるか、その決断が難しいと感じます。

「後進に道を譲ったら」「老害だね」の外野の声も聞こえます。

夕方になると疲れを感じても、朝起きると元気な私。

熟睡しているわけでなく、眠りも浅いはずなのに不思議。

 

若いころ、営業の仕事がいやで、転職を考える毎日。

西洋的に言うと「仕事とは罰」、だから日曜の安息日が。

でも今は、「仕事とはご褒美」、働く最後のチャンス。

考えは、大きく変わるものと、自分でも「苦笑」。

 

現在 就職相談が仕事です。

他人の人生に大きく関わる仕事は、大切であり、嬉しい仕事。

時には、アパートやマンション探しも手伝います。

その人に必要なことは全面的にバックアップ。

 

個人の携帯の番号をオープンにし、24時間ショートメールを受ける日々。

休日も関係なく、やり取り。お盆には、わが家に相談に来た人も。

遠隔地や在職中の人には、時間の制約があるのです。

「役所仕事」にならないように自戒の毎日。

 

一番うれしいのは、移住や就職の報告。

握手して、「おめでとう」と言える仕事。私には「天職」です。

 

画像  ダムの多い新見市の公募による「ダムカレー」  ご飯を堰堤に見立てて

    新見市 町並み 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日から「15日連続」休み

2019年05月16日 | ビジネス

今日から、月末まで仕事はお休み。

「馘」になったわけではありません。

市役所に勤務する「臨時職員」は、I年間に1度15日休まなければならないルール。

 

この間は無給。日給制のため、休むと収入はありません。

健康保険は打ち切り、国民健康保険に切り替えで「自腹」です。

70歳を過ぎているため、すでに厚生年金の天引きもなし。

 

「臨時職員」は、1年契約のため次年度の雇用が約束されてない「身分」。

高齢者の私にとって、長い連続休は、「骨休み」としてはありがたい制度。

しかし 若い人には、この制度は厳しいかも。でもそれが「臨時職員」。

 

仕事柄、休みと言えども、「在宅勤務」の様相。

なぜなら、Uターン・Iターン希望者からの相談連絡があるから。

 

休日でないと、故郷に帰ってこれない人。

在職中で、通常の勤務時間には連絡が取れない人。

市役所の勤務時間に加え、休日や平日の夜も相談員は忙しいのです。

 

携帯電話の番号をオープンにし、ショートメールのやり取り。

履歴書や職務経歴書の添付ファイルを確認し、書き方指導や添削業務。

パソコンの苦手な人とは、faxのやり取り。

 

応募希望の会社の下見や、見学同行。面接の立ち合い。

移住のためのアパートや戸建ての情報収集や下見は、まるで「不動産屋」。

休日や定時時間外の活動が必要な相談業務は、「自営」のコンサルタント並み。

 

     

 

でも就職のお世話は「天職」と考えています。

ハローワーク、市役所の相談員と定年後を忙しくできるのは、「ありがたい話」。

頭の老化防止と体力維持に、最適な相談員の仕事です。

 

厚生年金や、わずかながら企業年金もあるため、なんとか生活できる経済状況。

「相談員」は、きざな表現をすれば「地元貢献」、もっと言うならば「大義」がある仕事です。

 

画像   勤務先の新見市役所  

     松竹映画「八つ墓村」のロケの「広兼邸」  隣町です

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の働き方改革「4勤3休」

2019年03月30日 | ビジネス

来週から新年度。
今の職場で、4月から新しい「働き方」スタートです。

社会に出てから、およそ半世紀。フルタイムでの勤務終了。
週の半ばに、休日を1日設けることにしました。
大半が、ハッピーリタイアーしている団塊世代の私。

新年度から、休日を増やすことをお願いし、了承を得ました。
「わがままな申し入れ」に対し、年齢を考慮して、配慮いただいたようです。
当然 収入はダウンです。でも休日増は嬉しいこと。

市役所で、UターンやIターン、市内の転職者、障がい者の就職相談をする毎日。
また 事業者を訪問し、求人情報確認や子弟の状況ヒアリング。求職者探索です。
およそ 20カ月で法人500社、個人企業500社、併せて1000社訪問しました。
多分 運転走行距離では、市役所でトップスリーに入るくらい走っているはず。

