仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

100歳以上の高齢者数を6万1568人と発表

2020年09月15日 | 日記

Jタウンネット転載です。

https://www.athome.co.jp/vox/jtown/town/54978/

 

厚労省

https://www.mhlw.go.jp/content/12304250/000547374.pdf#search='%E5%8E%9A%E5%8A%B4%E7%9C%81+%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%A7%E8%A9%B1%E9%A1%8C%E3%81%AE%E9%AB%98%E9%BD%A2%E8%80%85+57%E4%BA%BA'

 

100歳超えご長寿の割合、最も高いのは島根! 少ないのは愛知、埼玉…

 

9月の第3月曜は敬老の日だ。今さら説明するまでもないが、多年にわたり社会に尽くしてくれた老人を敬愛し、長寿を祝うために制定された。
敬老の日が国民の祝日と定められたのは1948年のこと。当時、100歳以上の高齢者はほとんどおらず、1950年で約100人、1965年で198人しかいなかった。

2015年9月11日、厚生労働省は100歳以上の高齢者数を6万1568人と発表した。このうち今年度に100歳を迎える人は3万379人おり、国からお祝い状と記念品が贈呈される。

 

5300人の東京都民が100歳以上

 

100歳以上高齢者が50年間で300倍以上も増えたのは、医療技術や予防医学の進歩、食糧事情が大きく貢献しているからだ。
6万人超という数字も驚きだが、2050年には68万人になると予測されている。

都道府県別に、人口10万人当たりの100歳以上高齢者の人数を見てみよう。
上位を占めるのは西日本の県。島根県が90.67人と最も高くなっている。以下、高知が85.37人、鹿児島が80.40人、鳥取が80.31人、香川が75.74人と続く。

 

反対に最も少ないのは埼玉の28.68人で、愛知が32.10人、千葉が36.00人、神奈川が36.44人、青森が37.32人となっている。
人口増加県ほど100歳以上の割合が低くなる傾向にある。ところが、青森は秋田に次いで人口減少が激しい。男女とも寿命の短さは日本一だが、それが影響をおよぼしているのだろうか。

下の図は、100歳以上高齢者数を都道府県別にまとめたもの。1位は東京で5000人を超えている。2位が神奈川、3位が大阪、4位が北海道、5位が福岡となっている。
人口数5位の埼玉は9位にとどまっている。一方、人口600万人に満たない北海道は、福岡はおろか愛知や埼玉よりも高齢者数が多くなっている。

 

100歳でもハンドルを握る時代に!?

ところで、今回の厚労省の発表資料には「地域で話題の高齢者」57人が紹介されている。

現在も週1回ゴルフに通う北海道のFさん(100歳・男性)や、現役の幼稚園の先生として頑張る愛知県のKさん(100歳・女性)、今でも車を運転し買い物や病院に出かける鹿児島県のTさん(100歳・男性)など、元気ハツラツなおじいちゃん・おばあちゃんが実名で載っている。(以上)

 

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築地聞真会の朝

2020年09月15日 | いい話

法話メモ帳より

 

故保利茂(衆議院議長) 「一誠の道」―築地聞真会の朝―(築地聞真会発行)

 

「東京には空がない」、佐賀県の美しい空を離れて東京で暮らすようになって、高光光太郎が、その心病む妻の文字にしたそのことを、本当に感じるようになった。ところがふとある朝、私はその「空」を発見した。

 聞真会に出席(本願寺の門徒出身の国会議員でつくっている超宗派の会)しようとした。早朝の集まりなので目黒の家をかなり早くでなかればならない。また秋から冬にかけて早暁の感がある。目黒から築地へ行く途中、車のフロントガラス一杯に光が差し込んであるのに気づいた。澄明な朝の光、車を停めて外に出て、あふれんばかりの光を堪能した。その東京の空に郷里の空のひろがりを見た。

そのすがすがしい思いのままにご法座におまえりをした。おつとめは「正信偈」「煩 悩 障 眼 雖 不 見、大 悲 無 倦 常 照 我(煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらずといえども、大悲ものうきことなく、常に我を照したまう、といえり。)」、この御文にくぎづけとなった。唖然として「正信偈」を続けるのを忘れた。

「そうだったのです。私が今朝に見た朝の光を仰いだ感動は、まさしくこれだったのです。煩悩の雲に妨げられて、太陽の光を直接浴びることが出来なくとも、太陽は倦むことなく頭上を照らし続けていた。」

 政治の道に入ってから「百術は一誠に如かず」という言葉を座右におき、それを政治に携わるものの信条としていた。百の政治技術や手練主管を用いるより、一つの誠のほうが人を動かす。「至誠天に通ず」そう決めてきたし、またその通りだった。あやまりはなかった。

ところがこの朝、朝の法座にまえりの途中で東京の青空を見た。「正信偈」の「煩 悩 障 眼 雖 不 見、大 悲 無 倦 常 照 我」の御文に接したとき、そういう私の「誠」という信念にも一つの思い上がりがあることに気づかせていただいた。誠とは「自分は誠実である」という意識。しかし、それはあくまでも政治家保利茂としての私の立場であるのに、人間保利茂もまた、その結果「自分は誠実である」という思いに臆面もなくのめり込んでいたのではないか。(以上)

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