法話メモ帳より
2009年11月11日の読売新聞コラム「編集手帳」
芝居が始まったのに、その少女は客席の最前列で頭を垂れ、居眠りをしている。「屋根の上のヴァイオリン弾き」九州公演でのことである◆森繁久弥さんをはじめ俳優たちは面白くない。起こせ、起こせ…。そばで演技をするとき、一同は床を音高く踏み鳴らしたが、ついに目を覚まさなかった◆アンコールの幕があがり、少女は初めて顔を上げた。両目が閉じられていた。居眠りと見えたのは、盲目の人が全神経を耳に集め、芝居を心眼に映そうとする姿であったと知る。心ない仕打ちを恥じ、森繁さんは舞台の上で泣いたという◆享年96、森繁さんの訃報(ふほう)に接し、生前の回想談を思い起こしている。誰ひとり退屈させてなるものか、という生涯枯れることのなかった役者魂と、情にもろい心と——森繁久弥という希代の演技者がその光景に凝縮されているように思えてならない◆映画、舞台、テレビと、巨大な山脈をなす芸歴のなかで、盲目の少女との挿話は山すそに咲いた一輪の露草にすぎまい。山脈の威容は、語るべき人たちが語ってくれよう。いまは小さな青い花の記憶を胸に映し、亡き人への献花とする。(以上)
この話は、森繁さんが1984年9月に刊行した「人師は遭い難し」(新潮社)の中に記されてある文。本から転載します。
(ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」)九州の或る劇場で、前列に最後まで頭を上げない少女がいた。
些か不快になった役者どもは、あの娘はねっぱなしだ、起こせ、と彼女の前でわざと声を張り上げたり、足を踏んで、起きろといわん許りの芝居をした。幕がおりて、再びアンコール・カーテンが上ると、何とその少女ははじめて顔をあげた。その彼女の両眼はとじたままだった。ひたすら熱心に聞いていたのだ。
私たちは申し訳なくて、彼女の前で大きな声で「ありがとう」をくりかえしたおぼえがある。(以上)