仕事人生で、最初の就職先は製造メーカーの新規部門。営業からスタート。
人見知りし、話すのが苦手な私が、一番避けたかったのが営業マン。
問屋や専門商社、傘下の販売店訪問の毎日。当然成績は芳しくありません。

同期入社の仲間から「一番最初に辞めるのが、お前だ!」と自他ともに認めるミスマッチ。
いつ辞めようかと、悩む毎日でした。
そして、上司とそりが合わず、出向。「どうせ片道切符」と居直ったのが、転機でした。

30代後半、高額の「宝くじ」に当たったようなもの。
現場を知ることから、大きく変わった人生観・仕事観・家族のありがたさ。
今思うと「3年間の出向経験は、宝物」。やがて出向が解け、1年後いきなり本社です。

企画部門、営業管理、人事、品質管理、最後は業界窓口。なんと定年まで勤務するとは・・。
この間、休日出勤は当たり前、有休どころか代休もままならない時期もありました。

定時退社し、残業もなかったのが、定年後勤務したふるさとの「ハローワーク」の相談員時代。
でもフルタイム。そして週4日勤務になったのが、今回の市役所勤務3年目。

「働くことは罰、いつか休める」から、「働けるのは今しかない」と心境変化したのは定年後。
ただ 高齢になると体力ダウンが付きまとうもの。今回の休日増は肉体的欲求。

農業とともに「生涯現役」が今の私の理想。
野菜作りや米つくりの産物、就職した人の笑顔や感謝の言葉。
「自分が与えられるもののほうが大きく嬉しい」ことに気づいたのです。

画像  移住した友人の家から感動的な雲海が見えます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「求人氷河期」を乗り切る秘策

2018年11月10日 | ビジネス
先日「求人氷河期を乗り切る秘策」と銘打たれたセミナーを受講。
「面白いセミナーがあるから来ない?」と誘ってくれた知人。

この知人とは、市の仕事に就いて知り合った岡山県産業振興財団のエネルギッシュな人。
地銀の元役員。驚くほどのネットワークを持つ人。同じ年齢と分かり親近感を。

「人が足らない」「人が採れない」「このままでは廃業か倒産?」悲鳴が聞こえるわが町。
この事態を乗り切るために、と思い参加したセミナー。

セミナー参加者はおよそ50人。企業の経営者か行政関係者?が大半。
講師は民間の大手の人材会社のシニアマネージャー。

冒頭 いきなり「このエリアの有効求人倍率はいくらですか?」
目の前の受講者に、次々質問。

緊張感漂うセミナーの開始です。
多くの質問を投げかけ、考えさせ、答えさせる手法。
隣の席に座る初対面の人とのワーキングも。
「自分の会社のPRをしてください」とも。

人が採れない理由を外的要因のせいにする会社は、採用できないと断言。
その理由が会社内にあるとの認識があれば、採用成功に近いとも。

「採用成功」は現状認識ができ、採用にかかる投資を決断した会社。
有効求人倍率が上がれば、採用はますます厳しくなり、経費も嵩むと結論。
借り入れ金利には敏感でも、採用費用は「タダ」と思い、ハローワーク任せが多い現実。

書類選考の採否決定は3日以内、全体選考期間は20日以内のスピード感が必要。
面接時立ち上がって迎えるのは面接官の方、応募者に会釈する社風。
「人を選ぶ採用活動」の時代から、「会社が選ばれている」時代認識が持てるかどうか。
「こんな人が欲しい」と書く求人票から、「こんな会社になります」と書く時代に。



ではどんな会社が求職者に選ばれるのか?
(求職者でなく、在職者の奪い合いに移りつつあるのですが・・)
それは、今いる社員に満足度を最大限高められる会社。
そのスタンス、キーワードを求人に打ち出すこと。

ブラック企業でなく、休日が多く残業のない「ホワイト」標榜。
従業員への持ち株制度導入、入社後の節目の研修制度。
女性の活躍の場提供、育休、管理職登用。奨学金返済補助。
高齢者や外国人も視野に。

