二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

何のため ?

2013-04-17 20:20:43 | 徒然に想う
数期下の同僚が、同期の一人が亡くなったと落ち込んでいる。気持ち、解らなくない。自分らもそんな年齢だという事実が一つ。で、…。

仮に今自分にそれが訪れたら、納得など決して出来ぬ。何をしてきたのか話せるものが何一つない。ここにいたということの証しもどこにもない。さらに、さらに。これから先、何をしていけるのか。どんな証しが残せるか…。振り返るにしても、先を見るにしても自分の人生が見える、見えてきた。これでは、彼でなくとも落ち込んでしまう。

この人生、一体何のためだ。こんな年でこんなことを考える。つくづく、子供のまま親にならなくて良かったと思う。が、子供がいれば、その子らの将来のためにと納得出来たにちがいない。その証拠として、まわりを見渡せば、植物だって、動物だって、例外なく行き着くところは同じ。生きとし生きるもの、次世代のため、その生をかけている。

現世でのこの存在を来世では形態を変え存在し続けるとは考えぬ。ケジメかもしれない。つまり、「何のため」にこの人生があって、そのために「何々」をやり遂げたことで、この身の「証し」を立てたい。…考えれば考えるほど、わからない。いや、だいたい、人間以外の生きるものたちは人間が考えるような「何のため」を彼らの方法で認識しているのだろうか。実は、「何のため」がないところで「何のため」と考えるからおかしなことになってやいないだろか?





今日の一枚:間もなく住んでいるところに着く。コミュニティー・センターがあって、そのそば。5時半過ぎ。