二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

アオゲラ

2011-04-17 21:28:05 | 徒然に想う

神社はつくづく集うところなんだと思う。人だけでなく、いろいろなものに出会う。

カワセミはよく見かける、普通のこと。ルリビタキは去年か一昨年見た切り、それ以降見かけるチャンスに恵まれない。今年、アカゲラと思しき鳥がドラミングしていた。で、今朝また新しい鳥と出会った。

アオゲラ、と言うんだそうである。

 

今日の一枚:神社下の公園、7時10分ほど前のこと。先日目撃したアカゲラのように見えた。帰って引き伸ばしてみると、ちょっと違う。デジイチで撮ったものをトリミングした。

 

 

 

 

 


若葉からエネルギー

2011-04-17 10:26:04 | 徒然に想う

桑の木が川のほとりに立つ。若葉を見ていたら、川面が騒がしい。丘の上ではすっかり葉だけになったが、川の中ではまだ桜色が弾ける。頭の上、二羽のカワセミが飛び去る。

スカイツリーの効果。経済だけじゃない、コミュニケーションに役立つ。神社の展望台、小父さんが教えてくれときた。あの二本の鉄塔のですね…。

神社下の公園に入ったとき、木漏れ日のシャワー。桜やケヤキ、楓、いろいろな草たちの葉の向こうから朝陽が射す。

≪若葉から 朝陽の力 我が中へ≫

 

 

今日の一枚:桑の木の若葉。対岸にはまだ花見客相手の屋台が五、六店ほど並ぶが、すっかり葉桜。6時半ころ。


気配を感じた

2011-04-16 08:05:12 | 徒然に想う

まったくをもって、先週の日曜日は花見日和であった。愕然とは言わないが、今朝の桜並木は昨日の大風で花を散らされてしまった。若葉を出しているのもあるし、一面花盛りとはもういえぬ。この感じも悪くはないが、もう少し盛りを楽しんでみたかった。

ふとしたことに、夏の気配も感じなくない。四時半過ぎに家を出ても白んできている。ワンシーズン早い空では、さそり座がずいぶん西寄りに位置する。昨日、一つ書き忘れが、蝙蝠。カワセミの川の土手、もう神社の公園が見えようかという辺りのこと。ひらひらと舞いながら飛んでいった。

  • ケラだろうか、ジーっと連続で鳴くのがいる。切り通しを下り終え右に曲がったところ、段丘面のほうから。
  • かわいい踊り子たちが帰ってきた。ヘラオオバコの群生が姿を現し出した。
  • イヌムギの集落も。向こうの、川の中ではウグイが産卵のため盛んに水しぶきをあげてる。

 

とはいえ、神社に上がれば、御社を囲む木々の新芽の青々とした様子は何とも言えぬ。片隅では山吹が。小五郎の家のそばの桜並木の中に、名は分かぬが八重の花。白い花の枝があると思えば、ピンクのところ、それが混じるところ。一輪の中で白にピンクが混じるのもあって楽しい。東北のほうからも花がチラホラなどと聞こえてきた。まだまだ春が広がる。

 

 

≪おぼろげな 大樹の若葉 明日を見る≫

 

 

 

今日の一枚:遊水池の側、カワセミの川との境の土手の上。この土手の右側に下ると、土筆が沢山頭を出している。さすがに頭が割れているが。そう、今年土筆、なぜかかなり遅い。1、2週間じゃない、3、4週間か。6時ちょっと前。


冬と決別

2011-04-15 19:44:59 | 徒然に想う
国際宇宙ステーションを見よう。マイナス2、1等星位になって、西から東に流れる。と、早めにマンションを出る。…雲が多い。頭の真上に切れ間。ベガ、しか見えない。東の水平線近くだったのに。

神社下の公園。藤が葉を開き始めた。藤が咲くと霜は降りない、遅霜もなくなる、と聞く。

神社を出て、ほんの一、二分。イチゴの甘い香りが鼻先をかすめる。しばらく前はゴーゴーとボイラが音させていた。数日静かだと思っていたら、今朝はサイドが開いてる。

いよいよ冬とも完全に決別。と言っても、4月も半分。何して来たんだ、何してんだろう。





今日の一枚:境内の地面に広がる星々。五時頃。

花、似合うこと

2011-04-11 23:09:32 | 徒然に想う

対岸で子供たちが嬌声上げ騒いてる。300ミリの望遠で撮ろうと狙っていたら、ゆっくり老夫婦が歩んでこられた。動と静、それが同居する風景。花にはそんな風景があっている。

≪子供らの 嬌声の向こう 老夫婦≫

≪老夫婦 そっと手触れて 桜いろ≫

 

 