市内900社の法人や個人事業主を回ったこの1年半。
3割の経営者が自分の代でこの会社は終わりと考えている過疎の町。

幸せな仕事人生を享受した私ですが、やるべき仕事はまだまだありそうです。

(資料出典 パーソルホールディングス株式会社)



画像  我が家の庭のイチョウ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性のお仕事相談&説明会

2018年10月17日 | ビジネス
新聞を賑わしている医学部の入試不正も、女医に対する偏見からスタート?
男女の差を感じなかった職種にも「闇」の側面が・・。

明日10月18日に新見市役所で女性の就職相談会の開催予定です。

就職に関しては、日本はまだまだ男性有利の社会風潮。
子供を育てながら仕事を探す女性には、特に厳しい現実が。
子供の急な発熱で、母親に呼び出しがかかることを嫌い、母子家庭の採用は狭き門。

一方地方では、加速度的に進む人口減少。
特に労働人口の大幅減少に苦慮しているわが町。
有効求人倍率が1.85と驚く高さ。働く人が足りないのです。

市内にある企業900社を訪問して、後継者や従業員の不足を痛感。
後継ぎがいない、もしくは後を継がない、可哀そうで継がせないという深刻な状況。
家業も「自分の代で終わりだ」と寂しそうに話す代表者たち。

労働不足を補うには、女性と高齢者の採用以外にはありません。
さもないと、海外特に東南アジアから労働力を入れるしかないのかも。
研修生や留学生の名目で急増している実質的な「移民」。

岡山県と県下10の市町村で、女性の「就職相談会」を開催。
子育てと仕事の両立を支援する事業主が、採用に協力してくれます。
職種は、病院・養護施設・スーパー・縫製・清掃の会社の多岐にわたる仕事内容。

ハローワークの協力のもと、相談会開催の告知と動員を実施中です。
できるだけ多くの女性の参加と就職の「めど」が立てばと推進中。
当日は、託児所も設け、応募の準備のためのセミナーも開催予定。

人口減少を食い止め、事業が活性化すること。
女性が活き活きと働き、子供の楽しそうな声が響く町が私の望みです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「新人研修」から始まるものは?

2018年04月15日 | ビジネス
この4月 多くの新人が入社後の研修中。
不安と期待を抱えて、社会人1年生が育っていることでしょう。

総務の人事課に属し、数年間新人教育を担当していた時代がありました。
カリキュラムを作成し、各部門から講師を選定、依頼。
集団生活により、チームワークの必要性を体感させること。
テーマに沿い、意見を集約し、発表することでプレゼンテーションの能力アップ。
会社の構成員として、最低必要な知識を身に付けさせることも目的。

入社してくる新人が、年々変化してきた時代でした。
総合職として、女性の比率が高まってきたこと。
入社試験でペーパーテストの上位が女性で占められてきたことも女性増加の要因。
まじめに大学時代を過ごすのは優秀な女性軍。
ただ 転勤を伴う異動を考えると、営業職が難しいのは事実でしたが。

昔 私が、支店から初めて本社に赴任して、研修の重要性に気づかされたことが。
上司から、叱責されている研修担当者たちの姿を見たのです。目の前で。
カリキュラム決定が遅れているとの理由。

今後、私とチームを組むメンバーが、俯き沈黙。それも20分近くも。
この時研修に対する会社の「姿勢」を観ました。人を育てることがいかに重要かを。
この叱責は、実は私に対する「心構え」を説くためにわざとだったかも?

新人と毎日を過ごす時間の中で、カリキュラムの合間に彼らに何を話してやるのか?
知識や技術以外に手助けをしてやれるのは何か?

