法話メモ帳より
アリとキリギリス
まずは原作
アリたちは夏の間に冬の食料を蓄えるために働き続け、その一方でキリギリスはヴァイオリンを弾いたり歌を歌ったりして過ごしていました。
時は流れ冬が訪れると、キリギリスがいくら食べ物を探せど見つかりません。
逆に夏にしっかり蓄えたアリたちは、何の問題もなく家の中で過ごすことができていました。
ひもじさに耐えきれずにキリギリスがアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとするのですが、アリは「夏には歌っていたんだから冬には踊ったらどうだい?」と辛らつな言葉を浴びせ食べ物を分けることを拒否しました。
その結果、キリギリスは食べるものを得ることができず飢えて死んでしまいました。(以上)
つぎはひろさちやさんが、良く語るパロディ話。
夏の間一生懸命働いたアリをキリギリスが訪ねてみると、
アリは出てこない。
どうしたんだろう?とキリギリスは裏口から入ってみると、
アリは死んでいた。
夏の熱い間、一生懸命働いた せいで、過労死したのだ。
キリギリスは、アリが貯めた食料を食べて、その冬を過ごした。(以上)
次は、最近子どもに語られるイソップ物語。
アリさんは、キリギリスさんを見ると、「まあ、キリギリスさん、そんなにお痩せになって、お気の毒に、外は寒いでしょう。なかは温かいペチカが燃えています、どうぞお入りください。」と招き入れて、心優しくスープをごちそうすると、キリギリスは「アリさん、ありがとう」と涙を流し、私の来年から一生懸命働きます」と謝った。(以上)
アリの過労死の話を学生にすると、先生、あれは古い、と新バージョンを教えてくれた。
食べ物に困ったキリギリスは、夏の間にしっかりと練習した音楽でコンサートを開き、アリさんにチケットを買って貰いました。(以上)
アリが良く、キリギリスが悪いではなく、一緒になって生きていこうとする価値観が表現されています。
以上は法話メモ帳からの転載ですが、違った展開も考えられます。たとえばキジギリスさんは、ホームレスで過ごしていたが、世の中の価値観が「自己責任」から「公助」を重んずる価値観が育っていき、「最低限生活保守制度」ができて暮らして行きましたもあり、浄土真宗のパターンなら次の通りです。
食べ物に困ったキリギリスは、夏の間にしっかりと練習した音楽でコンサートを開き、アリさんにチケットを買って貰いました。アリさんは、家族でコンサートに行き、音楽を聴いているうちに、ふと「自分は、遊んでばかりいるキリギリスさんを見下していた」ことに気づき、コンサート終了後、キリギリスさんに、そのことを打ち明けます。するとキリギリスさんも「実は、自分こそ働いてばかりいるアリさんを、心のどこから馬鹿にしていた。家族で聞いているアリさん一家を見た時、アリさんは家族を守る為に一生懸命だったんですね」と自分の価値観でしか見ていなかった自分を恥いったのでした。みなさんならどんな物語を作りますか。