今日の一枚:昨日の午後のワンシーンのこと。

 


風土

2011-04-10 09:12:20 | 徒然に想う

もう一カ月にもなるのかと、時の過ぎる速さに驚かされ、気付けば桜は満開。枯れ木だったような木々がどんどん葉を広げていけば、負けじと桜も花芽をふくらまし開花した。日本という風土はそういうもの。

今朝は陽が差す。花が輝いている。鳥たちも盛んに囀る。輝く春がもどってきた。この春を愛でなくて何とする。この風土は裏切らぬ。めぐってくる季節のように、また輝く。ただそれだけ。そう、忘れてならぬのは、そこに住む我々人間も鳥たちも木々も何もかも含め、日本という風土をなすということ。

 

今日の一枚:小五郎の家の前を流れる川の桜並木。カワセミの川の桜も素敵だが、こっちの方がいい。水、そう、きれいな川ではないが水が流れる上を覆うように枝を伸ばし、川面の光がある。それが余計輝いているように見せる。写真は昇ってきた朝陽に輝くもの。6時55分ころ。


満開!

2011-04-09 18:37:22 | 徒然に想う

桜が満開になった。きれいに咲き誇っている。ただ今年は、朝からブルーシートを広げて場所取りをしている人たちがない。午後出かけていっても大勢の人たちの姿がない。桜祭りもない。どこか、さびしげに庵主には映る。でも、桜は自然が何をしようと起こそうと、そのものを受け入れ時季になれば咲く。

漁師さんたちは、海を離れられぬという。仲間や家族、親戚の中で亡くされている方もいよう。でも、そうおっしゃる。海を嫌うわけでもなく恨むわけでもない。海が恵みを与えてくれる。いやらしく言えばお金もあろうが、それ以上の恵みなんだろう。

自然は地震を起こし津波を起こし多くの方々の生命を奪った。それはとても悲しいこと、つらいこと。しかし、自然の引き起こしたことは非難されることでなく、自然をうらみ嫌いになる理由にならない。どんなに物を知ったって技術をもったって、人間は自然を理解できない、ということなんじゃないか…。

人間だけが恨んだり非難したりしようとする。なかには、そのことを煽ることで名声や富を得よう目論んでいるのではないかと思われるふしもある。人間の存在は自然と対峙するほど特別なんだろうか。桜や漁師さんたちのように受け入れるようになりたい。

 

 

今日の一枚:カワセミの川、遊水池が左側に。6時30分ころ。二枚目は、小五郎の家のわきを流れる川。これは7時45分ころ。


匂い-清明から二日目

2011-04-07 20:06:22 | 徒然に想う
あぁ、この匂い…。畑の中の道に入ると、土の鉱物ぽい匂いに包まれる。雨が降った形跡もないし、降るような雰囲気もない。畑を起こしたばかりなんだろか。あたりを見回しても朝の闇の中、様子が判らぬ。

何だろう、甘いが清々しい香り。沈丁花とも似ているがもっと軽い、存在を主張してこない。カワセミの川に出た。

コーヒーの香り…。川沿いに会社の寮があって、その脇を進んでいくとよく漂ってくる。あれ、花の次はと想像し期待してたのに、残念。

公園。川原から焚き火の残り香。植樹されてる、福島だったか、三春の枝垂れ桜が満開。すると、くしゃみが…。手袋をした手で口を覆う。ホコリっぽい。えい、と手袋を脱ぎ捨てた。そう、春なんだから。






今日の一枚:神社から五分の所にあるJRをまたぐ陸橋にて。五時十分頃

花鳥風月

2011-04-05 08:04:44 | 徒然に想う
国やお役所の物を隠す体質には言葉が見つからない。それに、分からないのが彼らの言葉。「直ちに」健康に影響ないとの言い方。つまり長期的に取ると、まずいわけ?

解らないのがもう一つ。傍目から東電では対処出来ていない。国の内外を問わず専門部隊に頼むべきじゃないんだろか。何にしがみついているんだろう。

火事場泥棒よろしく、弱っているところ、つけ込んできたやからが国際社会にいる。悲劇の大国と言うわけではないが、何故、今行動する? フェアではない。

解らない…。こんな事考えたって、何になる。そんなことより、そんなことよりも…。季節が巡ぐれば、花が咲き、実り、葉を落とす。鳥たちは歌い、子に伝え、移動してく。その移り変わりを感動する目を、気持ちをしっかり持つには、持ち続けるには、どうしたらいいんだろ。


《朝の陽に そっと頬そめて 白木蓮》





今日の一枚:カワセミの川の土手で、五時五分前。写っている木の下から反対を見るとうっすら富士山の山頂がピンク色になりかけていた。もちろん撮りきれない。