私にあって彼らにないものは経験と気付き、自分の失敗談を話します。
そして、それをどのように克服しようとしたのか。(失敗談は興味を引きます)

営業に配属され、辞めることばかり考えていた毎日の話。
営業だけは避けたかった当時の自分。話術にも知識にも全く自信のない当時。
そんな自分を救ってくれた、たった一人の販売店の社員の一言。

「あなたは話は下手だし、何にも知らないし、よく営業をしていると思うよ!
でも、私との約束はきちっと守ってくれたことは忘れないよ。」
この一言で、救われたのです。いやだけどもう少し営業を続けてみようと決心したこと。
自分の生き方をすればいいのだと気付いたことです。

加えて、時間感覚の持ち方についてもアドバイスを。
子会社に出向し、教わった「実践心理学」の話も。「20年カレンダー」の話です。

無限にあると思っている時間が、実は限られたものであること。
例えば、ふるさとを離れると、祖父母に会えるのは、せいぜい盆と正月。1年に1回か2回。
祖父母の年齢を考慮すると、会える回数は少ないはず。ならばその時間を大切にすること。
この話をすると、新入社員の大半が帰省時にお土産を持って、会いに帰ったと後日聞きました。

新人研修終了時、成果発表後の打ち上げ時に嬉しいことがありました。
新人数人が私の話し方や癖などを発表し、「ありがとうございました。」とお礼を。
カリキュラムではないけど「私の仕事観や人生観」に共感を示してくれたのです。

     

研修担当者としての私が得たメリットは、外部講師の話を何回も聞き「門前の小僧」に。
中途入社社員研修や退職前のキャリア研修がその最たるもの。
私の「キャリアデザイン」が、見えてきたのです。
おかげで今でも、当時の講師との付き合いが続いています。

民間のこの会社で受けた様々な研修が、今なら「ありがたい」と感謝できます。
この時受けた刺激が今の自分を育ててくれたのです。
古希を迎えるこの歳になって、ハローワークや市役所の相談員ができるのは、研修の成果?

新人研修は、サラリーマン人生を決定づける「人生の研修」かもしれません。

画像   満開の庭のはなもも
     咲きだした白いふじのはな
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考課と人事異動

2018年03月31日 | ビジネス
明日から4月、新しい年度です。
以前お世話になったハローワークでも、今の市役所でも人事異動が。
同僚との別れは寂しいものです。

長く務めた最初の民間会社の異動を思い出します。
営業関係では、全国への出先に転勤を伴う人事異動が恒例。
有能な人たちの昇進もあれば、そうでないケースも。

子供の教育や親の介護、持ち家をどうするかなど課題山積の人事異動。
遠く離れた地への転勤は、精神的・経済的負担をもたらします。
でも社命とあれば、仕方ないと思いながらも、言いようのない不安も。

この時、家族の支えがあるかどうかが問題。
幸い私の場合、常に家族が帯同してくれました。
結果、例えば長女の場合、小学校3校・中学校2校・高校2校を経験する羽目に。

「お父さん、中学生になったら単身赴任が普通だよ!」とのブーイングの大合唱。
でも「ミーハー」のかみさんの、「新しい街も面白いかも?」との後押しが。
決して良い父親ではなかったと今は大反省の私。



異動の目的は、組織の活性化。
考課と適性を考えたうえでの判断ながら、受け止め方は様々。
自分の評価が、妥当だと考える人は少ないもの。「なんで、自分が・・?」が通常。
しかし 概ね考課は、客観的に見て「正しい」ことが多いのです。

他人のことはよくわかるものの、自分の異動は内示までわかりません。
思いがけない配属先に戸惑うことが多かったサラリーマン時代。

上司との相性の悪かった時には、「いつまでも、今の上司と一緒とは限らない」
能力の発揮できなかった時には「新天地で、新しい自分を作り上げる」
自分にも言い聞かせ、同僚にもアドバイスします。

「自分が業績に貢献してきた。」「自分がいないと回らない。」
自信と自負は必要だけど、頼りないと感じる後輩が「しっかり受け継ぐ」のが通常。
又 「出世志向」の強い人を「ヒラメ社員」と揶揄した若いころ。

でも昇格すると「自分の仕事の範囲が拡がり、やりたいことができる」こと。
同じ目標を持つ仲間が増えること。
使える経費予算が増え、思い切った企画が打てることに気づきました。
上昇志向は「モチベーション」の継続ツール。




後悔先に立たずの連続だった仕事人生。でも もう「古希」。
働ける時間はあとわずか、「老骨」に鞭打つ毎日です。

画像   本社のあった浜松の駅
     東京勤務の時 娘といった秩父の芝桜
     新見市の城山の桜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山 学生就職戦線

