仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

慈悲深い尼僧の話

2020年09月20日 | いい話

法話カードから。

 

 自分では、善い事をしているつもりでも、それが果して相手にとっても、善であるか?

昔、滋賀の大津の街に、慈悲深い尼僧が住んでいた。当時は、荷物を大八車に積んで、牛に引かせて運んだものですから、雨でも降れば大変、道はぬかるんでどうにもならぬ。叩かれながら、もがき苦しむ牛の姿をみた尼僧、いかにも牛が可愛想でならぬ。そこで人の寝静まった夜更け、ひとりその弱い肩に畚(もっこ)をかついで、川の砂利を敷き詰めて廻った。

ところが、これ程の慈悲深い尼僧が死んで畜生道に堕ちた、と伝説されている。

尼僧は、苦しみもがく牛の姿が哀れで、牛を助けようと、人知れず砂利を敷いて廻った。本人は牛を助けたつもりだったが、牛は、砂利を敷かれて却って困った。と云うのは、今度は石の上で車がよけいにスベル。その上に小さな石が爪を痛め、足を痛め、余計に力が入らない。砂利を置かれたばかりに却って大迷惑をした。と云うのです。

 こんな事は、日常いくらでもあるのではないでしょうか。こうしておいてやったら、さぞ喜ぶだろうと思ってした事が、放っておいて貰いたかったと、迷惑がられるということがありあます。

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