仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

迷信

2020年09月17日 | いい話

法話メモ帳より

甚次郎兵衛(じんじろべ)さんのお話

 

昔なんでもよく迷う甚次郎兵衛さんというおじいさんがいました。ある日、大根の種をまこうとしていると、向こうから、頬をおさえた娘さんに出会いました。「急いで、どこ行くの」と甚次郎兵衛さんが聞くと歯(葉)を虫に食われて、困っているんです。これから歯医者へ行くところです」と答えました。それを聞いて甚次郎兵衛さん顔色が青くなり、せっかく大根の種をまくのに、その大事な大根の葉を、虫に食われては、たまらないと種をまかずに家に帰りました。

次の日、甚次郎兵衛さんは、気をとりなおして、畑へ出かけ大根の種をまこうとすると、そこへ肩に手ぬぐいを引っかけた男の人と出会いました。すれ違った時、男の人の手ぬぐいが落ちたので、「もしもし手ぬぐいが落ちましたよ」とひろって差し出すと、「これは、おおきに、はばかりさん(ありがとう)」と男は、お礼を言いました。はばかりさんという言葉を聞いて、驚きました。出来た大根が「葉ばかり」では、どうしようもありませんので、その日も種をまきませんでした。

 それからというものの、甚次郎兵衛さんは、誰かにあったらまた何か言われると思って何日かたったある日の早朝に起きて畑のほうに行き、今度こそ種をまこうとした時、むこうから お坊さんがやってきて、「甚次郎兵衛さん。こんなに朝早くから、どうかしましたかな」と言うと「今日は何にも聞かないようにお願いします」と言いました。「それは、どうしてですか」とお坊さんが聞くとやむなく甚次郎兵衛さんは、今までのいきさつを話しました。それを聞いたお坊さん「そんな根も葉もないことに迷って、どうするのですか」と言うと甚次郎兵衛さんは、「根も葉もないとは」と、へなへなとその場に座りこんでしまいました。(以上)

 

以前、当寺の寺報で「迷信が生まれる背景」を記したことがあります。寺報から一部転載です。

 

迷信や現世祈祷を生み出す人間の特性があります。

一つは他罰性です。ものが豊かになり、心配や不幸の原因を自己ではなく自分以外のものに求めようとするこころです。

二つ目は、コントロール幻想です。コントロール幻想とは、自分がコントロールできない事象を、あたかも制御できていると思い込むことです。個人的な迷信・ジンクス迷信の類は、自分は未来をコントロールできるという、思い込みのことです。

三つ目は、「人は偶然を物語化する」、人は出来事を物語化して受け入れるということです。物語化するというのは、生きる上に一つの現象があると、過去の出来事と結び付けて理解することです。たとえば癌を発病すると、過去に原因を探します。

この3つの要素によって迷信や現世祈祷が生み出されていきます。たとえば生贄いけにえ)です。神への供物として生きた動物などを供えることです。幸不幸の原因を外(神)に求め、それをコントトールできるという幻想と、「こうだからこうなる」という因果律を持ち込んでなされる行為です。(以上)

コメント
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