2018年03月21日 | ビジネス
昨日は岡山のイオン5Fの「イオンモール」へ。
コンサートを聴きに行ったのではでなく「仕事」です。

大学生・専門学校生対象の就職相談会。
岡山県西部を南北に流れる「高梁川」流域の企業35社が参加。
その企業が位置する市町村などの自治体が実行委員会。
UIJターンの相談窓口の私も、学生の地元企業のブースへの誘導担当。

初々しい若者が、真剣に企業の採用担当者の説明に耳を傾けます。
自分の仕事人生の「伴侶」となる企業と巡り合えるかどうかの会場。
数社のブースを回る大学生たち。

大半の学生は、事前に参加企業を研究し、意中の企業は決めている様子。
しかし それ以外の業種の企業の説明も聞いてみることを勧めます。
比較することにより、より自分の希望が明確になるから。

昨年に続き、今年も売り手市場の就職戦線。
学生にとっては、ハッピーな卒業のタイミング。「選び放題の企業」の様相。
企業にとっては受難の時代。人手不足が深刻。将来が危ぶまれます。

私の住む町でも有効求人倍率は2倍。求職者の倍の仕事がある勘定。
リーマンショック時は、0.5倍まで落ち込んだのに。

会場で、ユニークな人たちに会いました。
私と同年配の人と東南アジア系の二人の若者。
声をかけ聞いてみると、ベトナム出身の学生とボランティアで学生支援の人。

日本企業への就職希望とのことで、アジアに販路を拡げる企業の社長に紹介。
ベトナム人は頭がよくしっかりしているとか。
逆に隣のラオス人はおっとりしていて、人柄が良いとか。
異なる国民性に詳しい同伴者は、東南アジア担当の元営業マン。



学生たちを見ていて、私の学生時代を思い出しました。
オーケストラ「命」で専攻科に進み、就職に躊躇していた頃のこと。
今と違い就職情報は、厚いガイドブックと新聞の求人広告欄。

数千人の応募者の中から、若干名しか採用されなかった当時の花形の新聞社。
スピーカーから流れる英語のヒアリングが全くできず、当然の不採用。
又 最終面接で、青臭い意見を吐き、カリスマ経営者に圧倒された屈辱の会社。
不採用の続く中、音楽好きが功を奏した大手楽器メーカーの採用通知。

定年退職後、二度目の就職活動もドラマチック。
第一希望だった、厚労省の労働相談員は、地元事情に詳しくない?と「落選」。
温泉組合の事務長職は住み込みが必須条件で辞退。
最後に、仕事を探しに行ったハローワークでここの相談員はどうか?で即決。

三度目は、就職相談と昔の企業訪問の経験を買われ市役所に即採用。
もうすぐ70歳を迎える私には、ありがたい申し出でした。



今思うと苦労したようで、していない私の就職事情。
カッコつけずに「素」の自分が重要と気付いたのは、最晩年。
「日残りて、昏るるに未だ遠し」が信条です。

画像  開場前のブースの一部
    玄関の前の雨の梅
    玄関に続く石段の上の黄色い花(黄梅?)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藍染シャツ 胸に「コントラバスと第九の自筆譜面」のデザイン

2017年04月01日 | ビジネス
昨日 3月31日は退職日。8年間勤務の第2の職場の仕事が終わりました。

仕事の仲間が2度にわたり送別会。
花束や私の好きなコーヒー豆を沢山いただきました。

最終日も餞別や記念品も。責任者や清掃担当の人からも。
全員と握手し、感謝の言葉を述べました。

やはり感慨深く、寂しい気持ちが湧いてきました。
昨夜 遅くに 配達日指定の宅配便が。
以前から親しくしている友人が送ってくれたもの。

中身は濃紺のシャツ。
特注の藍染。デザインがまた「感動もの」。

楽器のコントラバスとベートーベンの交響曲第九番の自筆の楽譜が染められています。
そして 背中には何と「ヘ音記号」が。何ともにくいデザイン。
私がベース弾きであり、音楽が大好きと知ってくれているためでしょう。
以前一緒に相談窓口に座っていた人。退職に際し感謝のしるしだとか。

