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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

歪んだ正義 「普通の人」がなぜ過激化するのか

2020年09月24日 | 現代の病理

『歪んだ正義 「普通の人」がなぜ過激化するのか 』(2020/8/3・大治 朋子著)、360頁ある大作ですが、本の案内には“「自分は絶対に正しい」と思い込むと、人間の凶暴性が牙をむく。テロリズム、学校襲撃、通り魔、コロナ禍に現れた「自粛警察」に共通する暴力のメカニズムを気鋭のジャーナリストが解き明かす。”とあります。

実際の事件「秋葉原トラック暴走事件」や「相模原殺傷事件」等も取り上げ、興味深い。「コロナ禍に現れた「自粛警察」に共通する暴力のメカニズム」のとこだけ転載します。

 

コロナ禍に見られたいじめや差別、「自粛警察」

 

日本では、感染者の自宅に石が投げ込まれたり、インターネット上で感染した人を特定しようとしたりする書き込みも見られた。また、政府の緊急事態宣言や各自治体の自粛要請が出た後は、県外ナンバーの車が傷つけられたり時問を短縮して営業する店が嫌がらせを受けたりする、いわゆる「自粛警察」の動きも見られた。「普通の人」によるこうした過激な言動はどのようなメカニズムで起きるのか。

 「人を傷つける心―‐‐-攻撃性の社会心理学」(サイエンス社)などの著作がある大渕憲一東北大学名誉教授(社会心理学、現・放送大学宮城学習センター所長)によると、災害率犯罪などによって社会不安が高まると、それに伴い、人々の間で生じる不快感情が攻撃性に転化されやすくなるという。他の集団や民族に対して敵対的な、あるいはマイノリティに対して差別的な態度をもともと持っている人でも、冷静な時は、それを不合理なものとして自制することができる。だが不安や恐怖が高まっている時には認知資源の不足などからこうした抑制力が低下し、内心の敵意や差別感情が噴き出しやすくなるという。社会が不安定な時には、自分の敵意や差別感情を「正当化」する理由を見つけることが容易になり、また周囲の人々からの支持が得やすいと感じて、抑制力はいっそう低下しやすくなる。今回のコロナ禍に伴う社会状況においてもさまざまな攻撃性が見られたが、大渕名誉教授は特に3つのタイプが顕著だろうとしている。

 第一は、情緒不安定で不安や恐怖に駆られやすいタイプの人が抱く攻撃性である。「厄災から自分や家族を守るという気持ちで視野が狭くなり、相手のことを思う共感性が失われ、感染の恐れが少しでもあると思うとたとえ医療関係者に対してでも拒否的になってしまったりする」(大渕名誉教授)。これは「回避・防衛」を動機とする攻撃パターンだという。

 第二は、「制裁・報復」感情や「同一性」(自尊心)と呼ばれる動機に基づく攻撃性だ。政府から自宅待機が要請されている時に外出している人を見て警察に通報したり、マスクをしないで歩いている人を激しく非難したりするといった、いわゆる「自粛警察」的な行為がこれに該当する。「社会秩序や規則順守といった正義を振りかざして人を攻撃することは自尊心を満たし、周りの人たちから賛同が得られれば承認欲求も満たされる」(大渕名誉教授)。集団の規範を守らない他者を罰することで、「規則を守る自分」という個人的自尊心とともに、自分の所属する集団(日本国、日本民族)の自尊心、社会的地位を高めようとする心理も含まれているという。

 第三は、他民族などへの「偏見・敵意」が動機付けとなるパターンだ。例えば「『中国が感染症情報を隠蔽したので、感染が拡大した』といった報道があると、これに飛びついてそれを吹聴する人々で、中国が嫌い、という感情がもともとあり、その偏った中国観に基づいて『中国ならやりかねない』と勝手に確信して、中国に対する敵対的言動を強める」(大測名誉教授)という。(以上)

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