この友人は昨秋 肺がんと判明し、一部切除手術そして、闘病・リハビリ。
今は快癒し、再び職場復帰の人です。
不屈の精神力で乗り切ったすごい人です。
 
もしも自分がそうだったら友人のように乗り切れたか?
自信がありません。その友人を尊敬します。
その友人が専門家に依頼し、作ってもらった特注の藍染シャツ。
大切にしなければなりません。

   

最終日 市内の事業主にお礼の電話を20件近く。
退職の旨を伝え、数多くの人たちを採用してもらったお礼を言いました。
相手は仕事人生も終わりの年齢と感じ、ねぎらいの言葉が。

しかし 再々就職と伝えると少し驚いた様子。
それも「今までと同じような仕事を行政の立場で」と言うと二度びっくり。
でも歓迎ムードだったことにホッとしました。ありがたいことです。

これで一区切り、でも月曜日から又新たな仕事人生の開始です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

68歳の再々就職「市役所臨時職員」

2017年03月25日 | ビジネス
3月末で8年間務めた職業相談員の職を「卒業」。
65歳退職予定が、制度変更で3年間延長。68歳まで働けたのです。
29年度の厚労省の予算がつかず、「就職支援ナビーゲーター」の職種が、新見は削減。

思いがけず長く務めた第2の仕事人生でした。
求職者の相談、事業主への紹介、職業訓練への誘い。
フルタイム勤務でしたが、誰よりも早く出勤するくらい充実の毎日。

毎年200人、ここ5年間で通算1000人以上の就職のお手伝い。成功率は50%以上。
「就職が決まった。」との報告は何よりうれしく、「おめでとう」と握手するのが私の流儀。
紹介業務は、私の「天職」だったようです。

求職者との信頼確立には「人そのもの」に関心を持つこと。
家族構成や病気などの「キーワード」をメモし、次回は気になる課題の進展から相談開始。
キャリアコンサルタントから学んだ話法や、コーチングの手法、独学の実践心理学を使用。

求人側へのへの感謝・配慮も紹介時に伝えます。「求人を頂きありがとうございます」と。
応募者の経験した仕事内容や資格は勿論ですが、長所を一つ以上伝えることにも腐心。

退職予定の3月に入り、次の仕事を探していました。
もう十分働いたので「ゆっくりしたら」とか「68歳で事務職はないよ」と同僚たち。
しかし 自分の心の中で「まだまだ働ける。働きたい。」気持ちが一杯。

事前に「履歴書・職務経歴書」を提出。
写真も自撮りでなく、正装で写真館に依頼。応募者として、万全の準備。しかし68歳の年齢。
先週面接があり、内定をもらったのが市役所の臨時職員。

UターンやIターン・Jターン予定の人たちの就職サポートの仕事です。
求人情報を提供し、過疎化への歯止めの一部を担うしごと。
今までの経験が活きると思い快諾。

職務経験の中で、職業相談や前職の営業経験を評価してもらったようです。
自分の仕事経験が3度目の仕事に繋がりました。

ただ 娘たちのいる東京旅行計画を4月後半に組んでいたことが悩み。
恐る恐る申し出ましたがあっさり承認。
おかげで孫たちにも会えます。
娘から送られて来た飛行機のチケットやホテルの予約が無駄になりませんでした。

仕事の内定と東京行が可能とのLINEでの連絡に娘たちからの祝福。
「おめでとう」「その年齢ですごい」と父親への評価アップ?

周囲の人たちや家族に感謝の3月。68歳での「旅」はまだまだ続きそうです。

画像 我が家の上に咲く桜
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20年カレンダーの勧め

2016年04月11日 | ビジネス

桜が終わり、窓の外は「花桃」が満開。
深い赤が華やかな花。母親が大好きな花(木)です。

4月に入ると、職場の就職相談窓口に大勢の人が訪れます。
年度末に退職し、離職票を持参し、雇用保険の給付申請のために。

若い人から、シニアの定年退職の人まで幅広い年齢。
会社都合で辞めざるを得なかった人には、辛い春です。
熱心に求人検索を続ける人が増えました。

相談に訪れる人たちに、アドバイスするための小道具二つ。

一つは職種別の求人数と求職数の棒グラフ。
事務や製造、軽作業は希望者が多いこと。
逆に介護や土木は求人が多いことなどが、一目でわかります。

もう一つ力を入れているのが、「20年カレンダー」の勧め。
自分や家族の年齢を10年単位で記入し、将来をイメージさせるものです。
今の年齢に10歳・20歳づつを加えて、10年先・20年先の自分や配偶者・子供を想像する手法。
年齢の横に、時々のイベントも記入。
退職・再就職、新築・リフォーム、若い人だと結婚・子育て・入試などの項目も。

中にはそんな先のことより、今の就職先を早く見つけたいという人も。
焦りや不安から、安易な就職が再離職の可能性があることも伝えます。
前職より給料などの条件が良くなる人は、わずか25%。

実践心理学で私自身が体験したこの「20年カレンダー」。
思いがけない「出向」で苦労した時代に、出会った「成功哲学」。
その出会いが今の自分を育ててくれた実感があります。

カレンダーには様々な種類があります。
日めくりから、月間、年間とさまざま。
日めくりを毎日見る人はその日のことを、月間カレンダーはひと月のスケジュールを想像。
では年間カレンダーは?もし20年カレンダーがあれば?

自分が持っている時間がいかに貴重かを気付いてもらう小道具。
私自身20年先に、生きているかどうかの年齢。
娘たちは中年になり、孫たちが大学生活を楽しんいるだろう年代。
その時の自分の収入と蓄財の必要額はいくら?

求人の現在の給料も大切ですが、昇給・ボーナース・退職金制度の有無は?
生涯賃金がどうなるか、職種や業界の動向・将来性は?
希望の求人が本当に自分の望む求人か?
一晩考え、家族と相談して、意思が変わらなければ応募を勧めます。

多くの人にハッピーになってほしいと思います。
準備不足で、苦労して欲しくないとも。
地元で就職のお手伝いをする自分に、今何ができるか思い悩む今日この頃です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡山県北の就職事情

2015年11月29日 | ビジネス
岡山県北の新見にも先日初雪が降りました。
といっても、車のフロントガラスにうっすらですが。
暖かな気温の中、霜が降りることもない気候から一気に冬に突入。

大根は見たこともないほどに成長、柿は大豊作。重さで木の枝が折れたのは記憶にありません。
いただきもののショウガやキウイフルーツも今年の出来は最高とか。
農作物が豊作なのはありがたいけど、気候がおかしいと少し心配。

職場にも変化が・・・。
仕事を探しにくる人が激減。先月からおよそ3割減少。
離職者も減り、無職の人も減った勘定?
岡山県北の景気がそんなに良くなった実感は全くない状況なのに。

有効求人倍率は高いまま。ただ中身は看護師や初任者研修者などの看護や介護の求人が圧倒的。
ハードルの低い製造業や応募しやすい事務の求人は低調。
そのためか、職業訓練希望の人は多少増加。医療事務が人気のコース。求人は少ないのですが。

テレビで中小企業の活躍を描いた「下町ロケット」が高視聴率とか。
また「がっちりマンデー」では、利益創出のユニークな企業を沢山紹介中。
でもわが町の小企業には、そんな投資余力のある会社はほとんどありません。

就職できる人は、若い人や資格者が大半。
それ以外の人たちが多く訪れる窓口。
そのため、求人と求職者との「マッチング」に注力しています。
人間関係で悩んだり、経済的理由で離職した人は、多くの人が自信喪失。
この人たちに、将来への希望を持ってもらうことの難しさを日々痛感。

文字や文章を久しく書いてない人に職務経歴書の必要性を説き、叱咤激励。
前職の実績や成功事例、むかし褒められたことは?長く続けている習慣や趣味はないか?
要求されなくても、職務経歴書の提出が効果的と指導し、添削も引き受けます。

また面接の際の態度や想定問答も・・・。
目深にかぶった帽子を脱いで貰い、前髪を挙げ、まっすぐ面接者を見ることからスタート。
断ったうえで、腰に手を当て、背筋の伸ばし方を体感してもらいます。
自信ある態度からすべて始まります。名前や志望動機を声に出し、練習。変化を感じます。

      

孫も生まれ、少ないが年金を満額受給し、67歳の今も仕事ができる「幸せ」を感じています。
そのため、上から目線でなく、仕事で「幸せのおすそ分け」ができたらと願う師走前です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

66歳の「就任承諾書」

2015年02月21日 | ビジネス
先日 勤務先に来年度の「就任承諾書」を提出。

これで4月以降1年間働けるということです。
本来ならば、昨年の春で勤務は契約期間終了の予定でした。
ところが年齢による定年制が撤廃され、勤務延長ということに。

現在の仕事は、就職相談の窓口業務。
求職者と企業を繋ぎます。
毎日求職者と面談し、希望に応じ企業に面接依頼をします。

書類選考の場合は、履歴書の書き方、職務経歴書の書き方をアドバイス。
職務経歴書作成は、いわば自分の「棚卸し」。初めての経験者が大多数。
自分の強みを自覚してない人や自己PRの下手な人を支えます。
履歴書に貼る写真の重要性や写真の撮り方までも・・・。

面接の場合は、その心構えや想定される質問への答え方、服装や髪型までもアドバイス。
自宅で実際に声を出して練習することを提案すると怪訝な顔の人が大半。
頭の良い人や、自信のある人ほど抵抗があるようです。
大半の、採用か否かの判断が、ものの数十秒で決まることは意外に知られてない事実。
出だしがスムースだと好感度も上がろうというもの。

今年秋には67歳を迎える私。
週末ともなると、体力を消耗する仕事ではないにも拘わらず、夕方にはどっと疲れが。
これが老齢化の証。軽度の高血圧以外体の不調はないのですが・・・。
時にひざの関節が痛むことがあるのは肥満と運動不足からか?
しかし この歳になっても働くチャンスもらえたことは幸せなことかも。

相談に訪れる人のほとんどが自分より年下。
ついつい「上から目線」になることを自分に戒める毎日。
しかし「頑固おやじ」の性格はますます強くなってきているのは事実。
物忘れと「同じことを何回も言う」とかみさんからは厳しい指摘も。

相談窓口の仕事は私の「天職」です。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

65才になって書く「就任承諾書」

2014年03月06日 | ビジネス
在職中の65才の私が、4月以降の継続勤務が決まりました。
そして 昨日就任承諾書を提出。

昨年9月に65才の誕生日を迎え、定年制度により3月退職、仕事人生も終わったと思っていました。
退職後の準備と、そのあとにすべきことを考えていたため、戸惑いが少し。
「働くことからの解放?」と「毎日家にいて飽きないかな?」との想いが交叉。

しかし働ける場所があることは、経済的には大助かり。
4月から4女は美大の4年生。授業料やマンション代は相当な金額だから・・・。

今の仕事は、就職支援。
16才から70才くらいまで幅広い相手、価値観も様々。その人たちとの相談と企業への紹介が日課。

一番嬉しいのは「就職が決まりました」との弾んだ声を聞けること。
握手して、祝福。「おめでとう」の言葉をかけます。
不採用が続き落ち込んだ人の場合、報告時に涙ぐむ人が。こちらも「ジーン」と胸に。
この仕事をして良かったと思う瞬間です。

仕事を継続するに当たって、要注意なのは「老害」。
若い頃、60才を超えると「おじいちゃん」と思っていました。
相談相手が16才だとすると、それはあたかも「孫との会話」です。

私の尊敬する、作曲家で指揮者の保科洋先生。先生の言葉が思い出されます。
(喜寿を過ぎても、現役で母校の大学のオーケストラを指揮)
「昔は学生との年齢が近く、友達感覚だった。今は年が離れすぎ、距離感を感じることも」

自分自身も、知らず知らずの「上から目線」や「昔の自慢話」に気をつけなくては・・・。
局の配慮の定年制撤廃は、「引き際」のタイミングの難しさを感じます。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする